現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. トラベル
  4. 鉄道
  5. ニュース
  6. 記事

来春廃止 ブルートレイン「はやぶさ」に乗ってみた

2008年12月19日

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真東京駅に入線するブルートレイン「はやぶさ」「富士」。これから機関車を逆方向につけかえる「機回し」がある=12月1日 〈写真特集〉はこちら 写真はやぶさの方向幕。国鉄形式のままだ写真下関に到着。これから関門トンネルに対応した機関車につけかえる 〈写真特集〉はこちら

JRグループは12月19日、東京と九州を結ぶ寝台特急ブルートレインとして、最後まで残っていた「はやぶさ」「富士」の廃止を正式に発表した。09年3月14日のダイヤ改定で廃止される。

 「ブルートレイン」は、1970〜80年代に大ブームとなり、東京駅からは毎日、九州に向けて何本もの列車が走った。しかし、今や東京駅を出発するブルートレインは1日1本。今や時代遅れともいえる「汽車旅」の独特の魅力に迫ってみるべく、アサヒ・コム編集部の取材班が、寝台特急「はやぶさ」(東京−熊本間)の約1300キロの長旅を体験した。(取材日:2008年12月1〜2日。取材協力:JR各社)

     ◇

東京駅 機関車の方向転換「機回し」

 08年12月1日17時21分、東京駅10番線。先頭の電気機関車含めて計13両の青い列車が滑り込んできた。九州ゆきのブルートレインとして残る最後の1本だ。東京−熊本間の「はやぶさ」と、東京−大分間の「富士」。九州の門司までは、併結して走る。

 実は東京駅につく唯一の客車列車でもある。客車列車は、エンジンやモーターなど動力を持たない車両で構成された列車で、先頭に機関車をつけて、機関車が引っ張る形で運転される。そのため、方向転換をするには、機関車をもう一方の端まで運んで、連結しなおす必要がある。これを「機回し」といい、ブルートレインの発車前の見どころだ。

 昭和30〜40年代まで、長距離列車の多くは客車列車だったため、当時は当たり前だった光景だが、いま東京駅でこれが見られるのはこの1回だけだ。

このシーンの写真はこちら

     ◇

いよいよ出発〜車内見学

 東京−熱海 18時03分。バタンと音を立てて折り戸が閉まった。ピーーッと長めの汽笛。列車はゆっくりと動き出した。有楽町、新橋。よく使う山手線のホームと、寝台車の中の自分のギャップがなんだかくすぐったい。

 品川をすぎた辺りから、スピードが上がり、特急列車らしい走りに。大森、蒲田、川崎─。通勤客でいっぱいのホームが近づいては遠ざかる。

 東京の次に止まるのは横浜だ。その後は、熱海まで止まらない。停車駅は絞られている。横浜の手前で、車掌が検札にやってきた。所属は、JR西日本の下関乗務員センターだという。

 車内を見学することにしよう。列車は12両編成。前の6両が熊本ゆき「はやぶさ」。後ろの6両が大分ゆきの「富士」。関門海峡を渡った門司で、切り離される。「はやぶさ」の6両のうち、個室車両は2両。1両が「シングルDX」と名付けられたA寝台個室。もう1両が「ソロ」という名のB寝台個室。残り4両は、廊下と寝台にしきりのない一般のB寝台だ。取材陣が乗り込んだのも、このB寝台。上下2段ベッド2つが向かい合って、ボックスをつくる。

 いずれも車歴30年前後で、設備の老朽化は否めない。逆に言うと、懐かしいものでいっぱいだ。国鉄のマークがついた灰皿、たたまれた紙コップを開いて使う冷水器など、最近の電車では見なくなったものだらけだ。

 少し前までは、ソファが並ぶロビーカー、シャワー設備などもあったが、現在はなくなってしまった。70〜80年代のブームの頃には、「走るホテル」と形容されたが、今やこころもとない。

