|
|
|
|
|
|
東日本大震災を鉄道の観点から記録したアエラムック「震災と鉄道全記録」が現在発売中です。本書では、津波浸水区域を走っていた列車すべての被害状況も掲載いたしました。津波により被害を受けた列車はほぼすべて写真も掲載しています。
東日本大震災が発生した3月11日午後2時46分、東北地方の太平洋岸を走るJR、第三セクターあわせて9線区には少なくとも旅客列車15本、貨物列車1本が走っていました。その他、駅や車庫で出発を待つ車両も10両以上ありました。
震災の翌日、JRと三陸鉄道で計4本の列車が「行方不明」と報じられました。誰もが最悪の事態を想定しましたが、その後、列車は被害を受けたものの乗客、乗員はすべて避難して無事だったことが確認されました。
常磐線の新地駅(福島県新地町)に停車中だった仙台発原ノ町行き上り列車には、乗員3人と乗客約40人が乗っていました。その日福島県警相馬署に赴任する予定だった巡査2人も乗車中でした。
地震で列車が大きく揺れ、運転が中断した時、2人はすぐに行動をとりました。手分けして乗客の安全を確認し、運転士に「何かあれば協力する」と声をかけ、乗客の情報で大津波警報が出たことを知り、乗客を誘導して高台まで避難することを決意しました。 その時、一人の年配女性が主張しました。
「家族を待ちたいから、ここに残る」
どうにか説得して駅を出たのですが、女性は足が悪くなかなか逃げるスピードがあがりません。後ろを見ると、津波はもう駅に近づいてきていました。間に合わないと思ったその時、偶然地元の人が運転する軽トラックが横を通りかかりました。頼み込んで女性を乗せ、間一髪で逃げ切ることができました。
気仙沼線では、気仙沼発小牛田行き上り列車が松岩−最知間を走行中、地震にあいました。運転士は無線を受けて乗客をいったん列車前面部のはしごで地上に降ろし、さらに線路脇から内陸部に避難するよう呼びかけました。列車は津波を受けて脱線し、大きく流されて線路脇の田んぼに突っ込みましたが、乗員乗客は全員避難することができたのです。 波にさらわれた列車、高台にいて助かった列車…… 被災した車両はそれぞれに、重い物語を抱えていました。本書では乗客乗員はじめ多くの関係者に取材し、被害と復興に向けたエピソードを掘り起こしています。
200系新幹線や近畿地区の183系、東海地区の117系など、さまざまな国鉄型車両が引退する…
詳細は鉄道コムでご覧ください。