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家を持つということ

2009年5月26日

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 中国語の四つの子「妻子」(妻)「房子」(家)、「孩子」(子ども)、「面子」(メンツ)」に優先順位を付けたらどうなるだろう。

 私は、常識的にこう考えた。

 まず結婚する相手がいるから結婚できて、妻を持つ。その後子供が生まれ、経済力があれば家を買う。メンツは人に見せるもので一番気にしなくて良い。つまり、妻→子ども→家→メンツの順だ。

 しかし、4月北京に帰った時、はたと気がついた。

 いまの中国の現実では、家を持ってない男性は結婚すら難しい。当然、妻も子どももメンツも回ってこない。すべては家を持つことから始まる。

 私が北京に住んでいたごろ、街は厳格に仕切られた都市だった。

 1949年以降、北京は一度大きく変化したのだ。街を四つに分け、新しい街を作った。これで仕切が生まれた。

 四つのうちの一つは海淀、中関村を中心とする、大学、研究機関が集まる文化区。次に公主墳を中心とする、軍人が住む軍事区。三つめは天橋を中心とする、昔からの北京住民が集まる「老北京」の居住区。そして四つめは三里河あたりの国家機関の職員の居住区。

 4地域の住民の生活は、それぞれの地域内で完結するため、地域間の交流は少ない。部外者が自由に出入りできない場所も少なくない。

 このため、北京市内では住む場所によって、使う言葉や話の中身も変わってくる。

 文化区に生まれ育った私は、同じように生活する人々を見てきた。そのうち、金があれば、好きな場所で家を買え、また、家を借りさえすれば、自由に引っ越しできるようになった。

 北京の街の仕切は、この開発をきっかけに変わってしまった。いまは、金の力によって、人々の居住形態が分け隔てられるようになった気がする。

新しいビルが集まる「新社区」(日本の団地と似ている)で、各地域の人々が同じ場所に集まった。この「新社区」でしばらく生活したのだが、ここで多くのことに気がついた。

 最初の3日間、生活は新鮮そのものだった。

豊かな緑がみずみずしい。桃の花がピンクの世界を作って、すべてが明るく見えた。様々な運動具が置かれ、日光の下で運動するお年寄りや、孫と一緒の祖母や祖父たち・・・誰の笑顔も落ちついて見えた。

 しかし、会話を交わすと分かった。こんなに調和がとれた風景というのに気持ちがすさんでいるのだ。原因は「家」だ。

「私は家を持っている、あなたはないでしょう」

「こんな広い家、みたことありますか」

「日本で家も持ってない?それなら中国に帰ったら」

「家を何軒持っているのですか」

 ある日、散歩したら、女性のお年寄りが孫にこんなことを言っていた。

「将来家を持ってない男性と結婚してはだめだよ」

 家、家、家、家・・・挨拶も、考え方も、自慢話も、すべて「家」。

 家を持つことは、成功の象徴、家は財産、誉れ、メンツでもあるわけだ。

 だから、経済力があろうが、なかろうが、無理をしても、自分の家を持ちたいと考える人が多くなったような気がする。家を買うということは単に財産が増えたことを意味するのではなく、精神的な安定をもたらし、周囲の年長者も小言を言わなくなるということなのだ。自分の家を持ってないということは、メンツがないことを意味する。

 人生が家を中心に回り始める。果たして、家の持つ意味、重さはいかほどなのだろう。

于 前(YU QIAN)

 中国北京生まれ。フォト・ジャーナリスト。現在は東京を拠点に、中国大陸、香港、台湾の雑誌などに日本をテーマとした記事や写真を発表している。著書に「チャイニーズ・レンズ」(竹内書店新社)。

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