「Mamma(お母さん)」。甘えるようでいて、もの悲しく、トゥリッドゥが母ルチアに語りかける。「キスしてくれ母さん。もう一度キスを……」。そう言うと母を抱きしめ、トゥリッドゥは「addio!(さようなら)」と言い残し、悲劇のクライマックスへ向かっていく。
革なめし工場跡近くの決闘場所は、フィーキディンディア(ウチワサボテン)が生い茂る谷にある=イタリア・ビッツィーニで |
街の広場で話をする男たち。ぶらりとやって来ては、またどこかへ消えてゆくイタリア・ビッツィーニで |
地元産のタイルで飾られた小路の階段=イタリア・ビッツィーニで |
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ローラ(中央)をはさんでにらみ合うアルフィオ(左)とトゥリッドゥ=地元劇団の野外公演から |
ピエトロ・マスカーニ作曲のオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、ベリズモオペラの代表作といわれる。ベリズモとは真実主義、現実主義と呼ばれ、王侯貴族や神話の世界ではなく、庶民の生活や風俗に目を向けた19世紀イタリアのリアリズム文芸運動の中で生まれた。
「カヴァレリア」は実話を基にした物語だ。南イタリア・シチリア島の南東部にあるビッツィーニが舞台。シチリア東部の中心都市カターニアから60キロほど内陸にある。標高615メートルの二つの丘に張り付くような街は、石造りの家々が押しくらまんじゅうをするように立ち並び、そのすき間を、小型自動車がやっと通れるほどの路地が毛細血管のように張り巡らされている。
役場のあるウンベルト広場が街の中心。広場を見下ろせる家に、原作者ジョバンニ・ベルガ(1840〜1922)が幼少期の頃、避暑を目的にカターニアから通っていた。バルコニーで見た人々の生き様や息づかいが、彼のベリズモ文学を支えた。そして愛憎劇の果てに決闘で雌雄を決するという短編小説「カヴァレリア・ルスティカーナ」が1880年に生まれる。
愛を誓った恋人がいながら、かつての婚約者ローラへの思いを断ち切れず、許されざる愛の深みにはまっていくトゥリッドゥ。そんな彼を何とか取り戻そうともがき苦しむ恋人サントゥッツァは、こらえきれずにトゥリッドゥの母ルチアに打ち明ける。「私には名誉もなくなってしまった。ローラとトゥリッドゥは愛し合っているわ。私は泣くだけ、ただ泣くしかない」と。
実際に歩くと、どこの家で何が起きているのか、手に取るように分かるような小さな街だ。おそらくトゥリッドゥとローラのことも、隣人たちは薄々にでも感じ取っていたことだろう。しかし、表向きにしないことで日常は日常のまま過ぎていく。そんな平穏を破ったのは嫉妬(しっと)の炎だった。
静かな街に似合わぬ激しい感情が、ある日、突風となってトゥリッドゥやローラ、ローラの夫アルフィオらのほおをたたくことになる。ルチアが開く居酒屋で、トゥリッドゥが薦める杯を拒んだアルフィオ。意を決したトゥリッドゥは、アルフィオを抱き寄せ、掟(おきて)通りに耳をかみ、決闘の意を表す。
原作者のベルガは広場に面するバルコニーで街のしきたりを見ていたはずだ、とも伝わる。男たちに背負わされた掟の重さを、目に焼き付いた場面に込めたベルガ。シチリアの魂を映す物語の象徴的なシーンとなった。
一途な愛の行き着いた先
1人の男を奪い合う形になったサントゥッツァとローラの家は、驚くほど近かった。3メートルあるかないかの路地を隔てて、向かい合っている。
オペラでは割愛されるが、2人の家の前は原作の重要な舞台の一つ。兵役の間に馬車屋のアルフィオにローラを奪われたトゥリッドゥが、憂さ晴らしにさげすみの歌を歌い、サントゥッツァを口説くのもここだ。
「あなたはローラさんの百倍もすばらしい」「あなたのことを目で食べてしまいたい」「きみのことを思って気が狂いそうだ。夜も眠れないし、物も食べられない」……
毎晩のように当てつけられ、ローラの心が揺れ始めるのだ。
