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2012年1月25日

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ぽれぽれサファリ

大草原、くじゅうの夜

文:春口裕子

写真:のびのび遊びました。拡大のびのび遊びました。

 窓の向こうは夜の草原。空に月。

 月明かりに、薄く稜線(りょうせん)が浮かびあがっている。阿蘇の山々だ。

 ここは久住高原。標高865mにある、自然の中のホテルである。

「寝る前に絵でも描く」

 バリ島のコテージをイメージしたという部屋は、木造りで温かみがあり、42平米とゆったり。

 今しがた温泉に浸かってきたので、体の芯からぽかぽかだ。

 美味しい食事もいただいて、お腹いっぱい胸いっぱい。

 さっさと寝てしまうにはもったいないと、荷物の中から、画用紙とパレットを取りだした。

 パレットは、小さい絵筆と絵の具が付いている100円のものだ。薄くて軽くて持ち運びによい。

 ジャージー牧場のヨーグルト容器を洗ってバケツ代わりにし、小丸の隣に腰をおろして、何を描こうか考える。

 今日は車でやまなみハイウェイを走った。

 見渡すかぎりの草原は、夏であれば一面緑なのだろうが、今は枯草色の薄茶のじゅうたん。そこへ陽光が降り注ぎ、さらさらと風が吹くたび、あちこちが黄金色に輝いていた。

 なんという雄大さ、神々しさ。

 なだらかで黄金色の全体に、すっぽり包まれるような心地良さであった。

 うっとり思い返しながら小丸の画用紙に目を落とすと、前衛的な黒い線がほとばしっていた。

 「何を描いてるの?」

 「これはね、外のお風呂」

 嬉しそうである。

 「これはね、中のお風呂」

 この上なく嬉しそうである。

 「お風呂と月。うふふ」

 本当にお風呂が好きなのだね……。

「魔法のくりぃむとは」

 風呂を描き切った小丸は、今度は、黄緑色の絵の具をとった。

 「これはイチゴ」

 ふむ。しかしなにゆえに黄緑?

 「これはまだ甘くないの」

 ほう。

 「これから、お日様で、赤くなるだからね」

 今日はイチゴ狩りをしたのだが、そういえば、黄緑色の硬い実を、食い入るように見ていたっけ。

 小丸は続いて赤いイチゴを描いた。

 「これはもう甘いよ」

 あらおいしそう。

 「おいしいですよ。めしあがれ」

 破顔一笑。なんというか、いろいろなことがどうでもよくなる最強の笑顔である。

 イチゴを2粒3粒と描きながら小丸はつぶやいた。

 「今日は“魔法のくりぃむ”、なかったね」

 コンデンスミルク(以下ミルク様)のことである。今日訪れたイチゴ農園では出なかった。

 小丸は残念だったかもしれぬが、こちらは助かった。

 なぜなら彼は無類の甘いもの好き。あればどうしてもかけすぎたり、イチゴよりミルク様に気を取られたりするからだ。

 そんなわけで我が家におけるミルク様の位置付けは、“イチゴ狩り、もしくは、よその御宅でたまに出る魔法のくりぃむ”ということになっている。

 スーパーでミルク様(赤いチューブ型)を見つけた小丸が、「あれは何」と聞いてきても、「歯磨き粉じゃね?」で通している。陳列がイチゴの隣なので、相当訝しんでいるようだが。

「えんぺつでお手紙」

 ホテルの売店で買ったハガキにも、絵を描いた。じじばばや幼稚園の先生に出すという。

 「ママ、えんぺつ頂戴」

 えんぴつね。はいどうぞ。

 真剣な顔でえんぴつを握り、習字のようにスラスラッと、線(彼にとっては文字)を書いていく。

 黙々と書いていたが、隣で私が住所を書きだすと、「それなあに」と手を止めた。

 「これは郵便屋さんへのお手紙。ここに届けてね、って書いてるの」

 「書くとおばあちゃんに届くの」

 「そう」

 「書かないと届かない」

 「正解」

 「じゃあ書きな」

 なにその命令口調。

 切手を貼るかと尋ねたら、二つ返事で「ここに貼る!」とハガキの真ん中を指した。

 「そこはダメ。貼る場所は決まっている」

 「どうしても?」

 「どうしても」

 この世には決まり事が沢山あるのだよ。多少面倒で窮屈な決まりでも、守らないともっと面倒なことになるのだよ。たとえばこのハガキの決まりを守らなければ、さっそく郵便屋さんが困るのだよ。

 そう言うと小丸は「そうか。そうなのか」と神妙な顔で頷いて、所定の位置にぺたと貼った。

 今すぐ投函しに行く、と言い張る小丸をなだめる。

 「郵便屋さんももう寝る時間」

 絵本を読んで、照明を落とすと、風の音が聞こえてきた。

 「ママ怖い?」

 「ちょっとね」

 「大丈夫だよ。小丸がママを、守ってあげるからね」

 N氏はすでにぐうぐう寝ている。

 これ以上の幸せがこの先あるのだろうかと、不安になるほどの夜だった。

 小丸は今月、4歳になった。

今週の春口さん

ハガキは帰宅した翌々日に到着。ポストを覗いた小丸は、「郵便屋さんが持ってきてくれた」と大喜びでした。

プロフィール

春口裕子(はるぐち・ゆうこ)

 1970年横浜生まれ。慶応義塾大学卒業後、損害保険会社に入社。広報の仕事でエッセイを書きながら、「やはり物書きの道へ」と心を決める。旅行と甘いものが好き。01年よりOLを辞め、執筆業に専念。同年、ホラーサスペンス大賞で『火群の館』(新潮社刊)が特別賞受賞。著作に『女優』(幻冬舎)。近著『ホームシックシアター』(実業之日本社)も好評発売中。

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