朝日新聞デジタル

広告特集 企画・制作 朝日新聞社メディアビジネス局

特別養子縁組

SHARE

facebookにシェア
twitterにシェア
インタビュー

子どもを迎えて人生が変わった

漫画家 古泉智浩さん

生後間もない男の子を里親として預かり、その後、特別養子縁組をして正式に息子として迎え入れた漫画家の古泉智浩さん。さまざまな不安や迷いがありながらも子どもを受け入れる選択をし、いまは充実した毎日を送っている。これまでの道のりや、特別養子縁組が成立してどんな心境の変化があったのか。胸のうちを聞いた。

6年間の不妊治療を経て、里親へ

——4年前に0歳児の赤ちゃんを里親として迎えましたが、そもそもなぜ里子を受け入れようと思ったのですか。

子どもがほしくて、40歳のときから不妊治療を続けていました。新潟から東京のクリニックに通い、タイミング法から人工授精、体外受精、顕微授精と、すべて試みたのですがなかなか恵まれず、気づいたら6年間で600万円も費やしていました。

不妊治療って、受けるたびに「今回こそは」という思いが強くなるんですよ。でも、結果はいつも期待を裏切るもので、精神的なダメージがものすごかった。歳月だけが過ぎていくことに焦りを感じていましたし、妻にいたっては薬を飲んだり、注射を打ったりしていたので、心も体もボロボロでした。いま思えば、頭の先までどっぷり泥沼に埋まっていましたね。

ちょうどその頃、テレビで養子縁組のドキュメンタリーを放送していたんです。0歳児の養子縁組に取り組む「愛知モデル」と呼ばれる養子縁組制度が紹介されていて、まさに同じ境遇の人たちの話だと思いました。「こういうのもありかもしれない」と、養子縁組について調べ始めたら、僕が問い合わせた民間のあっせん機関では「児童相談所で里親登録をすること」が条件でした。ですから、まずは児童相談所で登録に必要な研修を受け、それからあっせん機関に登録するつもりでした。

ところが、研修を受けてから2カ月もしないうちに児童相談所から「赤ちゃんを預かってもらえないか」と連絡が入ったんです。僕たちとしては1秒でも早く子どもを育てたいと思っていたので、お受けすることにしました。

——お子さんは、新生児集中治療室(NICU)でケアを受けていたそうですね。育てていけるか不安はなかったのですか。

生まれてから長い間、NICUにいました。ですから、最初の対面も病院でした。妻はいろいろと調べていたので不安はあったようですが、僕は知識がない分、楽観的で、とにかく一刻も早く会いたいと思っていました。

会ったその日に沐浴(もくよく)の仕方を教えてもらったのですが、「いつも沐浴で泣く」と聞いていたのに僕たちのときは泣かなかったんです。ミルクもすごい音を立てて力強く飲んでくれて。すっかりメロメロになって、何があってもこの子を育てていこうと思いました。実は、里親研修を受けた後も不妊治療を続けていたのですが、完全にやめる決意ができました。

一緒に暮らしていると、顔も性格も似てくる

——子育てをする上で、里子や養子であることを意識することはありますか。

ほとんどないですね。ただ、里子で絶対にしてはいけないのが「体罰」です。とはいえ、体で覚えさせることが必要な場面もあると思うので、そこで意識することはありました。例えば、ストーブを触ろうとしたときに手をぺチッとたたいて「ストーブに触ると、これよりもっと痛い目にあうんだよ」と教えたいけれど、それをしてはいけない。車道に飛び出しそうになったときも、言葉で伝えるしかない。だいぶ慣れましたが、そこはかなり気をつけています。

「パパ似ですね」とか「ママ似ですね」と言われることもありますが、特に説明はせず、「ありがとうございます」とだけ返事をするようにしています。先輩の里親さんたちは「一緒に生活していると、本当に顔や性格が似てくる」っておっしゃるんですよ。それは本当だと思いますね。

