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Road to 北京

北京は野球にとって最後の五輪なのか 衣笠祥雄さん(中)

2007年10月18日

 オリンピックでの野球の歴史は、古いわけではない。1964年に開かれた東京五輪でデモンストレーションとして行われた記録があるそうだが、本格的な最初の実施は1984年のロサンゼルス五輪。それも正式競技ではなく「公開競技」だった。

 野球が誕生した米国での五輪開催、という事情がかかわっていたと聞いている。

 昨年、仕事でシカゴへ行く機会があった。独立リーグとマイナーリーグが取材テーマだったが、一番印象に残ったのはクリントンというシカゴの南の人口2万人弱の町だった。

 ここで大リーグのマイナーリーグ(1A)の球団が80年間も維持されてきている。ところが、球団職員は2人しかいない。それでも、やりくりできているのは、大部分をボランティアでまかなっているからだ。

 「なぜ、そこまで頑張るのか」と聞いたら、「われわれが頑張らないと、このチームはよそへ行ってしまう」という。私よりはるかに年配の方が切符切りをしたり、球場の手入れに励んでいたりしていた。感銘を受けた。この国に野球という競技がいかに深く根を下ろしているか痛感した。

 ロサンゼルス五輪はピーター・ユベロスという人が組織委員会を率いた。国の予算を使わず、民間の力で五輪を開催して商業化の道を開いた画期的な大会として知られているが、この人は後に、大リーグのコミッショナーとしても活躍した。野球の五輪登場は機を得て実現したのだと思う。

 そのロサンゼルス五輪で、日本は金メダルを獲得している。88年のソウル大会までが公開競技で、92年のバルセロナ大会から正式競技に昇格したが、過去6回の五輪で日本の「金」はロサンゼルス大会のみ。しかも、アジア予選で敗退したにもかかわらず、キューバが出場辞退したことに伴い、代理出場で上り詰めた頂点だった。幸運にも恵まれたのである。

 野球は2012年のロンドン大会では実施されないことが決まった。実施7度目の北京は、野球にとって最後の五輪になってしまうのか。そもそも、なぜ、こういう事態になったのか。

 長年、野球に携わってきた者としては、大変に残念であり、寂しい思いがあるが、この競技がグローバルなスポーツになってはいない現実は認めざるを得ない。全世界で見ると、限られた地域でしか活動していないわけだ。

 たとえば、過去6回の五輪のうち、ヨーロッパで開かれたのは92年・バルセロナと04年・アテネの2回あるが、両方とも野球会場に足を運んだ観客は少なく、盛り上がりに欠けた。

 アジアにしても、日本や韓国、台湾を除くと、野球熱は高いとは言えない。

 94年に広島でアジア大会が開かれたとき、参加した43カ国・地域のうち、野球には7チームだけだった。選手村へ行って関係者に話を聞いてみた。すると、「野球は高くつきすぎる。だから、うちの国ではダメなんだ」などと言う。それが現実なのである。

 さらに、アラブやアフリカの諸国などへの普及も大きな課題だ。

 12年のロンドン大会に続く16年の五輪開催都市が09年秋に決まる。有力候補とされるシカゴになれば、あるいは東京となれば、野球の五輪復活は大いにあり得ると思う。

 しかし、開催都市によって1回ごとに一喜一憂するのではなく、本当の意味で野球が五輪に定着するためには、もっともっと野球のすばらしさを理解してもらうことが必要だ。

 世界地図の中で、サッカーは大変な広がりをもっている。うらやましい思いがある。野球も、ぜひ、グローバルスポーツに成長していってほしい。この競技に育ててもらった者として、そう願っている。

顔写真

衣笠 祥雄(きぬがさ・さちお) 野球解説者

 1947年、京都市生まれ。65年に平安高校を卒業し、プロ野球の広島カープ入団。87年、現役引退。カープ黄金時代の主力選手として貢献し、最優秀選手賞(MVP)、打点王、盗塁王などのタイトルを獲得。2215連続試合出場は当時の世界記録で、「鉄人・衣笠」と称された。87年に国民栄誉賞、96年に野球殿堂入り。現在、朝日新聞紙上でのコラム執筆やテレビの野球解説で活躍中。

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