成功求め 街と前進:上
広東の発展は、四半世紀を迎えた中国の改革開放路線の先導役を担ってきた。その奔流に乗って成功を収めた人々、そして、これからの成功の夢を追う人々が今もひしめき合っている。中国各地から流れ込む出稼ぎ者の厳しい労働条件や、追いつかない電力など重い課題を抱えながらも、さらに前進しようとする広東の人々と現状を紹介する。
貧農から年収1億円超「電気城」の主に
「電器城」は、地元の区政府庁舎と張り合うかのようにそびえていた。
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| 「よくここまで来たと思います」と話す徐鏡南さん=広州市花都区の「光之彩電器」店内で |
オレンジ色の正面入り口をくぐると、ずらりと並ぶ新製品。日本製、韓国製、中国製の薄型テレビ、DVDプレーヤー、携帯電話……。
家族連れやカップルであふれかえる売り場に小柄な男性が現れた。白いシャツにしま柄のネクタイ。頭を下げながら近づいてきて「ようこそ」。店員かと思ったら、ここの「城主」、徐鏡南社長(34)だった。
中国語で家電量販店を「電器城」という。徐さんの3階建て電器城「光之彩電器」は、広州市中心部から北へ約20キロの同市花都区にある。売り場面積は1万平方メートルで、中に入ると店内の奥は見通せないほど広い。
高層マンションやオフィスビルが立ち並ぶ花都区は、78年に中国の改革開放が始まるまでは、一面に田んぼが広がる農村だった。この電器城が立つ場所は、徐さんが幼いころ、牛追いをしていた丘だ。
「よくここまで変わったものです」。徐さんは「広東と一緒に歩んできました」と振り返る。仕事を終え、車で自宅に帰る途中、昔の田園風景を思い出し、広東と自分の人生が重なって思えるときがあるという。
生家は貧しい農家だった。6人兄弟の5番目。おかずがなくて、ご飯にしょうゆだけかけて食べたこともよくあった。
運動が得意で、13歳から重量挙げの選手として広州の体育学校に進学。五輪に出場するのが夢だった。しかし、17歳のとき練習中に左腕を複雑骨折。夢はついえた。
失意のどん底。どう身を立てていけばいいのか。その時、周りを見回すと、急速に豊かになろうとしている街の風景があった。
テレビ製造工場に知り合いがいた。テレビを安値でまわしてもらい、約20平方メートルほどの電器店を開いた。チャンスがめぐってきたのは88年。経済過熱で1日で2〜3割も物価が上がるという急激なインフレが起きた。
さらに広州では、出回って間もないため品不足だったカラーテレビの購買熱が異常に高まり、「いくら高くても売れる状態」だった。テレビの優先的な卸しルートを確保し、仕入れ値の3倍で売りまくった。
手持ちの資金が一気に10倍近くに増えた。銀行からの資金借り入れも容易になり、事業を急拡大。93年から大型の電器城を建て始め、10年間で六つにまで増えた。現在、全店合わせた売り上げは、1日50万元(約650万円)。従業員計500人を抱える。
愛車はトヨタ自動車の高級車「レクサス」。自宅は3階建てで、リビングは広さ80平方メートル。年収は約千万元(約1億3千万円)に達した。
中国の改革開放の先導役を担った広東省では、徐さんのようなサクセスストーリーが多く生まれた。そして、広東の経済発展の急激なスピードを反映して、その主人公のほとんどが30〜40代と若いのが特徴だ。
徐さんは、運動選手時代によく聴いたこともあって、中国国歌が大好きだという。「前進、前進、前進進」と歌詞を口ずさむことがある。
環境の変化があまりにはやすぎて怖くなることもある。「でも、私も広東も後戻りはできない。前に進むしかないんです」
「出稼ぎ」に言葉の壁 産業支える省外出身者
「さあ、繰り返して。ワン・タン・ミン(ワンタン麺)!」
11月の夜、広州市番禺区郊外の中興地区にある雑居ビル2階。隅に本棚が並ぶ図書室が広東語の教室になっていた。真ん中にある卓球台が即席の勉強テーブルだ。
集まっているのは、各地から出稼ぎにやって来た「民工」と呼ばれる人々。若い女性から中年の男性まで20人ほどが会話を練習している。「今日は休みだ。どこかへ行こうよ」「番禺1日ツアーをしよう」
初参加だった河南省出身の女性、劉喜彩さん(22)は声を詰まらせた。「話せません」。先生役のボランティアの大学生が元気づける。「話せないからみんな来てるんでしょ。さあ、さあ」
毎週日曜の無料講座を開いているのは、労働者の権利を守る活動を続けている地元の非営利組織(NPO)。代表の曽飛洋さん(29)は「言葉の壁は絶望感のもと。小さな手助けだけど、みんなに地域社会との接点と自信を与えたい」という。
中興地区は、民工の住むアパートが立ち並び、出身地の四川や湖南料理の飲食店が目立つ街だ。
劉さんは電子部品工場の従業員だ。月給は約400元(5200円)で、家賃は月100元(1300円)。広州に来て5年になるのに広東語が話せないことが「恥ずかしい。友達もできない」と悩み、教室の扉をたたいた。
広東省の工業地帯を下支えしているのは劉さんのような民工だ。工場の納期が近づけば1日14〜17時間といった長時間労働も珍しくない。過酷な労働条件だが、彼女らの表情は暗くはない。「私の仕送りで弟が中学校へ通える」「将来郷里で店を開きたい」と、希望が口をついて出る。
曽さんたちは、民工の相談に乗り、人権や法律の知識を持ってもらう活動を続けている。発展の陰で増える労働問題に取り組む組織が生まれ始めたのも、ここ最近のことだという。
民工の待遇が良くなれば、不足している労働力がさらに広東に集まり、仕送りを通じて地方経済も潤って中国全体の市場が拡大する、と曽さんは信じている。「長い目で見れば、私たちも経済発展を助けているんです」
●こんなに違う広東語と普通語(北京語)
[日本語] [普通語(北京語)] [広東語]
おはよう ニン早(ニンツァオ) 早晨(ジャウサン)
ありがとう 謝謝(シエシエ) 多謝(ドーツェ)
いくら? 多少銭(トゥオシャオチエン)幾多銭(ゲイドーチン)
1、2、3 イー、アル、サン ヤッ、イー、サン
どこ? ダ里(ナーリー) 辺度(ピンドー)
トイレ 洗手間(シーショウチエン) 洗手間(サイサウカン)
だれ? 誰(シェイ) 辺個(ピンゴー)
日本人 リーペンレン ヤップンヤン
●キーワード
[広東語と普通話]
広東省や香港、マカオで使われる言葉は、中国の標準語とされる「普通話」(北京語)ではなく、広東語だ。同じ漢字でも発音が違い、言葉によっては単語自体も違う。
広東語の習得は、広東省にやってくる出稼ぎ労働者にとってはキャリアアップの最低条件だ。中には、広東語習得を採用条件にする企業もある。
(04/22)