自分らしく生きるヒント

<好き>を信じて前を向く 知花くららさん

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目次
  1. ミス・ユニバースへ、人生を変えた瞬間の決断
  2. 霧が晴れた言葉「100やらなくていい」
  3. 浜辺で深呼吸、娘が教えてくれた「まぁ、いっか」

輝かしい経歴を持ち、華やかな世界で活躍するセレブリティーたちも、ひとりの人間。悩みと無縁ではありません。この企画では、著名人やビジネスパーソンのみなさんにこれまでの人生で「迷った経験」を振り返ってもらいながら、自分らしく生きるためのヒントを探ります。初回は、モデルや歌人としてマルチに活躍する知花くららさんです。

知花くらら(ちばな・くらら)
1982年生まれ、沖縄県出身。女性ファッション誌でモデルを務め、テレビなどメディアで活躍する。上智大学を卒業した2006年、ミス・ユニバース世界大会で2位に輝く。2007年から約15年間、国連世界食糧計画(WFP)で活動し、オフィシャルサポーターや日本親善大使を務めた。2019年に歌集『はじまりは、恋』を刊行。2年前に都内から海辺の町に移住し、昨年から朝日新聞デジタルマガジン&wで「知花くららの#海辺の暮らし」を連載中。2022年二級建築士試験に合格。2023年4月からは日本テレビ「DayDay.」にレギュラーコメンテーターとして出演中。2児の母。

ミス・ユニバースへ、人生を変えた瞬間の決断

「岐路に立って、あのときは本当に迷いましたね」

知花さんがこう振り返るのは、ミス・ユニバースにエントリーした当時のことです。多くの女性があこがれる夢の舞台に、チャリティー活動への関心から挑んだ知花さん。一方で就職活動もして、出版社への入社も決まっていました。ところが、世界大会の出場者を決める日本大会のファイナルが、入社後に開催されることになり――。

「『ファイナルが終わるまで、ミス・ユニバースと二足のわらじをはかせてください』。人事のかたに相談しに行ったら、『君が受からないなんて誰が言い切れますか。自分の人生に保険をかけるのはいかがなものかと思う』と言われたんです。すごく悩みました。就職すれば自立できるし、やりたかった仕事だし、安定している。それを蹴って、ミスコンのファイナルに進み、堅実な暮らしを棒に振るのか――」

「いろいろな先輩に連絡をとって話をしたら、一人の例外もなく同じ答えだったんですよ。『ミス・ユニバースを選ぶでしょ。就活はまたやればいいんだよ』。そんな言葉に背中を押されて、結局、エキサイティングな選択をすることにしました」

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こうしてミス・ユニバースの日本代表となり、世界大会で86カ国の代表の中から2位に選ばれた知花さん。ただ、その過程で迷った経験はほかにもあったそうです。ある日、美容室に呼び出されました。

「行ってみたらスポンサーのお仕事で、『髪を切るビフォー・アフターを撮りたい』と。黒髪のワンレンからずいぶん短く切って、明るいブラウンにするといきなり言われ、『え~』って。私はそれまでずっと長い髪で、染めたこともなかったから、自分が全部なくなっちゃうような感じがしたんですよ。でも『嫌なら帰っていい、オーディションを受けなくていい』と、その場で選択を迫られました」

突然、大きな決断をすることになった知花さん。どう答えたんですか?

「ここで『やらない』と言ったら絶対後悔すると思って、涙をこらえて奥歯を食いしばって、『やります』と言いました。このまま立ち去ったら、誰の記憶にも残らず、自分に負ける気がしたんです。でも、その日の夜は鏡の前で泣きましたね。友だちや知人に変わっちゃったと思われるのが嫌で、会いたくなかった」

「ある日、知人との約束があり、おそるおそる行ってみたら、相手の反応は『いいじゃん、あか抜けたね』。そのとき気づいたんです。見た目は自分を演出する手段に過ぎなくて、正解はないんだ。どんな姿であれ、私は私だ――。あのとき、髪を切らなかったらどんな人生になっていたかわかりません。いまでは感謝しています」

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霧が晴れた言葉「100やらなくていい」

知花さんと言えば、約15年にわたる国連世界食糧計画(WFP)の活動でも知られています。モデルや広告といったきらびやかな世界で存在感を示す一方、飢餓に苦しむアジアやアフリカの国々にも足を運び、現地のようすを伝えてきました。「チャリティー活動をしたい」という願いがかない、充実していたといいますが――。

「最初のころはモヤモヤしていました。『ときどき現地に行って帰ってくるのは偽善だ』『NGOに入って現地で活動しなければ本物じゃない』。そんな批判の声もたくさんいただいたんです。私、中途半端なことをやっているかも、と思って」

20以上の途上国を訪れ、ひとりの力ではとても解決できない問題に直面し、無力感を覚えることもあったといいます。目の前で消えそうな命を見守るしかなかったり、「ご飯は木の根っこ」という子どもたちの話をただ聞くしかなかったり。転機となったのは、ファッションジャーナリストの生駒芳子さんとの対談でした。

「生駒さんに言われました。『100やらなくてもいいのよ。10でも1でも、それってゼロより絶対にいいから』。それで、モヤモヤとした霧が晴れた気がしたんです。私はご縁あって、この立場で仕事をさせてもらっていて、できる何かがきっとあるよね。私は私のできることをやっていったらいい。そういうふうに見方を変えてくれたできごとでした」

各国を旅した経験は、いまも知花さんの力になっているといいます。「ちょっと悩んだら、旅で出会った女性の姿を思い出しています」。どんな出会いがあったのでしょうか?

