サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、選手以上に注目を浴びているのが、アルゼンチン代表を率いるディエゴ・マラドーナ監督(49)だ。1986年メキシコ大会で主将として母国を優勝に導いた英雄は、一方でサッカー界のお騒がせ男でもある。
27日のメキシコ戦の試合前。マラドーナは通路で待つ選手一人一人のほおに口づけをして回った。前半33分、イグアインがチーム2点目を決めると両手を広げて子どものように駆け回り、166センチの太った体をぶつけるようにしてスタッフと抱き合った。喜怒哀楽を素直に表す彼の行動と表情を、カメラも常にとらえて逃さない。
選手たちへのあふれんばかりの愛情を韓国戦後の記者会見で問われた時には、「私は女性の方が好きだ。そんなリスクは冒さない」。報道陣とのやりとりも一流。前評判の低かったチームが1次リーグから快勝続きだ。
練習時には、両手首に腕時計。右腕の内側には入れ墨が見え隠れする。首には十字架のネックレス、耳にはピアスがキラキラ光る。3月に飼い犬にかまれた顔は、白髪交じりのひげで覆われている。「傷を隠すために伸ばしたが、好評だ」
86年大会の準々決勝イングランド戦で見せた「伝説の5人抜き」と、「神の手」と呼ばれるゴールは今でも語りぐさだ。しかし94年米国大会はドーピング違反で大会から追放され、引退後も薬物に手を染めた。心筋症などで生死の境をさまよったこともある。
クラブチームの監督の経験もなしに代表を率いることになったのは08年11月。南米予選では格下のボリビアに1―6で敗れるなど大苦戦だった。かろうじて本大会行きの切符を得ると、批判してきたマスコミ相手に暴言をはいて国際連盟から2カ月の資格停止処分を受けた。
波瀾(はらん)万丈、やりたい放題のマラドーナを、それでも母国の人たちは愛し続ける。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに点在するスラム街。その一つ、フィオリート地区でマラドーナは育った。今にも崩れ落ちそうな小さなあばら屋が連なり、トタン屋根が多い。道路も舗装されておらず、土のままだ。
大会前、W杯に臨む重圧について問われたマラドーナはこう言った。「プレッシャーというのは、日々生きていくために、15ユーロ(約1660円)を稼ぐ仕事に出ないといけない人間が感じるものだ」。貧しさの中で生きることとは何か。自分の体が覚えている。
ブエノスアイレス郊外で先月行われた代表合宿では、見学していた約30人の障害者の一人一人を抱きしめ、キスをし、写真に納まった。「マラドーナを支持するのは、貧しい人たちが多い。彼は恵まれない人たちのシンボルだ」。アルゼンチンサッカー協会理事で、著書に「私が国民のディエゴ」があるチェリキス・ビアロさんは言う。「彼はどんな過酷な状況もしのいできた。重体に陥った時も、死のふちから2度とも生還した。人々はマラドーナを『奇跡の男』だと思っている」
奔放な発言は続く。手腕を疑問視するサッカー界の王様ペレに対しては「博物館に戻るべきだ」と逆襲。「優勝したら、(ブエノスアイレス市内にある)オベリスコの塔の前で全裸になってみせる」。マラドーナは変わらない。(柴田真宏)
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7月11日現在