博多/平戸/対馬(日本・1)
東シナ海や対馬(つしま)海峡を渡って、アジア大陸と日本の間を人々や文物が往来した。博多(はかた)は日本への玄関口であり、平戸(ひらど)や対馬は、海上交通の要衝(ようしょう)だった。
7世紀に国防や外交のために設けた「大宰府政庁(だざいふせいちょう)」。その外港だった博多(現・福岡市博多区、人口約19万6000)には、外国使節や商人を接待した鴻臚館(こうろかん)跡がある。8世紀に新羅(しらぎ)が交易に来日。13世紀後半に2度の元冦(げんこう)があり、防備のために築いた石積みが残る。豊富な遺物が出土した玄界灘(げんかいなだ)の沖(おき)ノ島は、神官が島を守る。平戸(現・長崎県、人口約2万3000)には、遣唐使(けんとうし)船が寄航。16世紀半ば、「倭寇(わこう)王」の王直(おうちょく)がここを拠点に活躍。同世紀後半に、ポルトガルやオランダの船が来航した。対馬(現・長崎県、人口約3万9000)は、九州と朝鮮半島の中間にあり、古来、日本と韓国交流の舞台で、現在、韓国から年間約3万7000人の観光客が訪れる。
【博多】九州北部にあって博多湾岸に面し、大陸との交易の玄関口となっていた博多(現・福岡市)、長崎より早くオランダやイギリスに港を開いた平戸、朝鮮半島との交流の架け橋になった対馬。古来、「海の道」の要地として、対馬海峡を越えて人々や文物が往来し、日本文化の発展に大きく貢献した交易都市だ。
大宰府政庁跡
大陸の脅威に備えた西の都
万葉(まんよう)歌人に「遠(とお)の朝廷(みかど)」と謳(うた)われた大宰府は、福岡平野南東部(現・太宰府市)に築かれた。東西約2.5キロ、南北約3キロの地を碁盤の目に整備して地方行政府を設置、平城京(へいじょうきょう)に次ぐ繁栄を誇った。
663(天智2)年、朝鮮半島の百済(くだら)に援軍を派兵した大和朝廷(やまとちょうてい)が、白村江(はくそんこう)の戦いで新羅(しらぎ)・唐(とう)連合軍に敗れ、翌664年に大陸からの侵攻を防ぐ目的で築いた。博多湾に平行して「水城(みずき)」と呼ばれる堤防を造り、翌665年には、平野を見下ろす山間部に大野、基肄(きい)の二城を築城。防衛体制の中心部に、大宰府政庁を設置した。701(大宝(たいほう)元)年、大宝律令(たいほうりつりょう)が制定されて中央集権国家の基盤が築かれると、西の都として整備がさらに進み、政治・外交・文化の拠点として発展した。
現在、政庁の礎石や門の跡が残る史跡公園があり、敷地内に各種資料を展示する大宰府展示館(9時〜16時30分、月曜休み、入館料150円)がある。付近に、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀った太宰府天満宮(てんまんぐう)、日本最古の梵鐘(ぼんしょう)(国宝)のある観世音寺(かんぜおんじ)など多くの史蹟があり、水城や大野城の遺構も見学できる。
●見学自由。西鉄天神大牟田線都府楼前駅下車。政庁跡までは、徒歩で約15分。
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今津元寇防塞
蒙古軍の上陸を阻んだ
1274(文永(ぶんえい)11)年、博多湾に侵入した元(げん)軍を苦戦(文永の役)の末に退けた鎌倉幕府が、再度の襲来に備えて沿岸の砂丘上に築いた石積み。
1276年、今津から香椎(かしい)にいたる海岸線沿いに約20キロにわたって造られ、1281(弘安(こうあん)4)年の弘安の役では元軍の上陸を阻む役割を果たした。現在、復元された約200メートルの防塞を見ることができる。
●見学自由。筑肥線今宿駅から車で約15分。
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2006年09月14日
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