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Road to 北京

故郷の味 正月の水餃子 可越さん(下)

2008年03月01日

 2月7日は中国の旧暦のお正月だった。私は北京出張のついでにお正月の前日に故郷の長春に帰った。数えてみると、日本へ来てから7年も故郷で家族と一緒にお正月を過ごしてなかったのだ。

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大好きなおばあちゃんと

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 長春はマイナス15度の真冬。長年東京にいるからもうあの寒さを忘れたかと思っていたが、透き通った冬の青空を眺め、きりっとした冷たい空気の中で深呼吸した瞬間、幼いころの記憶が戻り、懐かしい故郷の味がよみがえってきた。

 92歳の祖母は健在で、目が見えなくなりつつあるが、私が帰るのを知って、何日も前からお正月用の服を取り出し待ってくれていたようだ。久々に会った私の顔をじっと見つめ、涙ぐんで喜んでくれた。

 小さい頃の私はおばあちゃんっ子だった。母親が学校の先生をしていたので、よく祖母が家で私の面倒を見てくれていた。

 その時に祖母からよく昔の話を聞いた。自分が嫁いだ時のことだ。

 「おまえらはいまご飯をいっぱい食べられて幸せよ。ばあちゃんは、若い時、苦労をしたわ。戦争時代でね。白いお米をあなたのひいおじいさんが食べるために隠していてさ。あの時代、白いお米は日本人のためだけの食料で、中国人が食べたら『経済犯』として捕まえられるのよ。怖かったわ」

 1940年代の日中戦争の時に、祖母は20代だった。満州国の首都だった新京―つまり、私の故郷である長春―にいた。

 「白いお米」の話を何回か聴いたが、しかし、私にとってそれははるかに遠い存在だった。80年代に中学に入った私は、日本のドラマや映画、アニメにとっぷりと浸かり、「鉄腕アトム」、「一休さん」はもちろん、大学生の時には「東京ラブストーリー」に夢中になった。とにかく日本に行ってみたいという思いで、大学で日本語を専攻し、卒業してすぐ東京に留学してきた。

 留学生時代に年1回故郷に帰っていたが、帰国して会うたびに、祖母は「日本にいて大変だろう。ご飯をいっぱい食べられないでしょう」といつも心配しそうに言っていた。

 「ほら、こんなに太ったのよ」

 笑って見せても、相変わらず心配そうな顔をしていた。

 3年前に私の友人―中塚さんという千葉工業大学の女子大学生―が長春に留学して、我が家に1年間ホームステイした。中塚さんは中国語が堪能で、祖母とよく話をしていたようだ。日本の若者の生活を祖母に教え、きっと私の日本生活も想像しながらだろうが、祖母はいつも興味津々に聴いていたらしい。

 祖母も中国のことを中塚さんに教え、美味しい料理をもいつも作ってあげていた。

 「中塚ちゃんは水餃子が大好きでね、よく食べていたよ」

 1年後に中塚さんが日本へ戻った後も、祖母は既に中塚さんを孫娘のように可愛がって、日本へ戻るのが悲しかったそうだ。

 「ご飯をいっぱい食べられない」という祖母の日本のイメージは変えられたようで、私もほっとした。祖母はいまでも毎月中塚さんからのはがきをベッドに置いて、繰り返し読んでいる。

 そんな訳で、今年は久々に故郷のお正月のにぎやかさを味わった。

 小さい時の一番楽しい思い出はやはりお正月の水餃子である。お正月になると、町中に爆竹の音が聞こえ、花火が夜空に咲き、テープルに並べきれないほどの美味しい料理をたっぷり食べられ、朝まで遊ぶことも許される。

 とりわけ中国の北方の習慣では、父親のほうの祖父母が健在ならば、祖父母を囲んで、父親の兄弟家族も一緒に大晦日を過ごし、年越し餃子を一緒に食す習慣がある。

 祖母は毎年必ず餃子の具に1円玉入りの5個の特別餃子を作る。私と姉と従兄弟を入れて5人の子供がいるから、縁起の良い意味が餃子に込められたのである。

 特別餃子もほかの水餃子と一緒に混ぜて煮るので、当たるか当たらないかは賭けだ。私はその年越し餃子の1円玉が当たるように、正月の午前0時までずっと我慢して起きていた。この餃子の当たりを探す記憶はいまも鮮明に蘇る。

 今回、久々に祖母の水餃子を食べられると思うと、少し複雑な気持ちだった。

 日本中が毒餃子事件で騒然としていたからだ。

 「毒餃子だけではない。中国人社員も問題」という内容の記事もあり、見るだけで心が痛々しかった。食の安全と安心の問題は、中国はもちろん、世界が共に考えなければならない重要な課題であるが。

 私の世代は祖父母が歴史体験を乗り越え、相互理解ができる平和な世界を作る世代だと思う。愚かな国同士の憎しみを煽る時代はもう過去のものだ。

 今年の年越し餃子には、1円玉を入れた10個の特別餃子が加わった。

 「なぜ増えたの?」と聞いてみた。

 「ほら、お前のお姉さんに子供ができたでしょう。中塚ちゃんも今年子供が生まれたでしょう。子供が10人いるから、特別水餃子は10個でなくては」

 なるほど。水餃子が大好きな中塚さんも家族の一員なのだ。

 爆竹の音が遠くから聞こえてきた。花火の大輪が夜空に咲き、2008年の正月を迎えた。

 今年、日本と中国にとって、水餃子の幸運の1円玉が当たりますように。

 縁起の良い年になりますように。

 こう願って手を合わせた。

顔写真

可越(コー・ユエ)さん 日中コミュニケーション(株)代表取締役

 1973年、中国・長春市生まれ。94年に吉林大学日本語学科を卒業し、来日。埼玉大と東大でメディア論などを学んだ。インターネット放送局「東京視点」(http://tv.people.ne.jp)代表。04年にテレビ番組の版権代理、番組制作などを行う「日中コミュニケーション」を設立、日中交流を精力的に進めている。

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