 この日、個室は満室だったが、B寝台はざっとみて1〜2割程度が埋まったのみ。鉄道ファンと老夫婦がほとんどで、背広を着たビジネスマンは見あたらなかった。

このシーンの写真はこちら

     ◇

駅弁で晩酌

 熱海−静岡 熱海を出たところで、夕食の時間としよう。私は「深川めし」。同行した別の記者は「栗おこわ弁当」。いずれも、東京駅で購入した駅弁だ。

 「はやぶさ」をはじめ、九州方面の寝台列車の食堂車が一斉に廃止されたのは1993年。現在は、車内にはソフトドリンクの自販機があるだけだ。明日の朝まで車内販売もなく、途中で買えるほど長時間止まる駅もない。なので、食料は乗り込む前に必ず買っておく必要がある。缶ビールなどのアルコール類も同様だ。

 ほの暗い寝台ベッドの上での晩餐は少し寂しい。とはいえ、目的地の時間も気にせずゆっくり食べられるのは寝台列車ならでは。流れる夜の風景を見ながら、味わうことにする。

 鉄道ファンの作家はたくさんいるが、夜行列車といえば内田百間を思い出さずにいられない。昭和20年代、戦後の混乱が少しずつおさまり、復旧しだした長距離優等列車に、何の用もなくただ乗り込んだ。そのスタイルを「阿房列車」と名付けた。当時、鉄道趣味そのものが一般的でなかったから、列車に乗ることが目的の旅というアイディアは理解されず、「阿房」と名付けた。だが、今は理解されたのかどうか、たくさんの「阿房」がいることは間違いない。

 その内田百間が、食堂車がない寝台列車に乗るときに必ず持ち込んだのが、熱燗が入った魔法瓶。今回、それを再現して持ち込んでみた。魔法瓶からシュルシュルと注ぐそばから、湯気が出る。日本酒独特の香りが鼻をくすぐる。温かさが体にしみる。とりわけ、冷たい車窓とのコントラストがいい。

 迫り来る九州ブルートレインの廃止で、そんな内田百間の世界を追体験できるのも、あとわずかだ。

このシーンの写真はこちら

     ◇

ベッドメイキング〜眠る関西

 静岡−大阪「どうぞ、ごゆっくりおやすみください」

 21時ちょうど。チャイムとともに今夜最後の車内放送がある。今後は明朝6時まで車内放送をしないことを告げ、停車駅と到着時刻を丁寧に説明したあと、アナウンスを終えた。すぐに、廊下側の蛍光灯が暗くなり、続いて座席天井の蛍光灯が消えた。いわゆる「減光」だ。

 それに合わせてベッドメイキングをする。寝台1つに用意されたリネンは、シーツ、毛布、枕と浴衣。座席の荷物を床に置き、空いた寝台にシーツを敷き、枕と毛布を置く。これでベッドになった。

 魔法瓶の熱燗のほか、ウィスキーの水割りもなめながら、明日の予定をぼんやりと考える。すっかりうっとりした気分になり、予定より早いが横になることにした。

 目が覚めると、真っ暗な山の中だった。どうやら東海道線随一の積雪地帯、関ヶ原付近らしい。駅を通過する瞬間だけ、明かりが強くなり、またすぐに闇に戻る。

 23時47分、米原に到着。時刻表では通過になっているが、運転士の交代のために停車するという。交代する回数は意外と多い。東京−熊本間で、10回にものぼる。

 流れる景色に明るさが少しずつ戻ってきた。関西の中心へ向かっている。

 1時6分、いよいよ今夜最後の停車駅、大阪に到着。他の路線はすべて終電が出た後。ホームは閑散としている。ホームの案内板に「中国・九州方面」とあるが、現在大阪駅から九州へ向かう列車はこの1本のみ。廃止された後は、どうなるのだろうか。

 遠くの車両に誰かが乗り込んだ。今晩一番最後の乗客かもしれない。終電まで梅田で飲んで、列車で寝てるうちに家に帰ろう……そんな客だろうかと想像する。東京を出てすでに7時間。さまざまな客を乗せて、「はやぶさ」は夜を走る。

このシーンの写真はこちら

     ◇

瀬戸内の夜明け

 広島−新山口 「瀬野」。次に目が覚めたのは、聞き覚えのある駅を通過した時だった。「セノハチ」で知られる山陽本線の急勾配区間が終わったところらしい。午前5時20分。そろそろ広島に到着する時刻だが、どうやら遅れているようだ。まだ外は真っ暗。結局、広島には13分遅れで到着した。

