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広州は古くから貿易港として栄え、唐の時代には、中東商人の居留地だった。孫文の革命運動の拠点となり、中華人民共和国成立後は、交易会の会場として唯一の対外貿易の窓口となった。トウ小平は広州と広東省に着目し、経済の実験場とした。驚くほどエネルギッシュな広東人だから、発展を成し遂げたともいえる。熱く、勤勉に、そして、したたかに成長する広東、広州を紹介する。 |
第1回
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広東省に加え、香港、マカオと周辺に広がる広大な地区を含む「汎・珠江デルタ」構想が研究されている。将来はEUに匹敵する地域経済共同体をめざすという。
(02/01)
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第2回
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華南地区の商都、広州市が「自動車の町」に生まれ変わりつつある。ホンダ、日産、トヨタが相次ぎ進出。市は外資進出を歓迎し、「中国のデトロイト」を目指す。
(03/31)
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第3回
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広東の発展は、中国の改革開放路線の先導役を担ってきた。出稼ぎ者の厳しい労働条件や電力不足など、重い課題を抱えながらも前進しようとする人々と現状を紹介する。
(04/22)
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第4回
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成長力みなぎる広州では、電力不足さえも商機としようとしている企業がある。深刻な状況でも、投資は続く。
(05/12)
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第5回
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「食は広州にあり」――。豊富な食材と多様な調理法で知られる広東料理。数千年の歴史を持つ伝統料理も、経済発展に伴って変化の波にさらされている。(05/19)
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第6回(終)
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世界各地で暮らす華人の3分の2は広東省の出身。異国で裸一貫から事業を成功させた人たちを見てきた故郷では、教育重視の伝統が受け継がれてきた。(05/25)
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●広州キーワード
[伝統の広州交易会]
57年に始まった広州交易会は、改革開放路線が始まるまで、中国本土で開かれた唯一の輸出商品商談会で、西側企業にとって、中国側と取引する数少ない機会だった。
毎年春と秋に催され、04年秋で96回を数えた。04年は春秋合わせて契約額517億ドル、参加者延べ32万人と、いずれも史上最高。
改革開放後は、貿易や投資規制が徐々に緩和され、商談会も全国各地で催されるようになったため、影響力は相対的に低下した。だが、今も全国最大級の規模を維持している。
広州市は交易会の知名度を利用し、国際コンベンションセンターの役割を担おうと戦略を練っている。自動車や電子機器などの展示会とそれに合わせた国際会議を誘致する構えだ。ライバルは北京や上海だ。
[革命の父、孫文ゆかりの街]
広州は、中国革命に一生をささげた孫文ゆかりの街だ。
字(あざな)は逸仙、号は中山。広州から南に約80キロの香山(現在の中山)の農家に生まれ、広州の医学校で学んだ。清朝打倒をめざして1895年に初めて武装蜂起したのも、国民党を率いて初の全国代表大会を開いたのも広州だった。
孫文が広州に残したふたつの学校が今年、相次ぎ80周年を迎えた。
ひとつは広州の東郊、珠江の長洲島にある黄埔軍官学校。共産党との協力でできた同校の初代校長は蒋介石。周恩来も政治部主任を務めた。
旧日本軍に空爆され、その後修復された同校は今、記念館として観光客を迎える。共産党との内戦に敗れた国民党が逃れた先の台湾からの客も多い。孫文の革命を支援した日本の盟友、梅屋庄吉のコーナーもある。
軍官学校の「武」に対して、「文」のエリートを育てるために開かれたのが中山大学だ。北京大学と並び学生運動が盛んだったことでも知られる。誕生日である11月12日に開かれた80周年式典には、海外在住の卒業生も駆けつけた。梅屋が贈った孫文像の前で記念撮影する人も相次いだ。
広州には、孫文を慕う華人らの寄金で建てられた中山紀念堂や旧国民党本部など史跡も多い。
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