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俊寛伝説が残る硫黄島 東温泉(鹿児島県)

2009年9月11日10時29分

写真:奇岩に見守られるような波打ち際の露天ぶろ奇岩に見守られるような波打ち際の露天ぶろ

写真:港近くに立つ俊寛の像=いずれも三島村硫黄島港近くに立つ俊寛の像=いずれも三島村硫黄島

地図:【所在地】三島村硫黄島【交通】村営定期船で、鹿児島本港から竹島経由、硫黄島港へ約3時間半。港から徒歩約30分。【泉質】含鉄泉【所在地】三島村硫黄島【交通】村営定期船で、鹿児島本港から竹島経由、硫黄島港へ約3時間半。港から徒歩約30分。【泉質】含鉄泉

 目の前に透んだ青空と紺ぺきの海、頭上には硫黄岳の噴煙が立ち上る。溶岩が波打ち際に流れ出した岩場にある浴槽からは緑色の湯があふれ、そのまま海に落ちてゆく。肌がひりつく強酸性の湯に手足を伸ばし、目を閉じる。体がお湯に、そして海にとけ込んでゆくようだ。

 全国の温泉ファンの聖地、野趣あふれる露天ぶろは開放感に満ちていた。隣の男性がつぶやいた。「いやぁ、極楽極楽」

 島はかつて「鬼界ケ島」と呼ばれ、平家討伐の陰謀を暴かれた僧俊寛が流された地だという伝説が残る。仲間2人にはやがて恩赦の知らせが届くが、俊寛だけが許されない。こぎ出す船に「乗せて行け」と叫ぶ場面は平家物語でも屈指の見せ場だ。

 どんな寂しい島かと思って来てみれば、明るい日差しと緑に満ちた「極楽」だった。だが、都に家族を残し、仲間に置き去りにされた俊寛の目には地獄に映ったのだろう。住居跡に立てられたという俊寛堂は、風より他に訪れる人もないような寂しげな風情で、苔生(こけむ)していた。

 鹿児島港への船は週3便しかない。翌朝は風呂でのんびりし過ぎ、出航直前に駆け込んだ。デッキからは、追いすがるような俊寛像が目に入る。乗り遅れていたら、あの像と並んで「返せ戻せ」と叫んだか、さっさとあきらめて3日後の船まで温泉三昧(ざんまい)で過ごしていたのか……。

 のんきな思いをさえぎるように、高く汽笛が鳴り響く。島はみるみる遠ざかり、波のかなたに薄がすむ。〈漕(こ)ぎゆく船の習(ならひ)にて、跡は白波ばかりなり〉(平家物語・足摺の事)

(文 古沢範英)

    ◇

●硫黄島東温泉 波が打ち寄せる海岸の岩場にわく露天ぶろ。30年ほど前に浴槽が整備された。24時間開いており、全国の温泉ファンに人気が高い。皮膚病に効果があると言われている。島は九州・薩摩半島の南端から南西へ約40キロにあり、第2次大戦の激戦地・硫黄島(東京都)とは別の島。問い合わせは三島村硫黄島出張所(09913・2・2101)。

●俊寛 1177(治承元)年、「鹿ケ谷の陰謀」が露見して平康頼、藤原成経とともに流刑になった「鬼界ケ島」が現在の硫黄島であるという説が有力。2年後に37歳で没した俊寛の死を哀れんだ島の人々は住居跡に神社を建てて、俊寛堂と名付けたという。島のお盆行事「柱松」は「俊寛の送り火」と呼ばれている。

●安徳天皇墓所 平家が滅びた壇ノ浦の戦いで入水したとされる安徳天皇が硫黄島に落ち延び、66歳で生涯を終えたという伝説がある。平家一門に囲まれるようにして墓所が残る。

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(2009年9月8日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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