アッピア街道(イタリア・3)

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 ローマの建国は伝説上、紀元前753年とされ、前509年には共和政となり、前272年にはタレントゥム(現ターラント)を占領してイタリア半島を統一した。「すべての道はローマに通ず」という言葉のように、ローマから各地に通じている「道」が半島の統一に貢献したことは言うまでもない。そのうちのもっとも重要な道が“街道の女王”と称された「アッピア街道」である。

 アッピア街道は、検察官のアッピウス・クラウディウス・カエクスの主導によって、前312年に着工され、まずローマからカプアまでの約200キロが完成した。その後、ベネウェントゥム(現ベネヴェント)、タレントゥムを経て、ブルンディシウム(現ブリンディジ)に到達した。その距離約600キロ。主に軍用道路として使用されたが、多くの人々や文物が行き交い、東西交易の主要ルートとなった。

【アッピア街道】世界中の交易品を山積みにした隊商が行き交い、敵地へ赴く軍隊が隊列を組んで進んだ道。ローマと、アドリア海に面したブリンディジを結ぶ約600キロのアッピア街道は、四方八方に伸びたローマの街道のなかでも最も重要な幹線とされた。紀元前312年に着工され、前3世紀中頃に全通した。ローマ帝国の生命線は、今なお、昔日の面影をとどめている。

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サン・セバスティアーノ門

ここからアッピア街道が始まる

写真

 アッピア街道の起点とされ、政治の中心地であるフォロ・ロマーノにつながっている。門からは堅牢な城壁が左右に伸び、ローマ市街全体を囲んでいる。

 この城壁はアウレリアヌス帝(在位270〜275年)が建てたもので、門に城壁博物館が併設されており、城壁の上を歩いて見学できる。内側にはカラカラ浴場に水を送るための水道の橋脚、通称「ドルススのアーチ」の遺構がある。

 門から約100メートルほどのところに第一のマイルストーンがある。アッピア街道の起点からの距離を示す大理石の円柱で、1マイル(約1.5キロ)ごとに設置された。

●地下鉄B線ピラミデ駅から徒歩で約15分。

【旅のオアシス・泊まりたい極上ホテル】

[ターラント]ホテル・ヨーロッパ

新旧両市街の観光に便利 写真

 紀元前8世紀からギリシャ人が住んでいた「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」の中心地であったターラント。市街は新旧の2つに分かれている。しかし、ホテルはその両市街を結ぶ開閉式のジレヴォレ橋にほど近い新市街の先端にあるから、新旧両市街のどちらを観光するにも便利だ。

 ビジネス仕様のシングルの部屋は、料金は一番安いが、現代画家やグラフィック・デザイナーのアトリエを思わせるモダンなつくり。大きな窓からは、内海のマーレ・ピッコロを見渡すことができる。

●住所:Via Roma,2−7410
●電話:099−4525994
●料金:シングル77.5ユーロ

http://www.hoteleuropaonline.it

2006年06月01日

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