 6時過ぎ。岩国を出た後、「おはようございます」の声とともに、今朝最初の車内放送が始まった。遅れは、加古川付近の線路点検のためだという。

「通勤電車の関係で、下関ではさらに遅れる予定です。お急ぎの方は車掌にお知らせください」

 驚くことに、寝台特急よりも通勤電車を優先するらしい。確かに、日々の通勤客のほうが数分の遅れにも敏感なのだろうが、列車番号「1番」を与えられた特急列車が、普通電車に先を譲るというのはちょっと複雑な気分になる。

 岩国をすぎたあたりで、瀬戸内海が窓一杯に広がる。東の方はうっすら赤くなりはじめている。朝はもうすぐだ。

 徳山から、待望の車内販売が始まった。この地方の名物駅弁「あなご飯」は限定品。知識のある乗客は、車内販売が乗り込む車両まで出かけて、ワゴンに並んでいる。

 通過する小駅のホームには制服姿の若者が見える。彼らにとって、またいつもの一日の始まり。列車は、何気ない風景を常に切り取りながら、次の街へ急ぐ。

このシーンの写真はこちら

     ◇

いざ九州 機関車付け替え、列車切り離し

 下関−博多 下関が近づくと、乗客のうち何割かは先頭の車両へと急ぐ。下関での機関車の付け替えを眺めるためだ。下関と門司の間は、関門海峡があり、列車は海底の下の関門トンネルを走る。そのため、この区間は、塩害対策をした専用の機関車が引っ張ることになっている。

 ここまで約1100キロを引っ張ってきたEF66とは、お別れだ。機関車のある先頭部分に集まった乗客の多くが、ここで記念撮影をする。

 関門トンネルをくぐると九州だ。九州最初の停車である門司では、機関車の付け替えのほかに、「はやぶさ」と「富士」の切り離しがある。東京から門司まで一緒に走ってきた2つの列車は、ここで熊本ゆきの「はやぶさ」と、大分ゆきの「富士」に切り離され、それぞれまた別の機関車を先頭に据えて、おのおのの終着地に向けて走り出すのだ。

 客車列車そのものが珍しくなった現在では、こうした光景を見られる機会はほとんどない。列車の長い行程の中でクライマックスといってよく、多くのファンをひきつけている。

このシーンの写真はこちら

     ◇

初冬の九州路〜1300キロの旅の終着 博多−熊本

 10時30分、博多に到着。寝台特急は朝7時を過ぎると、自由席特急券と同じ値段で、乗ることができる。寝台特急の「昼の顔」だ。ただし、足の遅い寝台特急は、最新型の特急電車に何度か追い抜かれる。特急が特急を追い抜くのだ。車掌がしきりに車内を回り、急ぐ乗客には後続の特急電車に乗り換えるよう勧めていた。

 しかし、古い車両にゆっくり揺られながら移動するのも悪くない。モーターやエンジンの音がしない静かな車内は、初冬らしい暖かい日光が差し込んでポカポカと暖かく、ついもう一眠りしてしまいそうだ。

 12時少し前、玉名駅に臨時停車。ダイヤ上はすでに熊本に到着している時刻だが、遅れを他の列車に波及させないため、ここで特急電車2本に抜かれるという。この分だと、遅れは40分以上になる。ただ、もっと遅れがひどい場合は、途中の下関や博多で運転を打ち切ってしまうというから、まだマシなのかもしれない。

 12時31分。全長1293キロを18時間以上をかけて、「はやぶさ」は熊本駅の1番ホームにすべりこんだ。わずかながら、ホームには出迎えの人がいた。長距離列車の面影がまだ残っていた。

このシーンの写真はこちら

     ◇

「はやぶさ」の昼寝 熊本車両センター

 「はやぶさ」の車両の清掃、点検をするJR九州の「熊本車両センター」を訪ねた。東京ゆき上り「はやぶさ」の熊本発時刻は15時57分。つかの間の休息だ。必ず車体は水洗いをし、車内は掃除機をかける。多くの係員が、車両に出たり入ったりしながら、次の長旅への準備をしていた。

このシーンの写真はこちら

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内
  • 中国特集へ
ここから特集記事

アサヒ・コム プレミアム

プレミアム

思ひ出鉄道館

「思ひ出鉄道館」

全国各地を走る個性豊かな列車たちの写真を紹介します