Beyond! 大谷翔平 今日を超えるチカラ presented by 三菱UFJ銀行

Introduction

「優勝だけを目指して頑張りたい」。昨年末に行われた記者会見で、WBCに臨む意気込みを聞かれた大谷翔平はそう答えた。メディアはこぞって「優勝宣言」と書き立てたが、その場で彼はこうも語っている。「野球を始めてから今日まで、1位以外を目指したことはない」と。

この大会でも勝つことだけを考える。そしてすべての試合で勝つとしたら、結果は優勝しかない。まるで「夜が明けると朝になります」というぐらい気負いなく、彼としては当たり前のことを述べているだけのように見えた。

右足と左足を交互に動かすと歩けることに初めて気付いた子どものように、自分が前に進むことが面白くて仕方がない。ベースボールジャーナリスト・石田雄太さんの取材を通して見えてくるのは、そんな無邪気とも思える大谷の姿だ。欲しいのは名誉でも賞賛でもなく、今よりも前に進むこと。だからこそ人々は彼を愛し、その姿に力をもらうのだろう。

何よりも欲しかったプレゼント

クリスマス、サンタクロースにプレゼントをもらえるとしたら何をお願いしますか――そう訊いたとき、大谷翔平はこう言った。

「うーん、何ですかね……時間かな。結局は野球に使うんですけどね(笑)」

あれは、今から6年前のことだ。

あのときもWBCを控えていた。右足首を痛めて調整が遅れていたファイターズ(当時)の大谷は「このオフはやりたいことができなかったので、あと1カ月の時間が欲しいんです」と素直な想いを口にしていた。そもそも“時間”なるプレゼントにどんなラッピングをして、どんなリボンをかければいいのか、無茶なお願いをされるサンタクロースには同情したくもなるが、悪戯っ子の顔になった大谷はさらにおねだりを続けた。

「(サンタクロースに)もうひとつ、お願いしちゃおうかなぁ。僕、ある年のクリスマスに練習をしていたら、これだという閃きが降ってきたことがあったんです。もしあのとき、クリスマスだからって練習を休んでいたら、その閃きには出会えなかった。そう考えると練習を休む怖さってありますよね。もっと上手くなれたかもしれない可能性を自分で潰してしまうわけですから……」

いやはや、その“閃き”なるプレゼントをいったいどうやって靴下の中に入れればいいのか、サンタクロースもさぞ困り果てたことだろう。だからなのか、残念ながらその願いは聞き届けられず、大谷はそのとき、WBCには出られなかった。調整が間に合わず、出場を辞退せざるを得なかったのだ。そのとき、彼はこう話していた。

「選んでもらって本当に嬉しかったし、期待してもらっているのは伝わってきました。だからこそ、どうにか間に合わせられないものかと思ってやってきましたが間に合わず、申し訳ないなという気持ちが大きいです。サンタクロース、時間をくれなかったですね(苦笑)。刻々とここまできちゃいました」

2016年11月29日(朝刊)朝日新聞東京本社版チームは日本一、自身は初のMVPに輝いた2016年。しかし日本シリーズで痛めた足には違和感が残っていた

少年時代からの憧れだったWBC

あれから6年。

大谷は今年、初めてWBCへ出場する。2009年以来、14年ぶりの世界一を目指す日本代表の一員として、栗山英樹監督とともに戦う覚悟を決めたのだ。大谷はWBCの思い出について、こんなふうに話していた。

「イチローさんの決勝タイムリー(2009年のWBC決勝)はすごく印象に残ってますし、あのときのイチローさん、本当にカッコいいなって純粋に思いました。あれは中学2年の終わり頃だったかな……僕は練習していて、いつもなら夕方の5時くらいまではやるんですけど、決勝があるから早く上がろうか、みたいな感じで……確か、家でテレビを見ていたと思います。高校のときもジャパンに選ばれてレベルの高い中でプレーするうちにプロでやりたい、日本代表でやりたいなという気持ちが出てきましたし、WBCは目標にしているというよりも僕にとっては憧れだったのかなと思います」

今回のWBC、大谷は日本代表のDHとして全試合に出場することを前提に、ピッチャーとしても登板機会を模索することになる。メジャーではベーブ・ルース以来、104年ぶりとなる2桁勝利、2桁ホームランを達成し、史上初の規定投球回数、規定打席の両方に到達した二刀流のトッププレイヤーとして日本代表に加わるのだ。となると、観るものには不安も過る。開幕前にWBCに出て、ピッチャーとして15勝、バッターとして34本のホームランを打った2022年を超えることができるのか……いや、そんな心配は無用だ。大谷はいつも目の前の厳しい状況を当たり前のこととして受け容れ、立ちはだかるカベを超えようと挑み続けてきた。彼のそんな勇気と覚悟を感じさせられたことは、これまでに何度もあった。

2009年3月24日 朝日新聞号外中学時代の大谷は、日本のトッププレーヤーが一つのチームとなって世界と戦うWBCに「ワクワクした」という

右で投げられないなら左がある

2018年、メジャー1年目の開幕直前には「そこに転がっている石ころを投げてくれと言われてもできるようにしないといけないと思ってるんです」と言っていた。滑るボールに四苦八苦して思うように投げられない中、大谷は腹を括った。滑るボールだろうが、石ころだろうが、投げて抑えられなければ先はない。どんなに難しい環境だろうと、アジャストして結果を出さなければ道を切り拓くことはできない……メジャー1年目の大谷はそんな覚悟を持っていた。

