2009年7月2日
ある日曜日の午後。私は、昨年来のユメをかなえていた。
場所は自由が丘の喫茶店。
そこで、友人H・Aと、のんびりコーヒーを飲んでいたのだ。
小丸は家でお留守番。N氏といっしょにお留守番。したがって静かである。平和である。優雅である。
そう。この優雅な喫茶こそ、産後のユメであったのだ。万歳。
優雅は優雅でも、気になることが一つあった。
口腔内の異物である。
何かが歯に挟まっているのだ。それも奥歯等のひっそりした場所でなく、上前歯のど真ん中に。
トウモロコシのヒゲのような、パイナップルの繊維のような、この細長の感触。おそらくは、ほうれん草であろう。
実はここへ来る前に、ベーカリーカフェにも寄っていて、そこでほうれん草のキッシュを食べたのだ。いや、実においしかった。喫茶店のハシゴもユメだった。これまた万歳。
などと言っている場合ではない。
感触からして、かなり大きな物件だ。そのうち自然に取れるだろうと看過してきたが、甘かった。
このようなとき、皆さんなら、どのような対処をされるだろうか。
1、その場で撤去する。
2、撤去に走る。
3、走らず、隠す。
4、走らないし、隠さない。
平時なら私は2である。しかしながら今回は、念願の喫茶中。どれぐらい念願かというと、ウキウキしすぎて前夜眠れなかったほどで、話も弾んでいる今、「ところで」と腰を折るのはやりきれん。
というわけで、当面を3でしのぎつつ、2のタイミングを見計らうことにした。
いつかどこかで聞いた、ダウンタウンのまっちゃんの話がふと思い出された。「店のトイレの鏡で鼻毛が出ていることに気づいても、絶対抜かない。席に戻ったとき“こいつトイレで気がついて抜いたな……”と思われるのがシャクだから」というような話だった。「むしろそよがせる」とは、言っていたかいなかったか。
つまりは4。とにかく4。そうか、私も4で行ってみるか。相手は気心知れたH・Aだし、しかるべき時にすみやかに2に移行すれば――等々と考えていると、H・Aがちらりとトイレに目をやって言った。
「行ってくる?」
あ、バレてた?
「うん。前の店からずっと」
それはそれは。大変失礼いたしました。
すぐさま、撤去に走った。
楽しい時間を過ごして家に帰ると、小丸が玄関へ走ってきた。
抱き上げると、いつもにも増してピトッとくっついてくる。きゅんと胸が痛む。
ごめんよ、今日は一緒じゃなくて。H・Aも会いたがっていたよ。
小丸を椅子に座らせた。
そして、ベーカリー(キッシュを食べたところ)で買ってきたパンをテーブルに並べた。あんパンに、メロンパンに、アプリコットデニッシュに、クロワッサンに、ぶどうパンに、食パンに。
絵本も置いた。小丸の大好きな『ほかほかやきたてパン屋さん』の絵本だ。ヒマさえあれば――日に10回でも20回でも、めくっては眺めている。
「ねえ小丸」と私は言った。「母さんは今日なんと、この絵本のパン屋さんに行ってきたよ。ここにあるパンは全部、絵本のパンと同じなのだよ」
それはまったくの偶然だった。
ベーカリーに入って、商品を眺めているうちに「もしや」と思った。確かめてみたらやっぱりそうで、私はなんだかうれしくなって、あれやこれやと大量に買ってしまった。
小丸は、数々のパンを前に目を輝かせている。
遅めのおやつと称して、一緒にあんパンを食べた。ただし小丸は外側だけ。
あん抜きのあんパン、つまりただのパンなのだけど、実にうれしそうに、おいしそうに食べている。そのさまを眺めながら思う。
明日は一緒に出かけようね。
さらに思う。
で、いつか、喫茶店で一緒にコーヒーなんかを飲みたいもんだね。
これもまた夢である。
自由が丘の喫茶店・・・東京スイーツファクトリー。地下にある隠れ家的カフェですが、店内は明るく開放感があり、ケーキもとてもおいしかったです。奥沢ロールが有名。
ベーカリーカフェ・・・ブランジェ浅野屋。昭和8年創業の、老舗のパン屋さんです。本店は軽井沢。
暑いですね。周囲で体調を崩す人が続出しています。皆さんもお気をつけて。
1970年横浜生まれ。慶応義塾大学卒業後、損害保険会社に入社。広報の仕事でエッセイを書きながら、「やはり物書きの道へ」と心を決める。旅行と甘いものが好き。01年よりOLを辞め、執筆業に専念。同年、ホラーサスペンス大賞で『 火群の館 』(新潮社刊)が特別賞受賞。著作に『 女優 』(幻冬舎)。近著『ホームシックシアター』(実業之日本社)も好評発売中。
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