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愛の旅人

高橋治「風の盆恋歌」
»〈ふたり〉へ都築克亮と中出えり子―富山市・八尾町

 編み笠を目深にかぶった一団が、ゆっくりと踊りながら近づいてくる。しなやかにひざが折れ、すーっと伸びた手が宙を漂う。街筋に響く哀調を帯びた越中おわら節。三味線と胡弓(こきゅう)がもの悲しい旋律を紡ぎ出す。

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おわらの踊りは日本舞踊の振りがとり入れられている。はっとするほど美しい空間を描き出す=富山市八尾町で

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踊りと観光客がぼんぼりの間をゆっくりと動いていく=富山市八尾町で

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歌や三味線、胡弓の地方はこの日のために腕を磨いてきた=富山市八尾町で

相関図

  

 富山市八尾(やつお)町の「おわら風の盆」。この街を舞台に、高橋治さん(77)は小説「風の盆恋歌」を描いた。

 都築克亮(つづきかつすけ)と中出えり子が逢瀬(おうせ)を重ねる。学生時代から淡い恋心を持ってきたふたりに誤解が生まれたのは約30年前。旧制高校の同級生らと訪れた風の盆の夜だった。お互い別に好きな人がいると思い、身を引いたまま、過ぎ去った青春時代。パリで再会したふたりは風の盆で愛し合う。

 おわら風の盆は、約300年前の元禄のころに始まったとされる。二百十日の暴風を鎮める祭りとして発展。八尾の中心街、11町内の人たちは毎年9月1日から3日間、街筋を練り歩きながら踊り、歌い明かす。種まきや稲刈り、稲のはさがけなど農作業の身ぶりが取り込まれた素朴な踊りだが、長い年月をかけて磨きがかけられてきた。

 三味線を弾き続けて60年になる杉崎茂信さん(76)は「全員の息がぴったり合う瞬間がある。それは鳥肌が立つくらいたまらない」と言う。みんなそんな快感を味わいたくて、この日のために並々ならぬけいこを重ねる。

 この祭りが注目されるようになったのは1970年代の民謡ブーム。さらに85年、「風の盆恋歌」が単行本化されると、おわらブームに火がついた。その後のテレビドラマ化、演劇化、歌謡曲化などで、たちまち全国区になった。ふだんは人口6千人ほどの八尾の中心街が延べ20万人から30万人の観光客であふれかえるようになった。

 高橋さんは毎年欠かさず風の盆を訪れている。会うことができたのは祭りの2日目の夜だった。「昔は3万人ほどしか来なかった。元凶はお前だから27万人を連れて帰れ、と冗談で言われたこともあるよ」。八尾の定宿で昔を懐かしむように、一つひとつ言葉を選びながら話した。

 八尾の街に、おわららしい情緒が漂い始めたのは午前1時半過ぎ。「夜流し」だった。踊り手や地方(じかた)といわれる歌い手、演奏家らは、観光客が少なくなるのを見計らって夜更けの街に繰り出した。先回りして待つと、ゆらゆら揺れながらおわらの踊りが近づいてくる。やがて胡弓の悲しげな響き、歌が聞こえ始めた。

 唄(うた)の町だよ 八尾の町は

 唄で糸とる オワラ 桑もつむ

 都築とえり子は祭りの3日間、それぞれの家庭を忘れて、八尾の諏訪町に買った一軒家で過ごした。石畳の坂道の上から見るおわらは、この世のものとは思えないほど美しかった。

 ふたりにとっては、この3日間だけが「うつつ(現実)」。残りの362日は「夢か幻」だった。

坂の街に息づくおわら

 八尾は山あいの坂の街である。冬場は2メートルを超す雪に覆われることも珍しくない。道の両側には雪を溶かす水路「雪流し」が走っており、水音の街でもある。坂道を漂うように上ってくるおわらは幻想的でさえある。

 小説「風の盆恋歌」では、都築克亮と中出えり子がそんなおわらに酔う。

 〈その位置からは、胡弓の音も歌の声もなく、二列に坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいて来る。どこかに操る糸があって、人形の列を思いのままに動かしているように見えた。

 「あなた、これは、……ねえ、この世のものなの」

 えり子は身じろぎもせず踊りを見つめたままで聞いた。〉

♪  ♪  ♪

 高橋治さんが風の盆と出会ったのは、金沢の第四高等学校の生徒だった1949(昭和24)年ごろ。「誇りの高い金沢の人も一目置くすばらしい祭りだった」。それから二十数年。「心中もの」を構想するうちに、風の盆と再び向き合うようになったという。

 「きっかけはギリシャのロードス島で見た風景だった。ロバの背に乗って坂道を上って行くと、眼下に真っ白い家、真っ赤な花が咲き乱れている。コツコツというロバの足音を聞きながら脳裏に浮かんだ多くの黒い服を着た人々……。それらが風の盆のイメージと重なった」

