2008年4月10日
柔道の選手たちも、会社組織と同様、上からの指示一つで競技の内容や取り組みの姿勢が大きく変わる。私が全日本の監督時代に取り組んだ試みを紹介したい。
92年のバルセロナオリンピックが終わってから私は男子チームの監督を8年にわたり引き継いだ。この8年間で新たに取り組んだ事柄が二つある。
一つ目は、スポーツ医科学の導入だ。当時スポーツ界で成果を上げていたのは水泳とスピードスケートとスキーのジャンプ複合だった。就任と同時に、彼らの成功の秘けつを知るため、いろんなつてをたどって、情報を集めた。そこで見えてきたのが、スポーツ医科学を積極的に導入し、その成果が競技成績にうまく反映されていることだった。
柔道界は伝統があるがゆえに、体質的には古いところもある。それまで医科学のスタッフはいたのだが、全員柔道出身者だった。そこでスタッフを柔道出身者ではない、その道のスペシャリストに代えて、スポーツ医科学を積極的に導入した。もちろん、柔道出身者が悪いというのではない。柔道を深く知らない、専門家の目でスポーツ医科学を見てもらおうという試みだった。
二つ目は、海外進出。以前よりも、3倍も4倍も海外に出る機会を増やした。柔道は対人競技なので、戦い方は相手によって異なる。日本人と外国人だと、同じ階級でも、体型、体力、戦い方が違う。オリンピックなどの世界戦で勝つには、外国人を倒せる柔道を身につけなければならない。そのためには、国内でいくらやっても限界があるからだ。
この二つをふまえた上で、オリンピックを目指して選手を叱咤激励した。
私が全日本の監督になって、記者会見で言った言葉は今でもはっきり覚えている。
「私が4年後のアトランタオリンピックでどれだけの成果を上げられるかは、私自身が、全日本男子柔道にどれだけ多くの人々の力を集められるかどうかにかかっている。自分の力なんて微々たるもの。多くの人の力を結集し、志を一つにして、4年後のアトランタを目指したい」
そして監督になって最初の全日本合宿。道場で選手を集めて、最初に話した言葉も鮮明に記憶している。
「おれは約12年間、日本代表チームの選手をやってきた。そして、4年間、全日本のコーチとして日本代表選手の育成にかかわってきた。この選手、指導者としての経験から言わせてもらうけど、おれやほかのコーチが言ったことを、はい、はい、はいと素直に聞き、そのとおりやって世界チャンピオンになった人間は見たことない。そんな人間だけにはなるな。我々は、みんなのことを考えて、よかれと思ったことをアドバイスする。しかし、主体はおまえたちなのだ。自分で考えていかなければならない。日本の最高の選手になって、世界の頂点に立つには、言われたことをただ素直にそのままやるのではとても勝てない。自分で考えて、山下やほかのコーチやほかのスタッフを自分のために使う。そういう発想にならなければ、世界は獲れない」。これが私が彼らに言った言葉だった。
大抵の選手は、ぽかーんした顔をしていた。というのは、多くの選手は、言われることにそのままついていく。自分がないからだ。一番勝ちたいのは選手なのだから、頂点に立つために何をやらなければいけないかを選手本人が四六時中考えて、そこにエネルギーを費やすことが必要だ。それを支え、正しい方向に持って行くことが求められるのではないかなと信じている。
|