2020年2月4日 開催
シンポジウム 「がんとの共生社会を目指して
~企業の働き方改革で共生社会実現へ~」
中小企業でも、中小企業だからこそ出来る取り組みとは?
パネリスト
谷口 正俊 氏(株式会社ワールディング ファウンダー 代表取締役社長)/ 永江 耕治 氏(株式会社エーピーコミュニケーションズ 取締役副社長)/ 松下 和正 氏(株式会社松下産業 代表取締役社長)
コーディネーター
上野 創 (朝日新聞社 東京本社教育企画部ディレクター)
いざという時の保障で守る

1973年生まれ。40歳で2度目の創業。社員が望む勤務形態を原則認めながら7期連続の増収増益。介護や育児、病気で休職する社員の復職率は100%。
日本の介護施設などで働きたいという東南アジアの人への来日前の教育、来日後の仕事や生活の支援などが、会社の主な業務だ。正社員は107人。うち、60代以上が9人いる。
2013年の創業時から、どんな働き方も受け入れると宣言してきた。午前9時に会社に来て、家族の介護のため午前10時半に帰宅する、を1週間続けた人もいる。3カ月に1度、10日間休む劇団員の社員もいる。
いざという時の保障があり、健康や命に関しては大企業以上に、徹底的に社員を守る。そんな社風にすることで、社員の定着率や生産性が上がると感じている。社員1人当たり月1500円で、所得が保障される保険や医療保険などを、会社が一括して掛けてもいる。また、看護師と産業医による月1度の社員面談もしている。病気になっても社員が困らないようにすることが大事だ。
「いつでも戻れる」に安心感

1973年生まれ。2002年入社。18年から現職。「キャンサーペアレンツ」理事など、がん関連の組織の役職に就き、活動を続ける。
1995年創業のIT企業。ネットワークやサーバーと言われるようなITインフラに携わっている。従業員は約370人で、8~9割が男性だ。2010年夏、精巣腫瘍(しゅよう)と診断され、手術を受けた。半年治療をして「今までの生き方でいいのだろうか」と考えるようになった。半年で復職し、再発せず今にいたっている。
がん経験を、企業の取り組みにも生かしている。時間単位の年次有給休暇制度の導入もその一つ。1年間に5日まで、1時間単位の休暇を取得できるようにした。時間の融通が今まで以上に利くようになった。
がん経験者としても経営側としても、一番大切なのは相手に寄り添う「コンパッション(思いやり)」の考え方だと思う。私もがんと診断された時、「いつでも戻って来い。待っているから」と社長に言われたことが安心感になった。
両立支援する「駆け込み寺」

1956年生まれ。82年入社、98年から現職。国立がん研究センター「がんと共に働く」プロジェクトアドバイザリーボードメンバーなども務める。
社員234人の建設会社で、ビルなどを建築する現場監督が社員の8割を占める。過去10年間にがんが見つかり就労を継続した従業員は14人。現在は9人いる。
ポイントは6点。(1)本人・家族と直接話す(2)主治医・産業医らと連携(3)家族もサポート(4)社内制度、公的支援の周知(5)ニーズの把握(6)やりがいを感じてもらう――だ。
健康管理から子育て、介護など人生の節目に寄り添う、ヒューマンリソースセンターという部署を設けている。病気になった社員がいれば病院や自宅に駆けつけ、病状の見通しや本人の希望を聴く。産業医・保健師と連携したり、主治医との面談に備えてアドバイスをしたり。安心感をおぼえる駆け込み寺のような存在で、両立支援につながる。
病気の社員が、治療やリハビリの様子を社内報で発信することで、病気への理解に役立っているようだ。
――社員を守ることで良い人材を確保できる。いわゆる温情や人道主義とは違って、「会社としての経営上の戦略」という話が印象的だった。
谷口 中小企業の強みは、社長が強い意思を持ったことは制度がなくても、実現するということだ。どんな働き方でも受け入れるという宣言をした。例えば今、76歳と77歳の社員が週に5日、フルで働き、活躍している。母親の介護で前職の大企業にいられなくなったトップエンジニアが、うちの会社に定着してくれてもいる。純粋に、中小企業の経営として得だ。
永江 私の会社は平均年齢が35歳と比較的若く、がんになった社員がまだ私しかいない。私が10年前にがんと診断されたことを公表して発信したため、関心を集めるようになった。そこで意識が少しずつ変わってきたと思う。身近にがん経験者がいるほど、意識は高まりやすくなるのではないか。
松下 当社の場合、現場を経験、資格を取れば本社や在宅で見積もりや施工図を描くなどマルチに活躍できる。病気になっても仕事を続けられるし、周りも「あの人がいて助かる」という存在になる。
――制度と風土の二つがあると安心する。様々な社員に対応するコツは。
谷口 ベースは受け入れる覚悟。具体的な工夫としては1人の社員が複数の仕事をできるようにし、互いに助け合えるようにしている。全く制限のない働き方をする社員のカテゴリーを明確に設けて、賞与基準を変えるなど、区別して納得性を高めている。
松下 ヒューマンリソースセンターは取締役会直結の部署で、本人が希望すれば直属の上司以外の人に相談できる。ワーク・ライフ・バランスの推進に懐疑的だった社員も、治療と両立しながら働く社員の姿を見たり、自分の親の介護や、子どもの不登校での悩みをセンターに相談して両立が実現でき、有効性を実感。「おたがいさま」という風土ができあがった。
永江 規則や制度を超えたところにもすごく大事なことがある。「あの人に戻ってきてほしい」「あの人のことを何とかしたい」という思いだ。規模が小さいほど融通が利く。人数が多くなりすぎて名前と顔が一致しなくなってくると、記号化していく。周囲の想像力も重要だが、これまでどういう関係を培ってきたかが重要な要素になる。

朝日新聞教育企画部ディレクター。26歳だった1997年、肺に転移した精巣腫瘍(しゅよう)が見つかり、手術、抗がん剤治療を受ける。2度の再発を経験。がんのサバイバーシップをテーマに発信する。
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