——お子さんが2歳のときに特別養子縁組をしましたが、当初は6歳までに縁組ができればいいと考えていたそうですね。

そうなんです。息子が2歳になったときに児童相談所から「養子縁組をしないか」と連絡をいただいて、あまりの早さに驚きました。以前、先輩の里親さんから「里子を預かってから日が浅いうちに養子縁組の申請をすると、生みの親から断られるケースがある」と聞いていたので、それを避けるためにもなるべく長く暮らして、5歳くらいで申請できればいいなと考えていたんです。思わぬうれしい連絡に、迷わず「お願いします」と答えました。

反対する人がいなかったので、手続きは簡単でした。話をいただいてから4カ月くらい、とてもスムーズでした。

——特別養子縁組が成立して、気持ちのうえで変化はありましたか。

里親だったときは、「いつか手放さなければならないかも」という不安がありましたが、この先ずっと一緒にいられる安心感を得られたことは大きいですね。

息子を養子に迎えてから、新たに里子の女の子を育て始めました。兄弟を作ってあげたかったというのが一番の理由ですが、気持ちに余裕ができたからというのもあります。将来的には、息子と同じように特別養子縁組をしたいと考えています。

実は、3人のママがいるんだよ

——この先の大きなテーマとして「真実告知」があります。

生い立ちを伝える「真実告知」には、いろいろな方法があります。寝かしつけのときに昔話風に言うといいとか、温泉でリラックスしているときに伝えるといいとか。僕たちは息子が「誕生」に関心を持ったときにしようと考えていました。ずっとそのときを待っていたら、4歳になって息子が「ママ、もうひとり女の子を産んでよ」と言ってきたんです。

理由は単純で、息子が電車のおもちゃで遊んでいると、1歳の妹が邪魔するんです。もうひとり女の子ができれば2人で遊ぶようになるから、おもちゃを横取りされないという理屈なのですが、実際には2人がかりで邪魔してくるでしょうね(笑)。それはとにかく、僕と一緒に車で出かけるときにも同じことを言ったので、「実は、うーちゃん(息子さんのあだ名)も妹も、ママが産んだ子じゃないんだよ」と伝えました。息子は「そうなんだ」と聞いていましたが、理解したかどうかはわかりません。ただ僕としては、「こうしてパパとママのもとに来てくれて、とてもうれしかったんだ」ということは忘れずに伝えたつもりです。

真実告知は、頃合いを見計らって何度も伝え続けることが大切なのだそうです。今後は、「うーちゃんにはママが3人いるんだ。ひとりは産んでくれたママ。もうひとりは5カ月間病院でかわいがってくれた看護師のMさん。そして、いつも一緒にいるママだよ」と伝えようと思っています。

——特別養子縁組という制度に救われた部分はあるのでしょうか。

そうですね。この制度のおかげで、輝かんばかりのエネルギーに満ちあふれた、すばらしい子どもたちがうちに来てくれました。僕には今まで、人を愛することを知らないで生きてきたコンプレックスがあったのですが、いまはきちんと定義できます。「自分以上の存在として、大切にできる相手」と。

僕の場合、里親に興味を持つ人や養子縁組をした人が身近にいたので、なんとなく制度があることは知っていましたが、知らない人は大勢いると思います。特に不妊治療をしている人は本当につらい思いをしていますし、視野も狭くなりがちです。他に目を向ける余裕はないかもしれませんが、少しでも関心を持つことがあったら、治療と並行して研修を受けるといいのではないでしょうか。親を必要とする子どもたちと触れ合うことで、不妊治療の苦しみがやわらぐかもしれませんし、気持ちが変わってくるかもしれません。

僕のところでは「里親会」といって、里親や養子縁組をした人、これから迎えたいと思っている人などが集まる定例会があり、悩みや不安を相談できます。さまざまなサポートがあるので、ぜひ動き出してもらえればと思います。

こいずみ・ともひろ/1969年生まれ。ヤングマガジンちばてつや賞大賞を受賞してデビュー。2015年に、里親になるまでの経緯と子育てに奮闘する日々を描いたエッセー『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』を発表して話題に。17年には続編『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』を発行。新潟県在住。
漫画『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』
古泉さん書きおろしの漫画とともに掲載された厚生労働省の新聞広告

SHARE

facebookにシェア
twitterにシェア