「風のような物語」
»〈ふたり〉へ星野道夫と直子―アラスカ
子グマに寄り添う白クマの写真が、窓際の壁にちょこんと掛かっている。眠っているような母親の目が優しい。
 夕暮れが近づく午後9時過ぎ、グリズリーの親子を見つけた=アラスカ・カトマイ国立公園で
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 カメラを警戒するカリブーの群れ=デナリ国立公園で
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 星野道夫の遺骨を分け、北極圏の川のそばに埋めた。そこに咲いていた花を押し花にした
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 星野道夫一家(左から翔馬君、道夫さん、直子さん)=96年、神奈川県葉山町で、星野直子さん提供
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千葉県市川市のマンションにある事務所で、星野直子さん(36)は動物写真家・星野道夫の写真を初めて見たときの印象を話してくれた。
極北の自然と生命を18年間撮り続けた星野は96年夏、ロシア・カムチャツカ半島のクリル湖畔でクマに襲われて逝った。あれから10年がたつ。
「最初は見逃しそうだけど、よく見ていると、大きな風景の中に動物たちがしっかり生きている。こんな写真にひかれたんです」
彼女はそのときの写真集「Alaska風のような物語」を開いた。
秋の午後、白いマッキンリー山を背に子連れのムース(ヘラジカ)が、池のほとりで水草をゆっくりと食べている。とりどりの色に染まる自然の中に、3頭は完全にとけ込んでいる。静かに広がる波紋――そんな一枚だ。
写真集は91年、母が見せてくれた。両親がクリスチャンで、直子さんも千葉県松戸市の教会に通っていた。そこの牧師夫人が星野の姉で、家族ぐるみで交際していた。姉が星野との縁談を仲介し、「会ってみない」と、母にお見合いを持ちかけた。
直子さんは星野の多彩な写真に次第に引きつけられていく。何回も繰り返して見た。「どんな人だろう、って思ったんです」
それが始まりだった。
「生命」を、壮大な自然の中の小さな一部としてとらえた星野の作品。私はこんな写真が印象に残る。
果てしない白夜の北極海を、2頭の白クマが白い息を残しながらアザラシを追っていくショット。凍(い)て付いた早春の川を3頭の子グマを連れた母親が渡ろうとしている。4頭はちっぽけな黒い点に過ぎないけれど、そこにしっかり存在している一枚……。
エッセーはあまり熱心な読者ではなかった。取材を機に読んだ一節になぜか、引っかかった。星野の写真のどこかに、こういう情景があったような気がした。
「一頭のハイイログマが、生命のかけらさえも見えない白い世界で、何かを考えているかのように、ポツンと座っている。(略)ただそこに、ポツンと腰をおろしている。どんなにドラマチックなシーンより、こういう風景が強く記憶に残ってゆく」
押っ取り刀の旅人がそんな場面に出会えるかどうか、心もとない。でも、「鳥の目になって、空から見ないとわからない気の遠くなるような風景」と表現し、のめり込んでいった極北を、見たいと思った。そして、直子さんが星野とともに居る場所と決めたアラスカを歩きたかった。
北極圏はいま、つかの間の夏だ。ツンドラ地帯に、さまざまな野の花がわき上がるように咲いていた。
こだわって撮りたいんだ
アラスカ半島のカトマイ国立公園に、私たちはクマを探しに行った。
星野道夫も結婚した年の93年秋、直子さんをここへ連れてきた。10日間のテント生活で、彼女は間近にたくさんのクマを見る。地響きをたててムースを追う巨大な一頭、テントの周りで、落ち葉を踏みしめる足音、クマのいびき……。「写真集の光景が、目の前で起きていた」。クマの密度の濃さに、「五感をピンと働かせて」緊張していたけれど、そばに夫が居る……。ここは思い出の場所だ。
クマに会った。
まとわりつく蚊にうんざりしながら湖のたもとを歩いていた。妙な気配に振り向くと、大きなクマがニュッと現れた。子グマも出て来た。距離10メートルほど。誰もいない。「怖いのは子連れの母グマだ」の星野の言葉が頭をよぎる。母グマと目があった。足がすくんだ。「背中を見せるな」「馬よりも足が速い」――着いた直後、レンジャーが繰り返した注意など、すっかり忘れ、ひたすら逃げた。
