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竿秤がいらなくなる時

2007年07月27日

文・写真 于 前

 中国の食品問題のニュースが日本でも頻繁に取り上げられている。中国人の私には日本人からたくさんの質問が寄せられる。

 ある日、日本人の友人から言われた。「今の中国では、気がつかないうちに人がバタバタ、バタバタと死んでいるのではないですか?」

 「バタバタ」という日本語は実にリズム感がある言葉だ。目の前で人が倒れていくシーンが見えるほど生々しい印象をもたらしてくれる。

 社会主義国で生まれ、国営企業でしか買い物ができない環境で育った世代が自由市場に足を運んだ時、驚きと同時にたくさんの疑問が生まれる。国営食品では決して見ることができない豊富な商品を目の当たりにするからだ。

 一番理解できないのは「どうして自由市場ができたら、商品も魔法のように急に増えるのか」だろう。

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 当時は、自由市場で買い物をするより、国営店で買った方が安心できるという見方があった。特に問題になったのは、竿秤(さおばかり)への細工だ。竿秤と聞いて、ぴんとくる日本人は少ないかもしれない。竿の分銅を動かして、釣り合いのとれた所の目盛りを読む秤の一種で、中国では昔からポピュラーな秤だ。

 一部の自由市場の売り子が、この秤に小細工をして重さをごまかすことがしばしばあったのだ。

 84年のある日、母は10キロの食糧を買える「食糧配給券」を使って、自由市場でこの竿ばかりを買ってきた。「家族の健康を守るため」と大喜びで竿秤を手にして帰宅したのに、この買い物は家族の笑いものになった。

 特に父は母のこの買い物には全く理解できないと大笑いした「そんな秤を使う時間があるなら、花に水をやった方が体に良いのではないか?」

 母親の言い分は「買ったものの重さを量れば、自分がだまされていたかどうか分かる」だ。しかし、父は、「だまされたことが分かったら、損した気持ちになり、そっちの方が健康に悪いじゃないか」と主張した。

 「竿秤で買ったものの重さを全部量ったら、自分で悩みを買っているのと同じでしょう。重を量らなければ、損することもわからない訳だから。」と私も父の意見に賛成した。

 母は竿秤を前にするといつも複雑な表情になった

 「今日はいい人に出会えた」「どうして今日騙されたのか」。いつもこんなことばかり、口にするようになった。

 

 しかし、一年間、毎日竿秤を使い続けていたら発見があったことも事実だ。竿秤を使うことで、自由市場のどの売り子が信頼できるか、いつもごまかして客を騙そうとする売り子は誰か、次第に分かるようになったからだ。つまり、竿秤は、売り子の信用度を計る物差しになり、家族の大切な品物になってしまった。

 90年代に入ると、中国は猛烈な速度で大きく変わろうとする時期に入った。

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 日本に来た私は中国に戻る時にその変化にどれほど驚いたか。どこでもお金さえあれば何でも買えるような空気が漂ってきた。自由市場でも、食品売り場でも、見たことがないものがどんどんと増えてきた。

 大体そのころから、実家で料理を食べると必ず母の説明がついて来た。このしょう油は良質だから心配はいらない。その塩も合格品。ごま油も高級品で大丈夫、などなど。

 実際に母はかなり敏感な体質で、何か問題があるものを食べたら、すぐに体を壊して病院に走ることがしばしばあった。

 2000年に入って年老いた両親が毎日買い物をしている姿を見て、私も手伝いたいと切り出した。

 両親とも意外な表情を浮かべた。「(あなたじゃ)あまり分からないだろうから」と困った感じだった。

 「私は外国で十何年も生きている。どうして自分の故郷に帰って買い物ができないの?」 私は反論し、両親はさらに戸惑った表情を見せた。

 しかし、両親の買い物に付き合ったらすぐに理解できた。

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 たとえば、野菜。見た目が異常にきれいなもの、大きすぎるものは買わない。みずみずしい生野菜も禁止。牛乳やヨーグルトは知っている会社のものに限定する。

 肉は国営の店でしか買わない。しかも実家から往復で3時間かかる北京の有名な老舗で買うこともしばしばだ。挽肉もだめ。挽肉の場合は、まず新鮮な豚肉を買って、売り子に頼んで必ず目の前で挽いてもらう……

 例え偽物があっても、大きな食品店なら問題はないのではないか? 私の家族だけ過剰反応しているのではないかと思った。

 「友達の家は何でも深く考えずに食べているけど、おばあさんは100歳になっても、元気にしているよ!」

 私のこの意見を耳にして、母は情けないと答え、「悪いものを食べたら、すぐ反応が出る。自分の体も竿ばかりになったみたいだ」と冗談を言った。

 

 両親は食品に対して、考えをますます厳しくする一方だ。

 そんな両親が最近、さらに忙しくなった。毎日の夕刊が来ると、老眼鏡とハサミを出して、新聞を読みながら切り抜きをする。

 新聞には、問題を指摘された品物のリストと生産元が掲載されていた。

 毎日その記事を切り抜いてノートに貼り、買い物の前にチェックしないと安心できないのだという。

 今年の旧正月に北京に帰った私はまた新しい発見をした。

 実家の隣に住むおばあさんが何回も竿秤を借りに来た。

 母は笑いながら竿秤を差し出す。

 「どうしてお金儲けのために良心を売る人がいるのでしょう? 現代化を目指すためにはこのような代価を払わないといけないかしら?」

 ため息をつく私を見て、母は言った。「この竿秤を使う必要がなくなる日が将来、きっと来るはずだから」

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