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映画「HOKUSAI」特別連載

演出家 宮本亞門 日本画家 千住博 書家/芸術家 紫舟

映画「HOKUSAI」特別連載 
演出家 宮本亞門 日本画家 千住博 書家/芸術家 紫舟

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日本画家 千住博
90歳で命尽きるまで絵を描き続けた江戸の浮世絵師・葛飾北斎。その知られざる生涯を描いた映画『HOKUSAI』が5月28日(金)から公開となります。本作の魅力とともにお伝えする、「なぜ今、北斎なのか」をテーマにしたインタビューシリーズ。第2回は日本画家の千住博さんにご登場頂きました。
──映画『HOKUSAI』をご覧頂き、いかがだったでしょうか
素晴らしい映画でした。北斎が生きた時代も疫病が蔓延(まんえん)し、幕府の弾圧があり、今以上に強い閉塞感があったはず。でも、だからこそ北斎は才能を爆発させ、人類史上に残る傑作を生み出すことができたのだと改めて実感しました。
──特に印象に残ったシーンを教えてください
若き日の北斎が、自分が描くべきモチーフになかなか出会えず、苦しみもがいているシーンです。すでに売れっ子だった歌麿や写楽への激しい羨望(せんぼう)と嫉妬も相まって、七転八倒の末、彼は冬の海に入ります。でも、そこで気づくわけです。襲いかかるこの波こそが現実で、その中で必死に生きることが自分の人生なのだと。それがきっかけで「おしをくりはとうつうせんのづ」という絵を描き、その後の「波」のシリーズにつながっていきます。

本当に面白いのはこの後です。北斎はこの時、背後に富士山を付け足しのようにしか描いていません。彼が堂々とした富士山を象徴的に描くようになり、人類史上最高傑作とも言える「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を生み出したのはそこから何10年も後のこと。芸術はいかなる天才にも厳しい人生を平等に歩ませるものなのでしょう。
──千住さんは北斎をどんな人物だと捉えていますか?
何よりもまず、90歳までの生涯で3万点以上も描いたという事実にただただ敬服です。年間300枚描いても100年はかかるほどの、普通では到達できない枚数です。おそらく朝から晩まで描いていたはず。それだけ、描くほどに描きたいものが湧き上がってきたのだと思います。

それと、画家という一面に加えて優秀なクリエーティブディレクターでもあったのではないかと。というのも、あれだけ素晴らしい版画を大量に作り出していくためには、日々摺師(すりし)や彫師(ほりし)といった職人たちとの連携が大事だったと思うからです。チームワークですから、リーダーとしての資質も兼ね備えていたのではないでしょうか。
──北斎は70歳の時、病で倒れ、命は助かったものの手のしびれが残ってしまう。それでも「今だから見えるものがきっとあるはずだ」と言って旅に出ます

北斎は観察力が鋭いのと同時に、描きたいものを常に探していた人だと思うんです。だから、描きたいものがここになくても、どこかにはあるはずだと考えて旅へ出たのです。身近にもこんな面白いものがあったけれど、ちょっと離れたら、さらにこんな面白いものもある、と発見しながら夢中になっての旅。体が不自由だったとはいえ、楽しかったに違いありません。

映画『HOKUSAI』の中で北斎を演じた、柳楽優弥さんと田中泯さんの目がとても印象的でした。ものすごい眼力があり、北斎の観察眼を見事に表現されていると思いました。

──千住さんは北斎の作品のどんな所に魅力を感じていますか?

北斎の絵は洗練の極み。無駄な線が一本もなく、色、形、構図いずれもベストなものをつかみ取っています。ひとえに北斎のセンスの良さと客観性の表れです。

ただ、それ以上に北斎が素晴らしいのは、決して偉ぶらず、絵師という一介の職人として、常に市井の人々の足元の日常を描いていたということ。そのぶれない姿勢は実に見事です。

北斎の作品が19世紀にフランスへ渡り、ゴッホやマネ、モネなど印象派の画家たちに多大な影響を与えたのも、北斎が描いたものが自分たちと同じ市井の人々の日常や働く姿だったからです。19世紀以前のヨーロッパで描かれていたのは王侯貴族の世界や、神話や聖書など見たことのない空想や理想の世界が大半でした。

でも北斎の絵を見て、「描くべきものは、悲喜こもごもの日常にあるのだ」というリアリティ―をゴッホたち印象派の画家たちは再発見したのだと思います。

──それがきっかけで欧米の人たちが北斎の浮世絵をコレクションし始めたわけですね

そうです。アートというのは作り手だけでなく、担い手、すなわち見る人がいないと成立しないもの。欧米を始め国内外に北斎の絵の収蔵家となってくれる人たちが多数いたことが北斎の絵にさらに力を与え、今なお愛され続けるものになったわけです。映画も、観(み)る人がいなければ社会に影響を与える作品にはなれません。それと同じです。

──千住さんご自身も北斎に影響を受けている部分はありますか?

私は北斎とは違った絵を描いていますが、常に「今、ここを流れる時を描く」ということを心がけています。そこは北斎から影響を受けたものです。

──今回、映画『HOKUSAI』を観て、新たに発見したことはありますか?
常に弱者に寄り添う人だったのだと改めて実感しました。北斎は寝る間もないほどの人気作家だったはず。でも、偉そうな様や権力者臭さがみじんもない。実はとても人間的で、人々にリスペクトされる存在だったのではないかと思います。

 そもそも、アートの対極にあるのがエゴ。「俺は、俺は」と考えて作るものは一人にしか伝わらない。大事なのは「私たちは」という視点なんです。自ら「画狂人」と名乗っているので変人扱いされがちですが、北斎は常に社会を見つめ、「私たちの日常にはこんなに素晴らしい世界があるのだ」と描くことで言い続けた人だと私は思います。
──今、私たちが映画『HOKUSAI』を観る意義は何だと思われますか?

芸術にはマイナスのエネルギーをプラスに転換する力があります。コロナ禍で精神的に不安な今こそ、芸術は人々に寄り添えると私は信じています。

北斎が今、生きていたら「コロナ禍のこんな時代だからこそ描くのだ」と言って、途絶えることなく数々の名作を生み出しているに違いありません。そう思うと自分たちも頑張ろうと勇気が湧いてきます。ぜひ多くの方に今、観て頂きたい映画だと思いますね。

千住 博 (せんじゅ・ひろし)
1958年、東京都生まれ。95年、第46回ベネチア・ビエンナーレにて名誉賞受賞、東洋人初。2011年に軽井沢千住博美術館開館。代表作は「ウォーターフォール」。現在、ニューヨーク在住。
撮影:千住スタジオ・村上義親