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現在位置:asahi.com>中国特集>鳴小小一碗茶> 記事 「唇へのあたり」で、自分の好みがわかる2007年10月12日 中国茶評論家・工藤佳治 ――茶杯の良し悪しを決めるには……。
人間の感覚は、微妙である。何よりすごい。動物たちの聴力や視力、嗅覚などにかなわないものはあるが、決して捨てたものではない。中国茶を飲んでもらいながら、時々気づき、感心する。 例えば、「香り」。お茶を入れていて、10メートルくらい離れているところに座っている人が、「××のような香りですね」などといわれると、びっくりしてしまう。もちろん、すべての人が感じるわけではないのだが、超嗅覚の人は100人から150人に1人くらいはいると思う。そこまでいかなくても数メートル離れていても感じる人は、3割くらいいる。 そういえば、現代日本人、とくに若者層が「臭い」に対して以前よりも敏感になっている、という話をずいぶん前に聞いた。嗅覚が進化しているのだろうか。 中国茶を楽しむのに大切な要素がある。「おいしい」と感じること。同じお茶を「おいしく」いれることもできるし、「まずく」いれることもできる。できれば、「おいしく」いれたい思いは皆同じだが、なかなか思うようにいれることは、結構むずかしい。同じ食材を使っても、おいしく作れるシェフもいれば、まずくなるシェフもいるのと同様である。 最近の中国茶の傾向は、様式にこだわりすぎて、「おいしくいれる」ための技術が語られたり、教えたりすることが少ないのは残念なことだ。継続して、楽しみ、付き合うための最低条件に、「おいしいい」ことは不可欠であるのだが。 「おいしい」と感じる要素の一つに、「器」がある。お茶を抽出する「器」で「おいしさ」は左右されるが、今回は飲む器、「茶杯」の話をしたい。 茶杯は、工夫茶(小さな器でいれ、小さな器で飲む)でのお茶を飲む道具、小さな盃である。この器で「おいしさ」が左右される。というと、材質、焼き方(ほとんどが陶磁器なので)などを論じるかと思われるだろうが、じつはそれにも増して大切なことがある。 「唇へのあたり」である。 茶杯の「唇へのあたり」は、「おいしさ」を決定づける最重要ポイントかもしれない。そのポイントを判断するのは、茶杯上部の縁の反り具合にある。外に向かって少し反っている茶杯は、口の中にお茶が丸くカーブを描いて入っていく。それで、お茶は「やさしく」「丸く」、「奥行き」や「ふくよかさ」を持った飲み物に変化していく。 逆に、縁に反りがなく、直線的に切ってある茶杯は、お茶が鋭く口に入る。「キレ」はよいのだが、少し味気なさを感じることになる。「キレ」の良さを特徴とするお茶であっても、その残された味の余韻が少ないため、「おいしさ」の残像は少ない。経験的にいって、反っている茶杯の方がより味の総合力として「おいしく」感じやすい。 しかし、ただ反っているだけでは、決定打にはなれない。人それぞれに、「おいしく」感じる茶杯の反りの具合が違うような気がする。他人にとって良い茶杯の縁の反りでも、自分にとって良く感じるとは限らない。一人一人の唇の形、柔らかさなどは違うので、相性があって当然である。 いくらおいしいお茶でも、茶杯の「唇へのあたり」が悪ければ、楽しむことも長く付き合うこともできない。「おいしく」飲むためには、自分の唇が納得する茶杯の縁が必要なのだ。 有田の有名陶工たちが、茶碗の縁を唇にあてて出来を確かめているのを何度も見たことがある。日本の名人も、出来はまず自分の「唇」に聞いている。 茶杯を買おうとする時の最後の決め手は、自分の唇をあててみることである。 「おいしさ」は、自分の五感で感じるもの。まず「唇」から始まる。 次回は、「一煎目は捨てるのですか?」(予定)です。 中国茶メモ茶杯(ちゃはい)
「茶碗」の方が、お茶を飲む器として馴染み深い。中国では、古くは「茶椀」と「木」ヘンの字も使われていた。 工夫茶(小さな器でお茶をいれ、飲む)で使われる飲むための器は、もともと酒杯(盃)から転用されたものと想像される。だから、「茶碗」ではなく小さな杯「茶杯」と呼ばれる。 写真にあるようにいろいろの形がある。材質も、磁器、陶器、錫などの金属、石(ヒスイなど)まである。無難なところでは、釉薬のついた磁器である。香りも洗えば落ち、扱いもラクで楽しめる。家庭にある酒杯でも、十分代用ができる。 |