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「団子っ鼻」存分に見て 新幹線0系、設計者誇る台車も

2009年10月23日

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写真開業当時の東京駅ホームを再現した0系新幹線の展示コーナー=21日午後、さいたま市大宮区の鉄道博物館、安冨良弘撮影写真苦心して設計した0系の台車の思い出を語る島隆さん=さいたま市大宮区の鉄道博物館

 「団子っ鼻」の愛称で親しまれ、昨年11月に引退した初代新幹線0系の先頭車両の一般公開が、さいたま市大宮区の鉄道博物館で始まった。高速走行であまり目立たなかった部分も、じっくりと見ることができる。半世紀前、世界最速の車両を支える台車を設計した元技師は「なかなか見てもらえなかったので、うれしい」と感無量だ。

 この元国鉄技師は、島隆さん(78)=東京都品川区。「新幹線の生みの親」と呼ばれた元国鉄技師長の故・島秀雄さんの次男だ。蒸気機関車の技師として広島県にいた58年、新幹線の設計メンバーとして東京に呼ばれた。計画は時速200キロ超。当時の列車の最高速度の約2倍にあたる。「本当にできるのか」と半信半疑だった。

 担当は台車の設計。苦心したのは「蛇行動(だこうどう)」への対策だった。高速走行時に台車や車軸が振動する現象で、脱線事故を起こす危険性もある。しかし、200キロ超の時速は、未知の世界だった。

 国鉄の鉄道技術研究所に勤務していた故・松平精(ただし)さんから、助言を得た。戦時中の零戦の空中分解の原因とされた尾翼の振動現象を参考に、台車の強度などを計算。タイプの違う6台を試作し、走行試験を繰り返した。データを集め、「6台のいいとこ取り」(島さん)で完成した。

 「DT200形」。自慢の速度にちなみ、そう名付けられた。技術者たちの誇りが込められていた。

 0系は64年、東海道新幹線開業とともにデビュー。台車は重い車両を支え、最高時速210キロの高速走行にも耐えた。新幹線は現在まで、乗客が死亡する大事故は起きていない。島さんは、その礎を築いた自負がある。分割民営化の2年前の85年夏まで国鉄に勤めたが、「0系は脱線が一度もなかった。技術者として誇らしい」と言う。(関謙次)

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