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漫歩寄語

崩れゆく建物と変わりゆく人々

文・写真 于 前

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 この十数年の間に中国に行ったことがある人なら、“拆”(チャイ)という漢字が建物の上に書かれている風景を見かけたことがあるでしょう。

 いつの日からかは分からないが、壊される予定の建物の上に“拆”と書き、さらにその上に丸を加えて、イメージを強める光景は北京の中でとても目立っている。

 長年、“拆”の字を当たり前のように見慣れていたが、最近のニュースによると、“拆” は「人権を尊重していない意味を含む」として、これから建物の上に書くことが禁止されるという。

 “拆”の漢字が消える話を知った時、私は複雑な心境になった。“拆”の字が最もあふれていた数年間に出会った人たちとの出来事を思い出したからだ。

 およそ十年ほど前に、日本人のある映画監督が北京で映画を作るためによくやって来た。私は監督に北京を案内していた。

 胡同を回ってみたら、目の前にたくさんの“拆”が飛び込んできて、私は初めて北京の景色が変わっていくと危機感を感じた。監督も口では言わないが、北京を訪れる回数を増やして、胡同と四合院だけをひたすらまわった。

 監督と一緒に北京を回る時に、友達の紹介で四合院の中で生活する中国人のKさんと知り合った。Kさんは中国の南の人で、「中央戯劇学院」で映画監督を専攻し、卒業したばかりだった。

 一人は日本人の映画監督、一人は映画監督を目指す若い中国人、二つの全く違う社会制度で生きてきた映画人同士が映画のシステムを語る時には、多くのの説明が必要だった。

 そのころ、中国の映画監督は、まだ今ほど自由ではなく、大学を出てから、国の映画撮影所に入って、国家公務員のように仕事をするのが「正しい道」だった。

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 「映画を作らない時でも給料をもらえて良いですね」と日本人の監督はよく言う。

一方、毎月給料をもらえない日本人の映画監督が、どうして自由に中国などの外国に行くことができ、撮りたい映画を取れるのか、若い中国人監督も私も知りたかった。

 新米監督の状況はそんなに甘くはなかった。当時、どこの映画所も新しい映画監督を入れようとはしない。毎月給料をもらえる映画監督の職業は、若い映画人には夢の中での話であった。

 彼は四合院の一角の小さい部屋に住んでいた、その後も四合院内でひんぱんに引越しをしていた。映画監督になるためにはどんな苦労をしてもいい、でもどこに進めるか見えなくても、四合院から離れたくないと言った。“拆”の字が書かれたとしても、彼は四合院式の家にこだわった。

 二度目にあった時に彼は、卒業した大学に通う女性を紹介してくれた。二人は小さい部屋で同棲し、精神的には自由に生きていた。

 日本人の監督は、よく皆にごちそうしていた。中国の若い監督は「日本人の映画監督はいいですね」とうらやましがった。毎月給料もらえる映画監督よりも自由に作品を製作できる監督になろうとしていた。

 ある日、中国の若い監督とタクシーに乗った時、彼はため息をついた。「タクシーが止まった瞬間に料金が変わると、とても情けなく感じる」

 その一言に、北京でがんばる若い監督の、人には語らぬ多くの悩みを感じ取った。

 その後、皆が再度北京であった時に、中国人監督は失恋していた。同棲した彼女は、アメリカから戻って来た元の彼氏のところに走り、一緒に夢を追いかけてしまった。

 暗い表情の彼に、日本人の監督は、こう語った。「恋なら、人生に必ず3回のチャンスがある。1回失敗しても、まだ2回の機会があるから大丈夫です。」

 3回のチャンスの話は、会うたびに監督の口から出てきた。中国の彼がそれで元気になったかどうか分からないが、その後皆の気持ちが少し近くなったように思う。

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 北京の中で映画監督になる夢を見ている若者は多く、彼は、その時点では、成功して、有名になることに現実味を感じることはできなかった。

 しかし、始めの一歩ではあるが、最近になって自分で撮った映画を持ち、海外へも行けるようになった。

我々が歩いていた“拆”の跡地には新しい建物が建ち、道も変わった。

 残されたのはその時の思い出。“拆”の字を見るたびに、私は胡同での会話や人々の生き様の変化を考えさせられる。

 “拆”が消えてゆくというニュースを聞いて間もなく、中国の監督から連絡が来た。彼は、日本との合作映画を撮影することになった……。

(07/21)





于 前(YU QIAN)

中国北京生まれ。フォト・ジャーナリスト。現在は東京を拠点に、中国大陸、香港、台湾の雑誌などに日本をテーマとした記事や写真を発表している。著書に「チャイニーズレンズ」(竹内書店新社)。



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