2009年02月10日
中国で女友達が集まると、よく将来の夢を語る。
「女も半分支える」と主張する中国女性は、結婚後もキャリアを手放さない傾向が強いのだが、このところ、仕事を辞めて専業主婦になりたいという夢を語る友人が増えてきた。
友人の編集者が言った。
「専業主婦になったら、庭付きの豪邸に住んで、高級レースが付いた寝間着を着て、太陽の下でのんびりと本を読む生活がしたいな」
私にも夢がある。2週間、雲南に滞在した時、花に囲まれた自然の中で踊っている女性を見た。自分もいつかは仕事をやめ、専業主婦になってあの雲南省の小さな村に定住したいと、心底願っている。大自然の中で気の向くままに生活するのだ。自分にもこんな思いがあることに我ながら驚く。
私たちが夢想する専業主婦の生活には共通点がある。
「自分勝手」だ。
少し前まで、家事をして、外で働かない女性は「家庭婦女」と呼ばれ、「専業主婦」という単語はあまり使われなかったと記憶する。お金を稼がない女性の社会地位は弱く、男性の付属品のように扱われた。
ところが、今や「専業主婦」になるには金持ちでなければいけない。いつのまにか、「家庭婦女」は「専業主婦」に変わってしまった。
夢を語るのに金はいらない。いくら夢を語っても他人に迷惑をかけることはない。
だが、夢は語ることでついえることもあるようだ。
新年を迎えて、世界的に不況の波が押し寄せる中、この編集者の夫が経営する会社が大きな契約を結ぶことに成功した。早速会社も急成長することが確実になり、北京近郊に庭付きの一戸建てを購入した。昔からの夢が一つ実現した。
彼女は笑いながら、次の夢を語ってくれた。
仕事を辞め、毎日高級なお茶を飲みながら、夕食の献立を考えることなく、食べたい料理を家政婦に伝える。食事ができあがるまで、自分は庭のバラの花を切って、食卓に飾る。歓声が上がり、仲間も次々と彼女に祝福の気持を届けた。
ところが人間は考える動物だ。夢が実現しそうになった時に、目が覚め、考え方も逆転して、違う結果になることがある。
彼女はブログに夫との会話の内容を書いていた。
夫「仕事をしたくないなら、専業主婦になってもいいよ」
私「毎日何をしたらいい?」
夫「家が広いから、掃除も時間がかかる」
そして、次の日。
夫がヨーロッパ家具のカタログを持ってきた。
夫「新居の内装はこうしよう」
私「家がこんなにおしゃれになったら、私、何を着ようかしら」
夫「シルクのパジャマに刺しゅうが入った靴」
また、次の日
夫「最新のオーブンを買おう。これがあったら、毎朝美味しいパンをつくれるよ」
私「私が毎日パンを作ったら、あなたは家で何をしているの?」
夫「そうだな。2階で寝て、食事ができたら、呼んでくれないか」
私は彼女に連絡した。
「どう、専業主婦?」
「だめ。働く女性の看板を捨てたら、家で家事もやらない私はすべて失うことが分かった」
私たちが熱く語っていた専業主婦の夢は現実の前にもろくも壊れた。
その後、彼女は冗談半分に夫に新しい夢を語ったという。
仕事を辞める条件は一つ。新しい会社の人事責任者になること。
彼女は仲間にその理由をこう説明した。
「会社に面接に来る女性がいたら、若くて、きれいな女性は全員不合格。私が選ぶ社員はハンサムな男性だけ。メスは出入り禁止。たとえハエでもメスはだめ。何て素敵な会社でしょう」
ああ、女たちの夢はどこまで…。