街から消えた西域の香り
朝日新聞編集委員:加藤千洋
世界中の大都市にあるチャイナタウンは、中国人の旺盛な海外進出の意欲の証しだが、中国国内の少数民族にとっては、国内の都市部に移住するというのは、「国境を越える」のと同じ感覚があるという。まったく違う文化圏、言語圏へ飛び込むことになるからだ。
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| 一見すると西域の町。その実は北京にあった新疆村だ |
1970年代末、中国が市場経済化をめざす改革・開放政策に踏み切ると、西の果ての新疆ウイグル自治区のイスラム系住民も北京や上海、広州といった大都市に職を求めての移動を開始した。彼らはやがて仲間同士で集まって、都会の中でエスニック・コミュニティーを形成した。
北京では80年代に市西部の甘家口付近に姿を現し、「新疆村」と称された。この呼び方には、やはり漢族の市民が主体の北京では、うさんくさい集団といったような、微妙なニュアンスがあったように思う。
例えば爆弾事件などが発生したりすると、市民はすぐに新疆ウイグル自治区に潜在する分離・独立運動と結びつけ、「新疆村」の関連を連想してしまうのである。
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| れんがのかまどでナンを焼いていた店も消えた=いずれも北京市で |
さて写真は90年代末ごろの「在りし日の新疆村」だ。というのは、つい先日、思い立って再訪したら様相が違っていた。ウイグル語の看板を出した飲食店や屋台が一掃され、跡地に20階前後の高層アパートが林立しているではないか。
ナンを焼く店は白い帽子をかぶった主人とともに消え、シルクロードの香料ツーランをまぶした羊肉の串焼きの、あの独特のにおいも漂ってこない。「村」が消えてしまったのだ。
串焼きは北京っ子も大好きだった。学校帰りの中・高校生が2、3本立ち食いする光景もよく見た。そういえば、その串に自転車のスポークを代用し、有毒物質が溶けているといった警告記事が新聞に載っていたっけ。
平べったい手打ちうどんにトマト風味のたれをかけた料理もおいしくて、私も北京在勤中には何回か食べに通った。
それと春より秋が旬の季節だが、新疆から独自ルートで運び込まれる特産の果物、たとえばラグビーのボール状の甘いハミウリや薄緑色の新疆ブドウも美味だった。
では村を追われたカシュガルやホータンなど新疆各地からやって来た人たちはどこに消えたのか。わずかに2、3軒、新疆風の屋号の食堂が残っていたのでのぞくと、従業員は地方から出てきた漢族の女の子だった。
北京人の知人に聞くと、再開発が予定通り行われただけで、別にどうということはないとつれない。新しいアパートの住人も以前からの北京市民がほとんどで、ウイグル族が入居したということではないという。
とすると村民たちは、わずかな時間、都会で荒稼ぎした金を持って古里へ引き揚げたか、次の新天地を求めて他の地方へ移動したか。ひょっとしたら数年後、北京の別の場所に新「新疆村」が出現するかもしれない。
(06/16)