カンカン部隊、肝っ玉 志賀(しかの)島(福岡県)2006年11月17日 夜まだ明けない早朝4時。そこだけこうこうと電気がつく漁協市場に、まるで明かりに群がる蛾(が)のように闇から人が集まってくる。みんなおばさん。おばあさんもいる。ナイロンのヤッケに前掛けを締めて、長靴姿で元気がいい。あっという間に30〜40人になった。博多名物の女行商人。俗にいうカンカン部隊の一団で、筋金入りだ。
◇ 「今日も来とっとか。きのうは魚がなかとやったもんなあ」 思いっきり肩をどつかれた。昨日は志賀海神社の祭りで漁が休みだった。漁師たちは朝から酒で顔を赤くして騒ぎ、女たちは潮焼けした顔に白粉を塗り、唇に紅を差したが、一夜明ければ男は暗い海に、女は普段の肝っ玉母ちゃんに戻る。 島は1914(大正3)年に大火災に見舞われた。人家の半分が焼けた。失意の中で立ち上がったのが、女たちだった。島で獲(と)れる魚をカンカン(一斗缶)に入れて天秤棒(てんびんぼう)で担ぎ、あるいはリヤカーを引いて博多の町を行商して歩いた。それぞれ決まったお得意さんができ、来るのを待っていてくれた。 「地の魚を朝一番のセリで仕入れ、その足で売りに行く。新鮮でお得意さんに喜ばれるとよ。一日行かんと『何ばしとったと』と怒られる」 行商50年の宮本民子さん(80)が言った。女行商人は40人。昭和30〜40年ごろには100人近くいた。 ◇ この日、市場にはサヨリ、タイ、タチウオ、カレイ、サゴシ(サワラ)などが並んだ。市場にダミ声が響く。女衆の手が上がり、指が動いて次から次とセリ落とされていく。山と積まれた魚箱は30分足らずではけた。 セリ落とした魚をその場で腹を裂いて内臓を抜き、ウロコを落として氷詰めにする。空がうっすら白んできた。志賀島発博多行きの一番の渡船が6時25分に出る。 (文・イラスト 遠藤ケイ) 見どころ
見どころ博多湾の北側。以前は干潮時に砂洲でつながっていたが、現在は橋がかかり、島に渡る「海の中道」はリゾート地として開発されている。
●金印公園1784(天明4)年、島の水田の石の下から「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)と刻まれた金印が出た。西暦57年、後漢の光武帝が倭の奴国王に与えたものといわれ、邪馬台国と大陸の歴史ロマンを秘めている。園内には金印のモニュメント=写真=があるが、国宝指定の実物(高さ2.2センチ、一辺の長さ2.3センチ)は福岡市博物館に展示されている。
●万葉の碑万葉集に多く詠まれ、「万葉の島」といわれるほど。しかのしま資料館、蒙古(もうこ)塚などの観光スポットを中心に、防人たちが詠んだ歌碑が10基建っている。島を一周しながらの碑巡りも楽しい。
●潮見公園標高176メートルで、島の最も高い場所にある。玄界灘から博多湾の360度の視界、博多の街の夜景が満喫できる。
◆案内福岡市役所 問い合わせは092・711・4111 福岡観光コンベンションビューロー 問い合わせは092・733・5050
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