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1984年夏のロサンゼルス・オリンピック、柔道無差別級決勝でエジプトのモハメド・ラシュワン選手を下して優勝、見事金メダルを獲得した山下泰裕さん。感激のあまり涙にぬれていた |
私は現役時代、五輪に出場できるチャンスが3回あった。1回目は1976年のモントリオール五輪。わずかの差で破れて、補欠に終わった。
2度目のチャンスは1980年のモスクワ五輪。代表にはなれたが、当時の冷戦時代の政治背景から、日本など西側諸国を中心とする約50カ国がモスクワ五輪をボイコット。代表に選ばれながらオリンピックに出ることが叶わなかった選手は、「幻のオリンピック選手」と呼ばれた。柔道には、私を含めて7人、幻のオリンピック選手がいた。7人全員がオリンピック初出場で、みんな、仕事をやりながら、抱えながらのアマチュアの選手だった。
次のロサンゼルスのオリンピックを目指していく過程で、私以外の6人の先輩方は、すべて現役を引退してしまい、五輪への道は叶わなかった。
そして「3度目の正直」であるロサンゼルス五輪を迎えることになる。やること、やれることは全部やって、やり尽くして、やり残しなく臨んだオリンピックだったが、途中、2回戦で足にけがをした。自分がわざをかけたときにけがをしたのだが、頭に浮かんできたのは、「けがを相手に知られるな、けがをしたことを気づかれないようにして戦え」だった。
実は、私の一番の得意技は、大外刈とか内股ではなくて、「開き直り」だ。
試合に臨むには2通りの考え方しかない。一つは、最後の最後まで自分を信じて、自信満々で向かっていくこと。もう一つは、体調が不十分だったり、相手の力が上だったり、不安があったり、迷いがあったりしたときに、開き直って、まな板の上のコイになり、最善を尽くすことだ。
柔道では、礼をして、「はじめ」と一歩前に出たときに、「気」がぶつかり合う。自分に迷いがあったり、不安があったりすると、非常にやさしい気が流れる。相手にプレッシャーを感じさせることができない。ところが、肝を据えて、自信満々で行くと、相手にすごい圧力をかけることができる。
決勝の相手、エジプトのラシュワン選手は自信満々だった。ラシュワン選手が思い切ってわざをかけてきたときに、すっと体をすかしたら、空振りして、そのまま倒れた。倒れたラシュワン選手の上に乗っかって、抑え込んで勝った。勝てる方策は何にも浮かばなかった。私より一回り大きい。私は軸足をけがしている。こんな幸運な勝ち方はなかった。
そして小さいころの夢を実現して、表彰台の一番高いところに上がった。そのときは、ああ、おれは世界で一番幸せな男なんじゃないかという、思いだけがよぎった。
このオリンピックの翌年、全日本選手権の9連覇を果たした後、現役を引退した。
私は立場が変わると、頭を切り替えて過去を引きずらない生き方が好きだ。だから選手生活が終わったときも、「これでおれの一つの人生が終わった。選手・山下泰裕は全部終わった。またゼロからのスタートだ」。こういう思いで、指導者として新しくスタートを切った。
そして、2000年のシドニーオリンピックが終わり、全日本の監督を退いたときには、「指導者・山下泰裕の人生はこれで終わった。すべてがこれで終わった。また今度は、新しい人生のチャレンジだ」と考えた。
今は人生の第3ステージではないかと思っている。
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