2008年9月28日
昆明合宿中の土佐礼子さん
7月サンモリッツで野口みずきさんと
北京五輪が終わり、ひと月が過ぎた。秋風に揺れる道端のコスモスを眺めながら、夏を駆け抜けた選手たちの姿を思い出す。
女子マラソンの野口みずきさんと土佐礼子さんの最大の敵は故障だった。
当日のレースが遅い展開に始まったこともあり、欠場した野口みずきさんは「もしも私が走っていたら」と無念に思ったに違いない。そんな彼女の気持ちを想像しながら『みずきさんの走らないレースはあんなものよ』と私は野口さんへの手紙に思いをしたためた。
数日後に届いた彼女からの手紙には、キュートな女の子が湯船に浸るイラストに『泣きたいときは、ふろに入る』というメッセージが印刷されていた。野口さんらしいユーモアだ。もうすっかり気持ちを切り替えている。今回の結果は今までの自分を見つめ直す良いきっかけになった。これからの自分にきっとプラスになる事と思えるように、走り出すとあり、最後に「ロンドンに向けて始まっています」。丁寧に書かれた文字から彼女の表情が見える。北京五輪の前よりも大人になったような表情だ。『走った距離は裏切らない』という言葉を信条とする野口さん。でも今回のことでその思いだけでは故障を招いてしまうこと、また本当の意味で肩の力を抜き、余裕を持つことの大切さを考えた静かな表情が見える。
北京五輪中、藤田信之監督のもとには、激励のメッセージに混じって、少数だが厳しい内容のメールやFAXなどもあったようだ。中には罵るものもあり、藤田さんに電話を入れると、「はい、非国民の藤田です」と逆にそれを冗談に変えていた。責任感の強い藤田さんは、広瀬コーチ、野口さんと話し合い、脚の故障の回復を見ながら次の舞台を考えたい様子だ。今回出場できなかったことが、『走思走愛』をモットーとするチームの大きなバネになっている。じっくりと計画を練って、来年のベルリン世界陸上に照準を合わせてくるだろう。
そして土佐さんは9月26日からチーム(三井住友海上)に合流した。北京後は、松山の新居で夫の村井啓一さんとのんびり過ごし、今後のことをゆっくり考え、話し合った。その間、啓一さんがコーチを勤める(啓一さん、土佐さんの母校)松山大学女子陸上部が大学女子駅伝の中国・四国地区予選に出場し、土佐さんも応援に。チームは二位に七分の大差をつけて優勝した。10月に仙台で行われる全国大学女子駅伝に駒を進め、初出場が決まったのだ。
「母校の大学生の頑張りが礼子の気持ちを後押ししました」と啓一さんは話す。土佐さんの足は50分程度のジョギングが出来るほどに回復し、12月の全日本実業団女子駅伝に目標を定めてトレーニングを開始した。でも駅伝日本一のチームだけに選手層も厚く、「礼子がレギュラーメンバーになるかどうか分かりませんけどね」と啓一さん。土佐さんは来年3月をひとつの区切りとし、休養に入る。出産も考えているようだ。「でも走ることは絶対にやめないと思います」と啓一さんは話してくれた。北京五輪を25キロで途中棄権しているため、来年3月までにマラソンを一本走りたいという思いもあるようだ。
北京五輪の前は野口さんも土佐さんも、五輪へのチャレンジは北京が最後というニュアンスでの発言もあったが、今は違う。目標を達成できなかったことが、2人の4年後への新たなエネルギーを生んでいるように感じる。四年後、野口さんは34歳、土佐さんは36歳。いっそう人間力が高まるだろう。北京で金メダルをとったトメスクさんが38歳、銀メダルのヌデレバさんが36歳だったことを考えれば、ロンドンはむしろ楽しみだ。
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