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変わり行く「胡同」を歩いて…

2007年04月14日

文・写真 于 前

 古い町並みの中で訳もなく胡同(路地)をぶらぶらし、ちょっとした発見、ちょっとした驚きと出会って、何かを感じた瞬間にシャッターを押す。これが私流の今の北京を知る方法である。

 2月に北京に帰った私は、瑠璃廠から前門まで歩いた。珍しく、ある日本人が、私の北京での「取材」の様子を取材するために同行した。同じ景色を見て、同じ話を聞いても、それぞれの受け取り方によって全く違う理解が生まれて来ることを1時間半の間につくづく感じさせられた。

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 瑠璃廠は、北京の有名な観光場所で、骨董(こっとう)品店が並ぶ古い町並み。残された建物は、観光開発の力を借りて華やかな色に染められた。昔、瑠璃廠には多くの価値ある骨董品が並んでいた。ところが、観光地化されて以降、売っているものも、その建物と同じように、本物かどうか見た目で判断することが難しくなった。

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 外国人の友達を、ピカピカになっている瑠璃廠に連れて行くと、喜ぶ人が多い。「中国らしいですね!」と。確かに灰色の壁、緑の瓦は中国らしいが、瑠璃廠の本当の魅力はそれではない、と私は思う。瑠璃廠の古本屋には、いい本がたくさんあり、裏通りに生活する人々の暮らしぶりも興味深い。前門に向かって、真っ直ぐに歩くと、その奥には北京のもう一の姿が見える。発展した繁華街を抜け、細い道に入ると、すきまなく建つ「大雑院」(寄り合い住宅)が目に飛び込む。「大雑院」が密集する前門の一帯は、再開発のため、いまだ盛んに新しく「古い」建物を建てる最中だ。変わる前にもう一度見たいと思っていたところ、その機会に恵まれ、前門で一番狭いといわれる胡同――「銭市胡同」に入った。

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 この胡同は長さ約50メートル、幅0.7メートル。入って1分もたたないうちに、20代の女性が「招かざる客」を見つけたようにイライラした表情で、「何を見ているか!」と怒り出した。私は、そのまま出ようと思ったが、別の場所から陽気な声が聞こえた。「取材ですか?たくさん見ていってください。私たちの生活はこんなに大変なんですよ」暗い胡同に一人のおばあさんが立ていた。「私の家にも入ってみてください、父もずっとここに住んでいた。人が住む場所ではないですよ!」。おばあさんの許可をもらって、私は部屋をのぞいてみた。

 目の前の光景は、ぼろぼろな船に乗せたコンテナを思わせた。窓もない日当たりの悪い3畳一間で、ベッドが一つ。作りつけの棚にテレビと生活用品。新聞紙があふれていている。言葉を失った私の後ろで、おばあさんの笑い声が聞こえた。「このあたりの建物は昔銀行として使われていた。細かく見たら、全部いい建物ですよ。でも、人間が住むとなるとまったく違う。火事になったら、逃げ場はない、それが怖くて…」  もし、20年前に日本人をここに連れて来たら、私は「売国奴」と思われて、批判されるかもしれない。一緒にいた日本人は日本語で質問した「前門は変わりました?前門の開発はどう思いますか?開発はいいことですか?」。「ここは全然変わっていない。皆早くここから出たい。開発したら、必ずよくなるよ。」。おばあさんは明るい声で答え、「どこのマスコミですか」とも聞きはしなかった。おばあさんはこうも言った。「ここは写真になったらきれいでしょう。絵になってもきれい。でも生活となると全然違う」私にとって考えさせられる言葉だった。

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 おばあさんの話で、この胡同の由来もわかった。清の時代に金銭の交易する市場として使われ、「銭市」の名前がついた。何とここは中国の金融市場の原形とも言える場所で、建物のつくりも研究に値するようだ。そのため、知らない人が突然やってきて、2時間も3時間も、絵を書いて記録していくことがあるという。おばあさんの話しぶりには、なぜか明るさを感じた。北京の一番細い胡同で、卑屈にならず自分の本当に姿を見せてくれる姿に魅力を感じた。おばあさんにとって、自分の前に立つ人間が中国人であろうが、日本人であろうが、関係ない。言いたいことを堂々と話し、悩みを打ち明け、明日は必ずよくなると信じ込んでいる。たくましいではないか。

細い胡同から出て、前門の広い通りが見えた時、日本人は私に質問した。「中国は資本主義の国ですか?」。私は答えた。「違います。中国の特色を持つ社会主義国ですよ」。無言の時間が続いた。うまく説明のつかないことが一杯ありすぎて、私は視線をわざとずらした…

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