それから何回、見ただろう。ここは人間が間借りする「クマの国」だ。
♪ ♪ ♪
カトマイから、いくつもの小型機を乗り継いで北極圏に入った。北の果てのカクトビック村を拠点に、極北をさまようカリブーの季節移動を撮影する。数万頭の群れが原野をさまようカリブーの旅に、星野はひかれた。新婚の直子さんをカリブーの撮影にも連れ出す。自分の現場を一刻も早く知ってほしかったのだろう。
秋と冬を過ごす南の森林地帯から1000キロ以上の旅を続け、春から夏にかけ北のツンドラ地帯で子を産み、育てる。そしてまた、南へ戻っていく。何万年の時間の中、それをずっと繰り返し続ける。「自分自身の短い一生と、カリブーの旅が、どこかで触れ合っている」と星野は言った。
♪ ♪ ♪
「大きな群れが谷に集まっている。このチャンスを逃す手はないぞ」。軽飛行機の操縦士トムさん(50)が騒ぐ。谷間の出口で夜を明かして待てば大きな群れに出会えるというのだ。「95%は絶対」と言った。キャンプ用具を積んで飛んだ。なるほど、浅い谷に1万頭ほどの群れが集まっている。
人生はやはり、「5%」なのだ。
その群れを谷の出口で朝まで待った。群れはしかし、遠回りして裏側の谷から消えていた。物事がうまく運ばない時、先住民がよく言う言葉があった。「風とカリブーの行方は誰も知らない」
地上の出会いは果たせなかったけれど、空から見たツンドラに、カリブーの群れが踏みしめたいくつもの筋が残っていた。「道」は、沼や川を抜けて地平線までずっと続く。
「この壮大な旅を地球上に残せるかどうか、人間は最後の試験を受けさせられている」。星野がそう記した「最後の試験」がいま、始まった。
地衣類(ちいるい)を食べ、子育てをするこの一帯に、国家規模の油田開発計画が進む。300人の村は石油会社の懐柔策で半数以上が賛成に回った。
♪ ♪ ♪
フェアバンクス郊外、針葉樹とシラカバに囲まれた小高い丘に星野の自宅がある。90年に造ったログハウスだ。
その応接間で西山周子さん(63)に会った。75年に大学教授として赴任した夫とともにここに来て31年間、アラスカを目指す多くの若者たちを親身になって世話してきた。星野は不器用だけれど、ユーモアがあって、感受性の強い若者だった。星野も慕った。いつもは「奥さん」と呼んでいるのに、無意識に「お母さん」と言って、照れ笑いをした。「アラスカの母」は、素人の目で写真に率直な意見を述べ、よろず相談にのった。貧乏暮らしの星野のために、写真集を売り歩いた。
アラスカの撮影は金がかかる。チャーター機を飛ばし、それも動物次第。「ダメだったよ……」。残念そうに戻ってくる星野に、「こっちも悲しくなっちゃうの」と西山さんは言った。
そんな「戦友」が突然、消えた。
「クマがどうのこうの、じゃないの……。これからの才能が、ブツって切られちゃった。それが悔しい」
亡くなる年の正月、神話を題材に南東アラスカへ撮影に行く星野がアンカレジ空港から電話をかけてきた。
「今年のモットーは」と言って続けた。「こだわる生き方をするんだ」
有名になるにつれ、「頼まれ仕事」が増えてきた。クマに襲われたカムチャツカ半島のテレビ番組がそうだったのか、誰もわからない。
西山さんと別れる時、入り口脇の真っ赤な4輪駆動車に気づいた。91年、星野が買った初めての新車だった。
この車を駆ってきっと、「こだわりの写真」を撮りたかったのだ。
文・斎藤鑑三 写真・山下壮一郎
(07/22)
〈ふたり〉
91年末、直子さんの実家でふたりは会った。カリブー(トナカイ)、グリズリーと呼ばれる大きなクマ、クジラ、そして動物撮影の苦労話や日々の生活……。海外旅行に縁のない22歳の直子さんにとって、星野の話はどれもが新鮮だった。
慶応大を卒業した星野は動物写真家田中光常(こうじょう)さんの助手を務めた後、アラスカ大に留学。本格的な撮影を始めた。90年に木村伊兵衛賞を受賞するなど写真家として注目されていたが、17歳年上、ジーンズ姿の星野は「まったくの少年でした」。
3カ月後、アラスカに戻った星野は撮影の旅先から、たくさんのカードを送ってきた。花が好きな直子さんへ、いつも野の花の絵だった。いつかの文面にあった。「自分が死ぬとき、写真集が何冊あったか、なんて、重要なことではないんだ」
93年に結婚。父が逝ったとき1歳だった長男翔馬(しょうま)君は小学6年生だ。直子さんは夫の写真を管理し、出版、写真展など多忙な日々が続く。