右ヒジの手術を受けて復帰を目指していたメジャー2年目の2019年には「投げられないかなと思うことはありましたが、僕にはシーズンを戦うためのバッティングがありましたし、左腕も残っているので……」と言ったことがある。思わず「左腕?」と聞き返すと、彼は「必死で練習すれば左で投げられるようになると思うんですよ、それで打てるとなれば選手として需要はあるでしょ」と笑っていた。「右で投げられなければ左で」なんて、二刀流を超えるマンガ的発想ではないか。

さらにメジャー3年目、2020年にコロナ禍で開幕が遅れたときには「しょうがないなと思うようにしています」と言って、こう続けた。

「実際、できないものはしょうがないですし、練習内容もこういうふうにしたいと思うことがあってもできませんからね。野球ができて、ゲームをするということに意味がある。100%の状態でいけるはずがない状況の中で、ベストを尽くすことが大事なのかな、と……」

ホームランダービーに出た2021年、前半戦に33本のホームランを打ちながら後半戦のホームランが13本に止まったときも、「シーズン後半のほうが数字は残らなかったけど、バッティングとしては洗練されてきているところがあった」と言ってのけた。前半は甘い球がたくさんあったのに仕留め損なった球もたくさんあった中の33本で、後半は相手に警戒されたせいで甘い球が少なく、それでも高い確率で仕留めた13本だった、というのだ。それは数字だけを追わない大谷ならではの境地である。

さらにピッチャーとして、それなりの結果を残さなければ二刀流に見切りをつけさせられるかもしれない危機感のもと、不退転の覚悟を胸にメジャー4年目のシーズンに臨んでいたことも明かした。

「(二刀流としては)ラストチャンスかな、くらいの感じだったと思います。手術して2年が経って、そろそろちゃんとした形にならないと、僕が2つをやっていく方針に対して見切りをつけたい感じはチームにありましたからね。バッターとして実績があるのにリスクを背負ってまでピッチャーをやる必要があるのかを見極めたかったんじゃないですか」

つまりはボールが変わろうが、右腕が潰れようが、開幕が遅れようが、ホームランダービーに出ようが、ピッチャーを辞めさせられそうになろうが……そしてWBCに出ようが、「石ころでも、左腕でも投げる」ほどの覚悟を持っていた大谷にしてみれば、与えられた条件の中で最善を尽くし、その環境にアジャストして結果を示すだけの話なのだ。その上で、心の中で「うまくできた」という実感を味わいたい――だから大谷にとっての成長は、昨年の“15勝、34本”を超えたかどうかだけで窺い知ることはできない。

「野球をやめる時、どんな数字を残すかよりも、自分の中に何を残せるかが大事」。大谷はかつてそう語った

一番を目指す過程がおもしろい

「子どもの頃と一緒です。ホームランを打ちたい、速い球を投げたいと思って練習して、それができるようになったときの嬉しい感じ……僕は今もそういう感覚を目指して野球をやってます。もちろん目指しているのは一番なんですけど、でもね、一番になることよりも、一番を目指している日々のほうがおもしろいんですよね。練習で何かを思いついたり、何かができるようになったり、こういうふうにやりたいんだとイメージしながら動画を探したり、そういうことのほうがおもしろいし、大事だったりする。絶対に世界一になるという想いがあって、ワクワクしながら練習しているその日々がおもしろいんです。だから僕は常にきっかけを求めています。自分が変わるときというのは一瞬で上達しますし、そうやって降ってくる閃きを大事に考えていたいんです。いろんな人が僕に『自分の才能を信じろ』と言ってくれて、じゃあ、僕の才能が何なのかと考えたとき、それは伸び幅なのかなと思いました。だから投げることも打つことも、変えることは怖くないし、こうかなと思って閃いた新しいことを何でもやってみることができる。それは自分の強みなのかなと思います」

閃きはいくらあっても困ることはない。サンタクロースは信じなくなった子どものところには来なくなるというが、“野球翔年”を地で行く大谷のもとへは今もサンタクロースは来てくれているようだ。“閃き”というプレゼントを持って――。

2023年1月7日(朝刊)朝日新聞東京本社版いよいよ大谷がWBCの舞台へ。史上最強との呼び声も高い侍ジャパンはどんな戦いを見せてくれるのか
text by石田雄太
1964年愛知県生まれ。青山学院大学文学部卒業。NHKディレクターを経て92年フリーに。著書に『イチロー・インタビューズ激闘の記録 2000-2019』『大谷翔平 野球翔年I』『平成野球30年の30人』(いずれも文藝春秋) 『イチローイズム』『桑田真澄ピッチャーズ バイブル18』『声~Voice of Dice-K~松坂大輔メジャー挑戦記』(いずれも集英社)など。現在、週刊ベースボールで「石田雄太の閃球眼」、Sports Graphic Numberで「松坂大輔 怪物秘録」連載中。

世界が進むチカラになる。

10年前、あなたはどこで何をしていましたか。 もしも10年前のあなたが今のあなたと出会ったら、 かける言葉は「よくここまで来たね」でしょうか。 それとも「まだまだ、もっと行けるよ」でしょうか。

10年前、大谷選手は日本でプロとしての第一歩を踏み出しました。 すでに前代未聞の二刀流で注目を浴びていた彼でさえ、 その頃に今の自分を想像することはできなかったでしょう。 一日一歩、昨日よりも今日、理想の自分に近づくように。 その歩みは、この先もっと遠くまで彼を運んでいくはずです。

三菱UFJ銀行は、「世界が進むチカラになる。」を合言葉に 日々を懸命に生きる人を、企業を、地域を応援しています。 先の見えない時代に私たちを目指す場所へと導くものは 一歩ずつ足を動かし続けることの他にはないと、信じるからです。

三菱UFJ銀行は、これからも大谷翔平選手とともに、みなさまの歩みを支えるチカラでありたいと願っています。

公開 2023/3/1

Photo:
Getty Images、三菱UFJ銀行