内田篤人スペシャルインタビュー

ブラジルにかける。

 4年に1度の大舞台を、DF内田篤人(26)=ドイツ・シャルケ=は待っていた。前回南アフリカ大会は開幕前に定位置を失い、1秒もピッチに立てなかった。直前の負傷を克服して間に合わせた今大会。かける思いは強い。

聞き手・構成:中川文如  写真:小宮路勝

■ けが、4年前のこと

 ――2月9日のドイツ1部リーグで右太もも裏の肉離れ、腱(けん)断裂を負いました。

 「最初の診断は肉離れだけだったんだけど、再検査を受けたら、手術が必要だと。メスを入れたらW杯に間に合わない可能性があるので、すぐ帰国し、鹿島時代からお世話になっている医師に診てもらった。『手術せずに治す』と言ってくださり、ようやく前向きになれた」

 ――4年前のW杯イヤーも、原因不明の吐き気に悩まされました。

 「だから重傷だとわかった瞬間に感じた。やっぱりW杯には縁がないのかもって。ザッケローニ監督に拾ってもらってメンバー入りは果たせたけど、まだ縁はないと思っている。W杯本番のピッチに立つまでは」

 「リハビリで体を追い込み、4年前よりコンディションは充実している。心肺機能のテスト数値は負傷前より良くなった。何より、ここは休みどころだと切り替え、精神的にリラックスできたことが大きい。試合に出続けていれば『過密日程で疲労が』と周りに懸念されるわけで、ものは考えようだから」

 ――前回、チームは16強に進みましたが、自身は出場できませんでした。

 「岡田監督(当時)にずっと使ってもらってきたのに最後までもたなかった。チームが勝てなくなり、戦い方が守備重視に変わった時、監督が求める守備力が僕にはなかった。大会後、多くの方に祝福していただいたけど、僕は何もしていないんだっていう悔しさは消えなかった。あんな経験、二度としたくはない」

 ――あれから欧州の真剣勝負を経験しました。

 「ドイツでは1対1の攻防が重視される。そこで勝つのが前提で、抜かれた時に周りがカバーリングする発想はシャルケにはない。だから、練習から球際の『削り合い』が続く。その環境で自然と守備面が鍛えられ、個人的にも相手との駆け引き、間合いの取り方を研究してきた。以前ならほとんど見なかった他チーム同士の試合、見るようになったから。いまは守備が楽しい。1対1で球を奪うプレーが快感。4年前より日本代表に貢献できる自信は、間違いなくある」

■ 代表の現状

 ――日本代表は昨年秋の欧州遠征に分岐点がありました。セルビア、ベラルーシに連敗した10月を経て、11月はオランダと引き分け、ベルギーに勝った。

 「細かい修正はあった。でも、何かを大きく変えたという意識はない。いまのチームは左から攻める形が多いから、オランダ戦で右サイドバックの僕が上がって2点目を奪い『右からも攻めるようになった』という印象を与えたかもしれないけど、状況に応じた右からの仕掛けは、10月も心がけていたプレー。それを、チーム全体で柔軟に繰り出せたから得点につながったということ。ぶれず、我慢しながら、やろうとしてきたサッカーに結果がついてきた感覚」

 ――ザッケローニ監督の指示は。

 「監督は個別に指示を出す。僕にはいつも『攻守、左右のバランスに気を配れ』と。

ただ最近、就任時より『やりたいプレーをやってみろ』と選手に主張を求めている気がする。

だから僕も、攻めた方がいいと思えば、バランスを崩してでも攻撃参加する場面がある。

それがチームのためになるのなら、監督も理解してくれるはず」

 ――19歳で代表入りし、気がつけば26歳。立場は中堅です。

 「主将の長谷部誠さん(ドイツ・ニュルンベルク)を助けようとか、年下の選手をまとめようとか、いままで思いも寄らなかった役回りも必要な年齢になった。10月の選手ミーティングでは、代表に入って初めて発言した。柄じゃないんですけどね。W杯を戦い抜くため、チームのまとまりは大切。米国合宿ではトレーニングパートナー(高校年代の練習要員)の若い2人も巻き込み、ワイワイとやれる雰囲気をつくりたい。陰からこっそり支えます」

ブラジルへの覚悟

 ――W杯で1次リーグを突破するには。

 「日本が入ったC組は実力が接近し、どのチームも『いける』と考えているはず。だからこそ、まず初戦に全力を注ぐ。目の前の一戦を乗り越えなければ先はない。短期決戦も1年間のリーグ戦も、そこは一緒」

 ――4年前は「若いから思いきってリスクを冒したい」と話していました。

 「あの頃は生意気だったな……。ブラジルでは、勝負に徹するプレーあるのみ。攻撃参加について触れたけど、勝てるなら、バランスを取るため、ずっと僕が攻撃から消えてもいい。チーム全体を落ち着かせるようなパス回しの起点にもなりたい。押し込まれたら、ひたすら蹴り返し、耐えるプレーも必要。そんな流れでラッキーゴールが入っちゃうとか、結果オーライの勝利でも全然、構わない。W杯は結果がすべて」

 ――2大会分の思いを込めたW杯になります。

 「メンバーに選ばれたのは23人でも、代表に入りたい、W杯に出たいという思いは23通り以上ある。僕の場合、背負わなければならない思いが4年前とは比べ物にならないほど増えた。南ア大会で僕と同様に出番を得られなかった岩政大樹さん(元鹿島、現タイ・テロ・サーサナ)や森本貴幸(千葉)。今回の23人に入れなかった選手。治療やリハビリを支えてくれた医師、トレーナー。みんなのためにも、W杯のピッチに立って、勝ちたい。最初で最後のW杯というくらいの覚悟で挑みたい」

 ――最初で最後とは。

 「どんな景色がW杯のピッチから見えるのか、まだ僕は知らない。4年後は30歳。監督が代われば選考基準も変わるし、次のW杯を迎える頃に自分がどうなっているのかなんて誰にもわからない。それに、そのくらいの覚悟がなければ、ブラジルに行きたくても行けない人たちの思いには応えられない」

■ 写真で振り返る 2006年-2014年

うちだ・あつと
1988年、静岡県生まれ。
県立清水東高校から2006年にJ1鹿島入り。J1では07~09年に史上初の3連覇を果たすなど124試合に出場して3得点。10年夏にシャルケ(ドイツ)に移籍。10~11、12~13、13~14年シーズンの欧州チャンピオンズリーグに出場し、日本選手で唯一、準決勝のピッチに立ったことがある。ドイツ1部リーグでは85試合1得点で、日本代表では65試合1得点。ポジションは右サイドバック。