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100年後の北京

2007年05月24日

文・写真 于 前

 松山市内を走る坊ちゃん列車を見て、中国人の女性編集者が深いため息をついた。

 「その昔、上海でも古い路面電車が走っていたのですよ。あのまま残していればどんなによかったか」

 情けない、という表情をした彼女に私は言った。

 「大丈夫! 実はこの坊ちゃん列車、復元なのですよ。中国でも路面電車を復元すれば、100年後、それは骨董品になるでしょう」

 

 彼女の顔に広がっていた曇りがぱっと晴れた。

 「確かに。そういえば路面電車が一部復元するという噂をどこかで聞いたことがあります」

 「でしょう!?」

 その場にいた人達はしばらくこの話題で盛り上がった。

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 100年後への期待。北京へ帰ったら、街に出かけて目の前に広がる風景をよく観察してみよう。100年後の北京の町並みがどう変わるだろうか。テレビゲームの世界のように未来を想像するのは楽しいことだろう。

 

 ある日、自宅からタクシーに乗った。車窓から100年後の町並みをあれこれと想像しながら、ぼんやりと景色を眺めていた。ところがしばらくして、タクシーがまったく動いていないことに気がついた。あれっと思ったら、例のあの場所だ。

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 「どうして西直門立体交差橋に入ったのですか」

 思わず運転手に語気を強めて言った。

 100年後、笑いものになる建造物なら、ここは絶対に選ばれる。この立体交差橋、北京では「世界的な渋滞名所」と言われる。新人運転手なら間違いなく、道に迷ってしまうだろう。なかなか橋から降りられないので、あせってしまい、まったく別の方向に向かってしまうのだ。

 

この橋については冗談話が山ほどある。

その一つ。「西直門立体交差橋に少年が登った。交通警察に見つかってやっと降りてこられたら、ひげの深い老人になっていた」

 

 ここを通るなら、運転手は前もって乗客に確認するのが常識だ。

 「もっと早く、教えてくれていたら・・・」。40代の運転手は笑いながら逆に私を責めてきた。

 「まさか初めてこの橋を通るわけではないでしょうね」。遠慮なく運転手に言った。

 「大丈夫、心配しないでください。お嬢さんがまだ若いうちに降りられるようにしますから」

 大きな笑い声が車内に響いた。

 それからかなりの時間がたった。が、タクシーはまだ橋の上をぐるぐる回って出られない。さきほどの明るい空気はどこかに消えてしまった。いらついてくる気持ちを紛らそうと、つい質問した。

 「どうしてこの橋はいつも混んでいるかしら」

 

 この質問が不機嫌を募らせていた運転手の感情に火をつけてしまった。彼は突然、上気した顔で声を荒らげた。

 「まったく腹が立つ! この橋をデザインした人は車の運転ができない女性ですよ」

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 私はすぐに黙った。怒り出すくらいなら、このまま何も聞かない方がましだ。結局、無言のままタクシーはノロノロと進み、橋から降りるのに40分もかかってしまった。

 

 その日、自宅に戻る時、別のタクシー運転手に言った。「西直門立体交差橋だけは避けてくださいね」。

 運転手は私の言葉を聞いてにっこり。

 「本当にあそこだけは通りたくないですから。まかしてください」

 タクシーに乗り込んでから思わず真剣に聞いた。「あの立体交差橋はどこに問題があるのですか、教えてください」。

 「簡単です。右に回れないし、標識もよくわからないからですよ」

 私は半分、冗談のつもりで言った。「あの橋、100年後にはきっとなくなりますよ。なくならないなら、変な建造物として博物館に展示されるでしょうね」

 ところが、運転手は全く乗ってこない。

 「現実に生きる私にとって、まずは今、この橋を何とかして欲しいですよ」

 

 タクシーから降りる時、運転手が言った。

 「橋をデザインした女性は皆の文句に耐えられなくなって自殺したらしいですよ」

 

 この自殺説、マユツバだろうが、こういう話が出てくること自体、橋に対する市民の恨みがいかに強いかを表しているのだろう。

 そうか・・・。考えて見れば、100年後に期待する私の発想もその延長線上にあるのかもしれない。

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