ここから本文エリア 現在位置asahi.comトップ > 中国特集 > 漫歩寄語記事
漫歩寄語

豊かさの代価

文・写真 于 前

写真

 北京の胡同を歩いたら、目の前を、手をつないで歩く親子が通って来た。

 お父さんは自分の娘の鞄(かばん)を肩の上に背負い、左手にはビニール袋を持って、右手で自分の子供を連れ、二人は軽やかな足どりだった。

 親子の後ろ姿を見て、私はすぐ追いかけて、また、止まってじっと見つめて、しばらくぼんやりとしていた。

 私にとって、二人の後ろ姿は何か引っかかるものがあった。

 久しぶりに心を刺すような感動が全身に走った。

 二人の服装を見れば、すぐ分かる、金持ちでお洒落(しゃれ)な生活している家柄ではなく、でもその家族は温かい豊かな生活を過ごしていると強く感じた。

 女の子はいつか大人になったら、自分のお父さんの後ろ姿を思い出すのかしら。私の少女時代も豊かとはいえない生活だった。その時の中国は飴(あめ)さえ簡単には食べられなかった。しかし、その生活の中にこそ、「生きている」という思い出が残っている。

写真

 このごろ私の周りには、「ストレスがたまっている」と悩む人が多い。私も含めて、北京に帰ると時々何を悩んでいるのかさえ分からない緊張感に陥る。

 都市の中で生きることは疲労を感じ、時々自分の精神をコントロールするものが欲しくなる。

 私は笑い話を語るつもりではないのに、中国人の友達について、友人に話しをしたら、皆大笑いしたことがあった。友達のAさんは最近毎日お昼の休み時間を使って、北京動物園まで足を運んでいる。

 動物園で動物を眺めるだけではなく、動物に食べ物を投げてほっとするらしい。動物なら人間より単純で、文句も言わないから、良いと……。

 一人寂しそうな顔をしている男性が動物園に立っているむなしい後ろ姿が浮かんでくる。Aさんは40代で、給料のよい会社に勤め、結婚もしている。でも最近毎日どうしてもストレスを感じ、会社に持っている不満もたまる一方。人間よりも動物の方が付き合い易い、と連発していた。

 私もすべての「笑いの細胞」を開くように笑った。仲間達にその話をして、一緒に笑った時に、ふと、一人がため息をついた。「人間は他人の小さい不幸を知ると、つい笑いたくなる、都市にいる我々は精神的に荷物が多い」

 何年か前に上海でバスに乗った時にある広告看板を見た。「発呆」喫茶店の宣伝なのだ。「発呆」というのは、「ぽかんとする」意味で、その店はお茶を飲めることよりも、「ぽかん」とできる場所であることを一番に強調していた。。ぽかんとする空間を作って、都市の人を呼んで来る。新鮮な宣伝用語だと思ったが、半年もたたない内にぽかんとすることは最新の流行として、雑誌の特集によく出てくるようになった。「発呆」ブームを呼んだのだ。

 「発呆」をできる場所には行く時間がなかったが、一度、どうしても行って見たい。

 インターネットの会話で、話仲間が私にあることを教えてくれた。

 北京にもストレス発散する場所ができたという。

 「鬼部屋」という店、業者は幽霊とミイラを演じる青年を雇った。客たちは店に入るとビックリして、ビッビッでしまい、「幽霊通路」から出てくる“幽霊”を反射的に殴って、“ミイラ”の頭をしっかりつかんで壁にぶつける。店の役者達は業者に命令されている。「お客さんは一番。殴られても殴り返すことを許さない」。客たちは騒ぎから大笑いに落ち、“幽霊”と“ミイラ”たちは鼻があざだらけとなり、顔がはれあがる。

 この話を聞いた私は、都市を遠く離れたくなってきた。

(08/21)





于 前(YU QIAN)

中国北京生まれ。フォト・ジャーナリスト。現在は東京を拠点に、中国大陸、香港、台湾の雑誌などに日本をテーマとした記事や写真を発表している。著書に「チャイニーズレンズ」(竹内書店新社)。



∧このページのトップに戻る
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。 Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.