2008年11月11日
レンズに向かって無邪気に笑いかけてくる子供たち。その笑顔は言葉では表現できないほど素晴らしい。そんな顔をカメラに収める時、私は必ず子供達と一緒に笑うことにしている。
3年前、仕事で、ある村の小学校を訪ねた時のことだ。
校舎内を回ると、所々教師がいない教室が目に付いた。私は子供たちが自習している教室のひとつに入って挨拶をした。
教室の子供たちは突然の侵入者である私を見て、なんの違和感もなく、元気一杯に笑い声を上げた。中には笑いが止まらなくなった子や、はずかしそうに顔を隠す子も。純真な眼差しを見た時、私はカメラで記録したいという気持を抑えきれなくなり、その表情を撮りまくった。
しばらく夢中でシャッターを押し続けた。そして子供たちとの別れ間際、私は思わず一言を口にした。
「知識で運命は変えられるのですよ」
突然、こんな硬い言葉を口にしたのに、子供たちの笑い声は一層大きくなり、教室の雰囲気はさらに明るくなった。
学校の敷地を出ようとする時だった。広場に置かれた黒板の作文に思わず引きつけられた。
「貧しい村に住んでいる私は、この村に生まれ、この村を愛している。最近家にお金がある子が村を離れた。都会へ行って豊かな生活を望んでいるという。でも学校を離れて、村を去った友達を見る時、私は全然うらやましいとは思わない。貧しい生活を送っていても、私はこの村を愛し、ここから離れるつもりはない。今も、そして将来も・・・」
一読して、すぐに教室に戻ろうと思った。
今、この場でこの子供たちに教えるのだ。生まれた場所、自分の村を愛する気持は確かに宝物だ。が、豊かになることは悪いことではない。村を出ることが悪いという考えも正しくはない。外の世界を知らないと自分の村は永遠に貧しいままで終わってしまう。もし私が親なら、頑張って自分の子供をもっと良い学校に行かせてあげる。少なくともすべての教室に先生がいる学校に行かせて、もっと勉強するようにと伝える。私は作文を書いた子に言いたかった。豊かになることは悪いことではないのだ、と。
だが、教室の門の前まで戻ったところで、足が止まった。雲のない青い空を見上げたら、頭も少し冷静になった。
そして考えた。
もしこの村の子供たちが都会に行ったらどうなるのだろう。
都会には様々なものがある。小学3年生にゴルフを教える学校。「貴式教育」を合い言葉に、子供を高級ホテルに連れて行き、金持ち体験をさせている親たちもいる。そんな現実を知ったら、この子供たちはこんなに無邪気に笑えるだろうか? 教育の公平もこの私のような大人の責任なのではないか?