現在位置:asahi.com>トラベル>ぽれぽれサファリ> 記事

ぽれぽれサファリ

ビートルを何台見ると幸せに?

2007年01月24日

 先日のこと。母親がまじまじと私の全身を見て言った。

「もう少し、ちゃんとした格好をしたら?」

 そのときの私の服装はというと、ジーンズにスニーカーにとっくりセーター。「会うたびいつも同じ服だ」と、これまた会うたび母が嘆く。たしかに「実家に帰るときはコレ」というような、楽チンさのみを追及した“帰省ルック”が出来上がっていることはいる。いや、でも、友人知人と会うときには、ちゃんとオシャレしてるんですよ。それなりに。

 母があんまり悲しむので、服を買うことにした。横浜のデパートに行った。10分ほど売り場をウロついた。すっかり面倒くさくなって、また今度でいいやと、沖縄料理屋でソーキソバを食べて帰った。

 買い物は苦手だ。というよりそれ以前に、欲しいものがナイ。

ビートルを何台見ると幸せに?

 そんなある日、千葉県の「季美の森」というところに行ってきた。会社員時代にお世話になったAさんが、定年退職 & 引越しをされたので、みんなで訪ねたのである。

 季美の森は、ヨーロッパの町並みを模したという閑静な住宅街。その一角にAさんの家はあり、駐車場にはフォルクスワーゲンのビートルが停まっていた。クラシカルなモスグリーンの車体が、なんともいえずかわいらしい。

「いいですねえ。状態もすごくいい」

 車好きのBさんが、早速いろんな角度から眺めている。

「昔、ビートルを100台見ると幸せになれるっていう伝説がありましたねえ」

 うんうん、あった。ありました。見つかると嬉しかったなあ。

ん? でも待てよ。たしか“3台で幸せになれる”ってルールじゃなかったっけ。

 100台と3台じゃえらい違いで、これにはどうやら年齢の差が関係しているらしい。

 Bさんは私より少し年上で、ビートルが大流行中の1960年代から70年代にかけて幼少期を過ごした。一方、私の幼少期――鼻を垂らして野原を駆けまわっていたのは、その少し後。国産車のシェアが伸びて、ビートルはそうそう遭遇できるものではなくなっていた。

 ゆえに幸せ1ヶ(?)を得られる台数に差が出たのだなあ。

母が憧れたバナナとチョコレート

 母はよく、「かーさんたちが小さかった頃、憧れの食べ物といえばバナナとチョコレートで、両手に山ほど抱えるのが夢だったのよ〜」と言う。私とて、クレープやパフェを頼むときはたいがいチョコバナナ味だ。バナナはともかくチョコに埋もれてみたい気もする。けれど夢見度も、実現したときのヨロコビ度も、母親のそれにはかなわないだろう。

 物の多寡や価値に、時代を感じることは多い。

 昔は高かったのに今は安いもの、あるいはその逆のパターンなどで、私の世代だと代表選手は鯨の肉だ。小さい頃はしょっちゅう給食に出ていたけど、今ではすっかり高級食材。このまえ「久しぶりに」なんて言って鯨ベーコンを買ったが、べらぼうに高かった。近頃話題の、マグロの将来が気になるところである。


 さて。Aさんは昔からビートルが好きで、でもなかなか手が届かず、「退職したら絶対に乗ろう」と決めていたらしい。念願をかなえ、季美の森をランランと走るAさんは、とっても幸せそうだ。

 母はいつチョコとバナナを好きなだけ食べたんだろう? そして“チョコとバナナに相当する何か”を持たない私は、幸せなのか不幸せなのか。

あいかわらずの“帰省ルック”で実家に向かいながら、つらつらと、そんなことを考えたのだった。

今週の春口さん

“○○ルック”って死語ですよね……。分かっちゃいるけど、しばしば使ってしまう昭和な私です。それと“ビートル3台伝説”には、“赤いビートルを見たらゼロに戻る”っていう、但し書きも付いていたような気がします。平成の今、巷にはどんな伝説があるのでしょうか。
*J−NOVEL2月号に短編『人生計画』が掲載中です。

ご感想・ご質問

春口さんへのメール、このコラムについてのご感想、ご質問は問い合わせページからお願いします。別ウインドウで開きますこちらをクリック※プライバシーについて

プロフィール

春口裕子
1970年横浜生まれ。慶応義塾大学卒業後、損害保険会社に入社。広報の仕事でエッセイを書きながら、「やはり物書きの道へ」と心を決める。旅行と甘いものが好き。01年よりOLを辞め、執筆業に専念。同年、ホラーサスペンス大賞で『 火群の館 』(新潮社刊)が特別賞受賞。著作に『 女優 』(幻冬舎)。
ここからツアー検索です

ツアー検索

情報提供元 BBI
ツアー検索終わり ここから広告です
広告終わり

特集記事

中国特集へ

このページのトップに戻る