 八尾を訪ねた高橋さんは様々な人と出会い、その魅力にのめり込んでいった。「衝撃的でしたね。日本の伝統文化が危機にひんしている時代に、八尾には自分たちの文化を守りぬこうという人がたくさんいた。日本人が失ったコミュニティーがあった」

 「風の盆恋歌」で高橋さんが人物像を借りたという鍛冶(かじ)職人の大西明さん(68)は三味線奏者。文化庁の許可を持つ刀匠でもある。「おわらはもともと自分たちで楽しむ祭り。だから好きな者同士で夜の街に繰り出して歌い、三味線や胡弓を弾いたものです。どこで誰が聴いているか分からないから、いい加減な演奏はできません。みんながけいこを怠らないのは仲間に迷惑をかけたくないためです」

 洋装店経営の谷井昭美さん(62)は月に2回、ボランティアでおわら踊りを教えている。「おわらは一種の大道芸。みんながどの町内の人に見られてもいいような最高のものを目指して練習している。ライバル意識も原動力の一つかもしれませんね」

 ライバルがいて、切磋琢磨(せっさたくま)してきたからこそ、おわらは、人の心を引きつけてやまないといわれる。だが、取り巻く状況は厳しくなっている。

♪  ♪  ♪

 一つは観光客の増加で、本来の情緒が失われたことだ。3日間の観光客数は90年に25万人、95年には26万人、00年には30万人の大台を突破した。受け入れる観光バスの台数を制限したり、町内への車の乗り入れを規制したりしているが、決め手にはなっていない。八尾の人たちは夜11時までの「町流し」や「輪踊り」を開催。見物客が少なくなる夜更けから自分たちで楽しむ「夜流し」を始める。ところが、ここにも観光客が押しかけるようになったのだ。しゃべりながら、踊りについて歩く。禁止のフラッシュもお構いなしにたく傍若無人ぶりだ。

 大西さんらは「踊り手が観光客と接触することもある。騒音のため歌や演奏にも集中できない。おわら本来の情緒が味わえなくなった」と嘆く。

 観光客増加の割には地元への経済効果が薄いことも地元の不満の一因となっている。八尾の宿泊施設の収容人員は約850人。観光客のほとんどは富山市中心部や金沢市などのホテルや旅館に泊まっているからだ。

 もう一つの変化は、若い人を中心に「自ら楽しむおわら」から「見せるおわら」へ傾斜していることだ。そろいのゆかたで踊れるのは25歳まで。踊り手は退くと、自前のゆかたで踊ったり、歌や三味線などの地方(じかた)になったりするが、人気は全国的なブームの胡弓だ。指導者の伯(はく)育男さん(76)のもとには毎日のように教えを請う人がやってくるという。三味線奏者の吉川春之さん(61)は「将来のことを考えると、歌い手不足が心配だ」と話した。

♪  ♪  ♪

 伯さんによると、観光客が少なかったころは、家の中でもおわらを楽しめたという。最初は雪流しの水の音しかしないが、やがて遠くから三味線、胡弓の音、そして歌が聞こえてくる。それがだんだんと近づく。

 「郷愁があったね。胡弓を始めたのも、その音に聞きほれたからですよ」

 風の盆が終わり、小説の舞台の諏訪町を再び歩いた。あのにぎわいは幻だったのか。石畳の通りには、水音だけが響いていた。

文・佐藤昭仁 写真・丹羽敏通
(09/30)
〈ふたり〉

 都築克亮は約30年前の旧制高校時代の仲間だった中出えり子と、富山・八尾の「おわら風の盆」で愛し合う。都築は大手新聞社の外報部長で妻は弁護士。えり子には心臓外科医の夫と大学生の娘がいる。

 思いを寄せるえり子から遠ざかったのは仲間と訪れた風の盆の夜の出来事が原因だった。都築の勤務先のパリで再会したふたりは、誤解が生まれたいきさつを知り、急速に近づく。えり子は「もう一度でいいから、あなたと風の盆に行ってみたい」。

 八尾の諏訪町の一軒家でえり子を待つ都築。えり子が京都から来たのは4年目の風の盆だった。列車が駅に止まるたびに降りて戻ろうかと思ったえり子は、「足もとで揺れる釣り橋を必死で渡ってきたのよ」。ふたりは3日3晩、美しいおわらに酔いしれる。「おれと死ねるか」と聞く都築に、えり子は「こんな命でよろしかったら」とこたえる。翌年も風の盆で会うが、えり子は不倫を娘に知られてしまう。

 3度目の逢瀬になるはずだった風の盆の初日の夜、原因不明の難病に侵された都築は八尾の家で息絶えた。駆けつけたえり子は、「夢うつつ」と染め抜いた喪服姿で都築に寄り添い睡眠薬自殺する。



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