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愛の旅人

映画「カサブランカ」
»〈ふたり〉へリックとイルザ―モロッコ

 不安定な気流に何度も揺さぶられながら、十数人の客を乗せたプロペラ機は砂漠の中の滑走路に降り立った。

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アトラス山脈を背景に砂漠に広がるスタジオ。ハリウッド映画などで使われたオープンセットが今も残る=モロッコ・ワルザザートで

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暑さが和らぐ日没後、旧メディナはますます活気づいた=カサブランカで

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映画をイメージしたレストラン「リックス・カフェ」=カサブランカで

相関図

  

 モロッコ最大の商業都市カサブランカから南へ空路1時間余りのワルザザート。空港から車で10分も走ると、広大な敷地に点在する映画のセットが目に飛び込んできた。 サハラ砂漠の入り口。背後に先ほど越えてきたアトラス山脈が連なる。強い日差しが肌を刺し、空は抜けるように青い。

 広さが60ヘクタールもある撮影スタジオは、モロッコでは最も古く、83年にオープンした。カサブランカから同行してくれた映画制作会社「サンドライン」のカマル・ベルミ社長(50)は誇らしげだった。

 「最近はハリウッド映画が年に1本は撮影されます。この土地の魅力は何と言っても、美しい光です」

 これまでに撮影された米国映画は「ナイルの宝石」(85年)や「クイーン・オブ・エジプト」(95年)、「グラディエーター」(00年)など約10本に上るという。 六十数年前、米国の映画会社がこの国を舞台に米国で撮影したのが「カサブランカ」だ。

 当時のヨーロッパはドイツ軍に占領され、フランス領だったカサブランカは、米国を目指すヨーロッパの難民たちであふれていた。パリで恋に落ちたリック(ハンフリー・ボガート)とイルザ(イングリッド・バーグマン)はこの地で再会、かなわぬ夢に心を焦がす。リックは自分を犠牲にして、イルザと反ナチ活動家の夫ラズロ(ポール・ヘンリード)に通行査証を渡し米国に向かわせる。男のダンディズムに世界中が酔った。

 その人気は半世紀以上過ぎたいまも衰えない。カサブランカの映画研究所長、ヌールディン・サイルさん(56)は「巧みに練り上げられた見事なストーリーとせりふが私たちを酔わせるのではないか」と話す。

 リックがイルザと再会したナイトクラブ「カフェ・アメリカン」は、カサブランカで再現されている。2年前に「リックス・カフェ」を開いたキャシー・クリガーさんは米国人。「すばらしい映画なのに、カサブランカにリックの店がないのはもったいないわ」。繁華街のホテルで営業して30年の「バー・カサブランカ」も健在だ。リックのようなトレンチコート姿の接客で観光客の人気を集めてきたが、さらに映画に近づけようと先月改装を始めた。

 政府も映画産業に力を入れている。ワルザザートの空港は89年に滑走路を拡張。01年にはパリ直行便が就航した。映画専門大学や映画関係者のトレーニングセンターの建設計画も進む。サイルさんは言う。「ハリウッド映画の経済効果は今や年間10億ドルに上る。国内映画の底上げにもつながり、モロッコにとっては大切な産業です」

政治とロマンスの融合

 リックとイルザが恋に落ちたパリ。小さなカフェに黒人歌手サムの「時の過ぎゆくまま」が流れる。ひどく取り乱しているイルザに向かって、リックは「君の瞳に乾杯!」とグラスを傾けた。店内に飛び込んでくるドイツ軍の拡声機の声。イルザは「全世界が崩壊しようという時を選んで、私たちは恋に落ちたのね」。「うん、まったくタイミングがまずかった」とリック。ふたりは激しく抱き合う。

 列車で一緒にマルセイユに行くことを約束したが、待ち合わせの場所にイルザは現れなかった。

♪  ♪  ♪

 「カサブランカ」の映画化が動き出したのは1941(昭和16)年12月27日。日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった20日後だった。原作は高校の英語教師が38年、欧州旅行した経験が下敷きになった舞台劇「みんながリックの店にやってくる」。カサブランカに住む米国人が自由の国アメリカへ脱出しようとするヨーロッパ難民たちと繰り広げる物語だ。ブロードウェーにかけられる前に頓挫したが、ワーナーブラザーズは未上演の舞台劇としては過去最高の2万ドルを支払った。

