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戦国の歴史に彩られ 川浦温泉(山梨県)

2009年6月5日11時20分

写真:湯に緑が映える混浴の露天風呂=山梨市湯に緑が映える混浴の露天風呂=山梨市

写真:織田信長に焼き打ちにされた後、再建された恵林寺=甲州市織田信長に焼き打ちにされた後、再建された恵林寺=甲州市

図:【所在地】山梨市三富川浦【交通】車で、JR中央線塩山駅から約20分、中央道勝沼インターから約40分。【泉質】単純温泉【所在地】山梨市三富川浦【交通】車で、JR中央線塩山駅から約20分、中央道勝沼インターから約40分。【泉質】単純温泉

 信玄公岩風呂に身を癒やす。眼下には笛吹川が流れ、新緑が目に染みる甲斐の山々、耳を澄ますとウグイスのさえずりが、戦国の世の足音を運んでくる。

 武田信玄の「隠し湯」といわれる温泉は数あれど、史実に基づく書状が残るのはほとんどないといわれる。川浦温泉には、信玄が上杉謙信と戦い、多くの死傷者を出した第4次川中島合戦の出陣4カ月前に記したと伝わる、温泉施設造営の許可状(下知状)の写しがある。

 「甲山の猛虎と恐れられた飯富(おぶ)虎昌は、謀反の責任をとらされ処罰された。その後お家断絶になった山縣(やまがた)家を継ぐよう信玄公に命じられたのが、虎昌の弟で武田二十四将の山縣昌景でした」と語るのは「山県館」の女将(おかみ)、山縣善子さん。信玄の直筆で新たな名「山縣三郎右兵衛尉昌景」を授けられたという家系図を見せてくれた。過去帳の冒頭には信玄が師と仰いだ快川(かいせん)和尚の名が記されている。奥深い戦国の人間模様に、心躍った。

 信玄が菩提(ぼだい)寺とした恵林(えりん)寺。「後陣」で今も主人を見守るように60人の家臣の墓が並んでいた。名言「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇(あだ)は敵なり」を思い出す。人間を大切にし、それを最大の戦力とした信玄。多くの傷病兵を温泉で療養させたのではないだろうか。

 心身を癒やし、また戦に向かう。歴史に彩られた湯に浸(つ)かっていると、今の世がなんだかちっぽけなものに思えてきた。(写真家・ジャーナリスト 外山ひとみ)

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●川浦温泉鎌倉時代に発見されたと伝わる。1561(永禄4)年、武田信玄が温泉施設造営を許可した山県館温泉の管理を任された信玄の重臣、山縣昌景の子孫が営む一軒宿。12の浴槽があり、笛吹川沿いにある混浴の「信玄公岩風呂」は伊勢神宮の宮大工による。日帰り入浴も可(1500円、5歳〜小学生800円。[前]11時〜[後]5時)。1泊2食付き1万8000円から。電話0553・39・2111。

●恵林寺境内の信玄公宝物館に、信玄直筆の「下知状」を所蔵する。拝観料300円、小中高生100円(宝物館は別途料金が必要)。[前]8時半〜[後]4時半。電話0553・33・3011。

●西沢渓谷秩父多摩甲斐国立公園にある景勝地。07年3月、国土緑化推進機構が「森林セラピー基地」に指定した。遊歩道の高低差は最大約270メートルあり、「七ツ釜五段の滝」をはじめ大小の滝がある。国の特別天然記念物ニホンカモシカなどが生息する。電話山梨市観光課(0553・20・1400)。

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(2009年6月2日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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