2020年2月4日 開催
シンポジウム 「がんとの共生社会を目指して
~企業の働き方改革で共生社会実現へ~」
- 基調トーク
- パネルディスカッション
- 鼎談
- 総括
がんでも仕事を諦めない、諦めさせない。上司・部下の4年の挑戦
講演者
金澤 雄太 氏(株式会社ジェイエイシーリクルートメント デジタルディビジョン シニア プリンシパル)/ 春野 直之 氏(株式会社ジェイエイシーリクルートメント Webディビジョン 部長)
コメンテーター
高橋 都 氏(国立研究開発法人 国立がん研究センターがん対策情報センター がんサバイバーシップ支援部長)
コーディネーター
上野 創 (朝日新聞社 東京本社教育企画部ディレクター)
時短・有休、体力に応じて活用

1982年生まれ。2011年入社。家族は妻と娘2人。がんと転移を経験したが休職を経て仕事を続ける。
今から6年前、おなかが痛くて病院に行ったのがきっかけで虫垂がんと告知された。当時、ステージ2b。その後2度の転移、休職しての手術や抗がん剤治療を経て、2018年5月に3度目の職場復帰をした。最初に見つかった時はひどい盲腸で腸閉塞(へいそく)を併発していたため、食べられない時期が続き、3カ月ほどで体重が20キロ弱落ちた。
最初の復職時、上司から「どうしたい?」と聞かれ、体力に不安があるので時短勤務をしたいことや、徐々にフルタイムに戻していきたいことを伝えた。フレックスや有休が口頭申請で取れ、有休も半日単位で取れる会社の制度があって、すごく良かった。また、業務プロセスの自由度が高く、体力に応じて働けたのがありがたかった。さらに、休職期間中も社内報を郵送してくれて、メールで同僚や上司とも密にコミュニケーションが取れたのも良かった。
実は、再発の可能性が低いとの思い込みがあり、最初は上司や身近な同僚にだけ伝えていた。でも転移した後は、周囲にサポートしてもらう必要があるため、なぜサポートをお願いするかを伝えなければと思って、(部の全員に)状況を伝えた。仕事で還元したいとの思いはありつつ、以前の自分とは違うと自覚することが大事だと思っている。周囲との関係でも、サポートを受けたり代理対応をしてもらったりする機会が増えたので、きちんと感謝を伝えることは意識している。自分が出来ることを先回りしてやるようにもなった。
本人がどうしたいか尊重

1983年生まれ。2006年入社。中途・新卒採用の人事担当や若年層向けのキャリアアドバイザー職を経て現職。
昨年まで直属の上司と部下という関係だった。スタンスとしてはシンプルで、常に「金澤がどうしたいか」。本人にゆだねるような対応をしていた。再発が分かった後に本人が周囲に伝えることになった時も、本人の意思を尊重した。がんと伝えるのか、病状をどこまで伝えるのか、どういう場でどのタイミングで伝えるのか、といったことは非常にセンシティブな問題だと思うので。個人的には、肺がんの父の介護経験があり、すっと受け止められた。
前提としては、介護をしている社員や妊娠している社員と同じように、働く時間に柔軟性が必要な仲間だという認識で金澤に接していた。かつ、当社は働いた時間で評価するわけではなく、お客様へ価値を提供した対価で評価する制度なので、金澤にも他の社員と同じような要望や期待をしていた。当事者は「仕事を頑張りたい。頑張らせてほしい」となる。そして、管理職としては、そこを信じて伸ばしていきたいと思う。
ただ、その一方で、本人がどれほど無理をしているのかも推し量っていかなければ、と思っている。その観点から、家族の意見は貴重。特別な制度があったわけではないが、意識して、金澤の家族とも関係を作り、付き合っていた。
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