このほかにも「カヴァレリア・ルスティカーナ」の舞台は今も生々しく残っている。2人の家から歩いて数分もかからないところに、歌劇の主な舞台である聖テレーザ教会とルチア母さんの居酒屋跡がある。そのすぐ先は、原作者ジョバンニ・ベルガの家の脇を通って街の中心ウンベルト広場に出る。
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観光協会に勤めるマリア・メルフィさん(56)は、同じ女性の立場から2人の女性に同情を示す。「一見、2人ともけじめのない駄目な女性に見える。けれど、当時は自由に結婚なんかできなかったから、ローラもつらかったのよ。サントゥッツァも、一途だったから神に誓う前(結婚前)にトゥリッドゥを受け入れたのに、それがすべて裏目に出ちゃって、最後は大事なものを失ってしまうんだから」
貧しいトゥリッドゥの兵役からの帰りを待てず、豊かなアルフィオに嫁ぐローラには、それなりの理由もあったのだろう。サントゥッツァに至っては悲劇のヒロインか。小説では脇役だが、オペラでは彼女を中心にストーリーが進む。熱烈な求愛を信じて受け入れた途端、トゥリッドゥの心のありかを知ってしまい、嫉妬(しっと)の炎に我を忘れてしまう。
ただメルフィさんは、夫のフィラデルフォ・レンナさん(57)の横でこう付け加えた。「でも私なら、あんな男はポイね。さっさともっと良い男を見つけるわ」。レンナさんは妻にそう目配せされ、「私たちは僕の方が一途だから」と肩をすぼめてみせた。
小さな村での不倫劇は、悲劇のエンディングへと向かう。妻を寝取られた男は、命を賭して決着をつけるのが習わしだった。今も変わらぬ街の眼下に広がるサボテン畑で、トゥリッドゥとアルフィオは対決する。オペラでは決闘の場面は描かれず、トゥリッドゥが母ルチアに甘えるそぶりを見せながら別れを告げ、舞台を去るだけ。そして、それまで聞かれなかった激しく畳みかけるような旋律の音楽に乗って、「トゥリッドゥが殺された」という女性の叫びと共に幕が下りる。
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「決闘」がキーワードとなるオペラの代表作が「カヴァレリア」だ。特にシチリアが舞台ということに特徴づけられて語られることが多い。ギリシャ時代から続いた被支配と闘い、または寄り添った歴史が、シチリア人魂を築いたからだ。
「シチリア人を指す『シチリアニッタ』という言葉に、プライドを大切にする人たちという意味が込められている」と話すのは、イタリア・トリノ出身で来日して20年になるオペラ演出家のダリオ・ポニッスィさん(47)。「カヴァレリア・ルスティカーナは日本語では『田舎の騎士道』。ベリズモ作品として、庶民の道徳心、誇りが描かれている。ルールを壊すとルールで裁く、という意味で」
トゥリッドゥ役を演じたことがある歌手ジョン・健・ヌッツォさん(40)は「確かにトゥリッドゥはしょうがないやつ。でもローラへの思い、母への感謝、サントゥッツァには謝罪の気持ちが、支えきれなくなるほど募ってしまった。でも守りたい。だから決闘という形で浄化させようとしたんじゃないか」と決闘の位置づけを語る。
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ビッツィーニのビト・コルテーゼ市長(57)は「決闘という解決策に共感はできない」と言いきる。それは、シチリア=マフィアという外からの目に辟易(へきえき)としているからでもある。そのためか、すぐに「決闘は純な感情の行き着いた先。ギリシャ神話にある『愛は死である』という強い感情は、今の私たちにもつながっている」と付け加えることを忘れなかった。
ウンベルト広場は、夕方になると男たちが集まってあちこちで話の輪ができる。「そりゃ名誉が一番だ。傷つけるものは許さん。『名誉の傷は血で洗う』っていうんだ」と教えてくれたのは話の中にいた州職員のファルコーネ・イアーノさん(50)。「まあ、僕はせっけんで洗うことにしてるけどね」
文・雑崎 徹 写真・高橋 洋