 米国映画に詳しい相模女子大教授の曽根田憲三さん(59)は「ハリウッドは国民の士気を高めるプロジェクトが必要だった。物語の舞台が北アフリカというのも、エキゾチックな街での悲劇の恋を描いたヒット作『カスバの恋』を思い出させて良かったのではないか」と言う。

 ヨーロッパ大陸はデンマークやオランダなどがヒトラーに支配されていた。フランスも40年6月にドイツ軍によってパリが陥落。カサブランカは家族や故郷を失ったヨーロッパ難民たちであふれていた。

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 映画作りは脚本の段階から難航を極めた。イルザ役のイングリッド・バーグマンは自伝「マイ・ストーリー」の中でこう振り返っている。

 最初から脚本家とプロデューサーの意見が合わず、議論のたびに、脚本はめちゃくちゃに変えられた。撮影は毎日その場の思いつきで進められる始末だった。自分はヘンリード(ラズロ)とボガート(リック)のどちらを愛しているのかわからなくて、しつこく質問した。監督は「まだわからないんだ。うまくやってくれよ。どっちつかずでと言うだけだった」という。

 監督と脚本家のこのぶつかり合いが究極のメロドラマを生む原動力になった。リックがパリでのイルザとの日々を回想するシーンもその一つだ。

 春のパリ。リックが並木道でゆっくりとオープンカーを走らせ、助手席でイルザがリックに腕を回す。リックのアパート。イルザが窓際で花を生けている。「本当は君は誰なの?」。イルザは「私たち何も聞かない約束よ」。そしてカフェでの最後の約束……。リヨン駅で雨に打たれながら待ったリックは、サムが持ってきたイルザからの手紙にぼうぜんとする。

 「ご一緒に行くことも、二度とお目にかかることもできなくなりました。ただ、あなたを愛していることだけは信じていただきたいの……」

 降り注ぐ雨に文字がにじんでいく。

 回想シーンは最初、ふたりが無言のまま凱旋門の前をドライブする場面しか撮影されなかった。脚本家が「必要ない」と主張したためだが、監督は自らの権限で脚本を書き直した。

 結末でも難航した。イルザとラズロが米国へ行くのか、それともイルザはリックとともにカサブランカに残るのかが決まらない。エンディングは二通り撮影することになった。

 ところが、イルザとラズロを飛行機に乗せた後、リックが地元警察署長と霧の空港を歩きながら去っていくシーンが突破口になる。リックが「たぶん今から美しい友情が始まるんだよ」というせりふを吐いたとたん、全員が「これだ! もう一つのエンディングは必要ない」と声をそろえたという。

 バーグマンは「そのせりふを聞くまで、誰もそれが結びのせりふとなることを知らなかった。ましてやこの映画がオスカー(アカデミー賞)を獲得することなど、知るよしもなかった」と振り返る。

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 全米の映画・テレビ脚本家約1万人人で組織する米脚本家組合はこの春、歴代の最も優れた映画脚本に「カサブランカ」を選んだ。

 曽根田さんは「もし焦点がリックとイルザ、ラズロとのロマンスのみに置かれていたら、ありふれた作品になっていたに違いない」と指摘し、「政治とロマンスに関する白熱した議論、脚本家と監督の意見の対立が見事なバランスを生み出し、『カサブランカ』に不死身の生命を与えたのは皮肉としかいいようがない」と語る。

文・佐藤昭仁 写真・岩下毅
(07/15)
〈ふたり〉

 舞台は1940年、フランス領モロッコのカサブランカ。ナチスの侵攻から逃れ米国へ亡命しようとするヨーロッパ人たちであふれていた。ある日、リックが経営するクラブ「カフェ・アメリカン」に、反ナチ運動のリーダー、ラズロが妻のイルザを伴って現れる。

 リックとイルザはかつてパリで恋に落ち、米国への亡命を誓い合った仲だった。しかしイルザは待ち合わせの駅に現れなかった。死んだと思っていた夫ラズロの生存がその直前に確認されたためだった。

 イルザとの再会にリックの心は揺れる。イルザもリックへの思いを募らせていく。

 パリの回想シーンでのリックのせりふ「君の瞳に乾杯!」(Here’s looking at you,kid)は有名。ふたりが会うたびに流れる音楽「時の過ぎゆくまま」(As Time Goes By)も多くの人を魅了した。

 監督はマイケル・カーティス。43年のアカデミー賞で作品賞、脚色賞、監督賞を受賞した。日本公開は46年。



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