ネクストリボン がんとの共生社会を目指して

2020年2月4日 開催

トーク&ライブ 「がんについて語ろう
~がんとともに生きる、寄り添う~」

「未来を生きると信じて」

友寄 蓮 氏(タレント)/ 聞き手:上野 創(朝日新聞社 東京本社教育企画部ディレクター)

友寄 高校二年生の時に、急性リンパ性白血病と診断され、1年4ヵ月の闘病生活を送りました。診断が下るまでの2ヵ月間、病院を3箇所変え、ようやく白血病と告げられた時には、ショックより、「これでやっと治療が受けられる、治るんだ」と安心しました。

上野 それはどれだけつらい状況が続いていたかってことですよね。

友寄 はい。ただ、抗がん剤治療は、苦しかったです。まず副作用。髪の毛がまだらに抜けていくのですが、バリカンを当てて万が一ケガをしたら血が止まらなくなってしまうので、整えようがありません。それよりもショックだったのが“ムーンフェイス”です。ステロイド剤の副作用で、顔がお月様のように真ん丸になってしまう症状なのです。が、そうとは知らない友達が、お見舞いに来た時に私の顔を見て、「思ったよりちゃんと食べて、太っているんだね」と。悪気のないその言葉に傷つきました。

上野 こういった(闘病中の)写真をオープンにするのはどういった理由ですか?

友寄 私自身がこうした症状が、本当に治るのだろうかとインターネットで検索したところ、公表している方があまりいらっしゃらなかった。今後闘病中の方が見て、ちゃんと元に戻るんだ、と安心できるロールモデルにしてくれたら、という思いがあります。

上野 入院は小児病棟ですよね?同い年くらいの患者さんも一緒に入院していたのでは?

友寄 当時中学3年生で、脳に病気を抱えていた女の子がこんなことを言いました。「病気になったのが私でよかった。こんなに辛い思いを、大切な家族にはさせられない」。当たり所がなく、母にキツイ言葉を浴びせたり、死んでしまおうかと思ったりしたこともあった私は恥ずかしくなると同時に、ああ、我慢ができる自分でよかったと納得しました。そこから前向きに病気に向き合えるようになり、言葉の力は大きいなと思いました。一方で難しいなとも思います。「大丈夫?」には、反射的に「大丈夫」としか返せない。受け取る側も、相手がどんな気持ちで発したのか考える必要があると思いますが、何をしてほしい?と、具体的に聞いてもらえるとすごく答えやすかったことを覚えています。

上野 言われてうれしかった言葉はありますか?

友寄 未来の約束をしてもらったことです。私には未来があると思えました。逆に、病気を公表すると、きつい言葉もぶつけられました。「おまえより辛い人はいくらでもいる、甘えている、不愉快、死ね」。当時はまだ18歳だったこともあり、こんなことを言う人が世の中にいるのかとショックでした。が、それだけ私が闘病中とかけ離れて、今元気に見えるのだなと、安心材料にすることにしました。言葉って、発した自分が一番聞いていますよね。だから私はなるべくハッピーな言葉を使うことを心掛けています。そして、不幸のマウントをとらないこと。

上野 私のほうが大変よ、と言った不幸比べはもちろん、自分の中で、あの時よりはましだから、と我慢するのをやめよう、ということですよね。

友寄 はい。「病気の頃よりはいいから」とがんばってしまって、つまずく方が多いのではないでしょうか。

上野 小児がんやAYA世代の人が、治療が済んだあとどう社会に出るか、というのも大きな課題と言えますね。活動の中で、献血の呼びかけもしているのですよね。

友寄 闘病中、100回以上輸血を受けました。命を分けてもらっている、血液と同時にやさしさやパワーをいただいていると実感しました。私も退院したら献血をしたかったのですが、一度でも輸血を受けるともうできないのです。

上野 感染症を防ぐためなど、さまざまな理由があるのですよね。

友寄 呼びかけることしかできなくてもどかしいのですが、伝え続けようと思っています。

上野 最後に、今の気持ちを聞かせてください。

友寄 「明日死ぬと思って今日を過ごし、未来を生きると信じて今努力する」。会いたい人に会える、新しい一日がはじまる、口からものを食べておいしいと感じる、その当たり前が奪われることで、ありがたさに気が付きました。当たり前の幸せを、ときどきふと立ち止まって感じられる瞬間を大切にしたいです。病気になって良かったとは言えません。でも、病気にならなかったらわからなかった人の痛みを知り、今を大切にしていきたいと思えるようになりました。

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