夜光杯に注ぐ夢
文・写真 于 前
白い光線が無遠慮に店の中を照らしだした。
目を刺すような光の中に、一人の中年女性が首をまっすぐに伸ばして叫んだ。「うちの店は日本人の客は来なくても、困ることないから、お前は外に消え失せろ!」
北京にある老舗の中華料理店。取材を申し込んだ私の前で、その女性は人のハートを刺し込むような言葉を私に投げつけてきた。
人の倍ほど厚い髪の毛がある上に、パーマをかけているせいで、怒るとすべての髪の毛が上下に飛び舞う。私の心はぶるぶる震え、妄想の自分はもう理性がなくなり、手を上げて彼女に向かっていった。
でも、現実の私は爆発寸前になっている気持ちを隠し、無理に笑顔を作った。
それは5、6年前に北京で経験した場面だ。思い出すたびに、その映像もますます生々しくなる。どうしてこんな酷(ひど)い言葉を口から言えるのだろうか? 取材拒否するなら、普通に断ればいいのに。
あそこまで興奮(こうふん)することはないと“パーマ女”に結論を出した私を睨(にら)み、北京の友達は下唇を突き出して解釈してくれた。「偶々、パーマ女はすごい不幸に遭遇して、機嫌がよくなかったのではないか? どう見ても簡単な話だ。その場で有利に反撃できず、問題を持ち帰って文句を言う態度は、島国の生活で身につけた悪い習慣だ!」
友達の警告から私は気づいた。知らないうちに距離を置く線を、私と同じ中国人の間に引くようになっていた。
この春、北京の最新スポットを紹介するため、私はある会社の宣伝部で働く日本人Aさんと知り合った。率直にものを言う彼は、ハンサムな20代だった。背も高く、清潔感があり、会った瞬間に私の頭の中に浮かんだ言葉は「景気がよい人」という日本語だった。
日本人は紙のやりとりが好きだから、彼みたいに何も確認せずに取材の申し込みを受け、その場で即決して、まるで「中国的速度」のようなやり方をする人は本当にめずらしい。彼は中国に来てから、まだ半年も経っていないのだ。
Aさんは自分のことも語ってくれた。社長はヨーロッパに留学した中国人で、仕事も信頼して任せるタイプという。結果が出ればいいらしい。Aさんも大学を出てすぐに日本に離れ、外国で仕事をする道を選んだ。いくつかの国で仕事をしてから、友達と北京にやって来た。
取材帰りの途中、ゆらゆらするマイクロバスの中で、Aさんは私をからかうように言った。「パソコンにシールからカバーまでかけて、日本から来たと一目で分かりますよ」
私は頭をかいた。「そう。同じものを友達にプレゼントしたら、こんなものは必要ないと言われた!」
「僕の会社は二人で一台のパソコンを使っているんですよ。先日、中国人の同僚に“退け”と言われてね。北京で一番驚いたできことだったな」
「友達と思っているから、その言葉を使ったのよ。日本人なら必ずその場の雰囲気を察してくれるけれど、ある日突然、こちらが忘れていたことも蒸し返して、私ならその方がショックは大きい」
周りにいる人たちは日本語を理解できないこともあって、二人は大いに笑い、話を続けた。
「僕は友達と一緒に中国に来て、二人とも夢を持っているんです。一つは青島へ行って、酔っぱらうまで青島ビールを飲むこと。二つ目は敦煌で夜光杯を買って、上等のワインを夜光の杯で受けること」。王翰の名詩『葡萄美酒夜光杯』(葡萄酒を夜光杯で飲めば)の夢想に浸っているAさんは、照れを浮かべてそれ以上何も言わなかった。音楽を聴きながら、白い雲を眺め、純粋な空気を吸っているような顔をしていた。
私は言った。「でも、敦煌で夜光杯を売っていた友達が言っていた。酒を注いで月にかざしてみたら、真っ黒だったって」
「えっ、そんなこと!」。Aさんの表情は固まった。血管に流れている血も止まったかのような打撃を受けたらしい。
「本物の夜光杯なら違うと思う…」。とっさに私は取り繕ったが、言い出した言葉はこぼれた水と同じで、もう収められない。私はバスから飛び降りたい気分に堕ちた。
その時の一言を、Aさんはもう覚えていないかもしれない。
しかし、私は彼の表情の中に自分自身が見えた。私が“パーマ女”を憎んで胸に痛みを感じる理由は、北京のよさを日本人に紹介したい思いがあるからだ。夢があって、期待して、その分失望も大きかった。
私はAさんに、“パーマ女”と変わらないぐらい酷い言葉を口にしたのではないか。シルクロードをロマンのままにしておけたら、どんなに美しいか。
中国と日本を行き来する私は、人に対しても自分に対しても、心の中でゆっくり深呼吸する必要があるようだ。夢を互いの夜光杯に注いで月を仰いだら、どんな光が私たちを照らしてくれるだろう。
(08/04)