「あるマサイの女性校長は、ティーンのときに結婚することになったものの、学校に通えなくなるのが嫌で、結婚前夜に夜逃げして隣村まで何時間も歩き、親戚のところに逃げ込んだそうです。また、内戦が終わったスリランカでお母さんたちに『いま何が必要ですか』と聞いたら、返ってきた言葉は『お店を建てるお金を貸して!』。このように、苦しい状況にあっても前を向いて進もうとする女性たちの姿を思い出し、いまもエネルギーをもらっています」

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再開したフラメンコ、ママがハッピーなほうがいい

歌集を刊行し、着物への造詣も深く、インテリアやDIYにも取り組む――。多方面で活動する知花さんが最近特にはまっているのは、フラメンコだそうです。大学時代にフラメンコサークルで踊り、しばらく離れていましたが、十数年ぶりにレッスンに通い始めたといいます。

「いそがしい日々のなかでも、フラメンコは頭のどこかにありました。同じサークルだった親友にも、『くららはもっと自分の好きなことをやったほうがいいと思う。フラメンコとか……』と言われていて。直接のきっかけは昨年、対談でご一緒した脚本家のかたが『私、フラメンコをやってるのよ。先生がすごくいいの』とおっしゃっていたことです」

「その教室は私も通える場所にあり、さっそく体験に行きました。3時間半踊って、足はがたがた、体力も落ちたなぁと思ったんですけど、それも楽しかった。やっぱり踊るのが好きだし、踊っている間はそのことだけを考えていていいっていうのがとても新鮮で。出産してからそんな時間はほとんどなく、『あぁ、これを自分は必要としてたんだな』と感じました」

知花さんは3歳と1歳のお子さんを育てています。子育てしながら何かを始めるのはハードルが高い――。そう感じる人も多いのではないでしょうか。

「子育てって不思議で、120%のエネルギーを注ごうと思えば注げるじゃないですか。自分の時間をつくることに罪悪感を抱くお母さんもいると思うし、私も『できるだけ長く子どもといたほうがいいのでは』と感じることもあります。でもフラメンコがきっかけで、『ママがハッピーなほうが絶対いいな』と思うようになったんです。ちょっとしたことでも、純粋に自分の<好き>だけに向き合う時間があると、こんなにハッピーでいられる。ママがハッピーなら、子どもに対してとれるリアクションも豊かになります」

育児と学び直しの両立

知花さんは、祖父から譲り受けた沖縄・慶留間諸島の生家を建て直したいと、建築を学ぶことを決意。2019年に京都芸術大学建築学科に社会人入学して2021年に卒業し、2022年に二級建築士試験に合格しました。子育てをしながらの学び直しには苦労も多かったそうです。

「国連WFPの活動でいろいろな場所を訪ね、土地のにおいの残る建築に興味を持ちました。それに加えて祖父の生家を受け継ぐことになり、建築を学んでみようと思ったんです。入学したのは、第1子の妊娠がわかったタイミング。お仕事がスローになるだろうという見通しがあったので、『いましかない』と決めました」

「妊娠中、冷や汗をかきながら講義をとったり、臨月にフィールドワークに参加したりとたいへんな思いをしました。でも、子どもが生まれてからはもっとたいへん。授乳も寝かしつけもおむつ替えもしなくちゃいけなくて。夜中に授乳で起きたら、次の授乳まで寝ないで勉強するとか、子守歌を歌いながら文献を読むとかで、何とか勉強時間を確保しました。家族をはじめ、いろんな人に手伝ってもらって成り立った学びなので、『早く終わらせなくては』という思いが強かったです」

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浜辺で深呼吸、娘が教えてくれた「まぁ、いっか」

2年前、都内から海辺の町に移り住みました。次女が生まれるタイミングに、夫と「自然の近くで子育てができたらいいよね」と話し合ったそう。2人の子どもたちは水遊びを楽しんでいるといいます。

「移住して、子育ての面で私たち親のストレスが減った気がします。『静かにしなきゃダメでしょ』と注意しなくてもいいし、足音や泣き声も気にしなくていい。当初は子どもたちのための移住と思っていたんですが、案外、私のストレスが減っているんだと、移住後に子どもをベビーカーに乗せて都内に連れてきたときに感じました」

「ただ、私も夫も仕事は都内中心なので通勤はたいへんです。東京は楽しいし、便利。移住して身近に『ないもの』が増えたぶん、そのことに敏感になりました。たとえば美術館のような文化的なもの。おいしい食材は、海に近い町ならではの楽しみですね。お魚やタコをさばくといった都内ではできなかった体験ができますし、季節も感じられています」

沖縄出身の知花さんにとって、海は特別な場所。上京してからも「無性に波の音が聞きたくなる」ことがあったそう。海に行くことが気分転換にもつながっているといいます。

「浜辺に出て深呼吸して、風に吹かれるだけで気分がまったく違います。思い悩んでいたことが小さく見えるような感じ。3歳の長女の口癖で、いい言葉があるんです。『まぁ、いっか』。波の音を聞いて、『まぁ、いっか』ってつぶやく。それがすごく居心地がいい」

仕事とプライベートの両立を迫られたり、SNSで友人と自分を比べてしまったり。私たちが「生きづらさ」を感じる場面は少なくありません。最後に、前向きに自分らしく生きていくためのコツを聞きました。

「前向きになれないときは私にもあったけれど、焦らなくていいなっていまは思っています。こうじゃなきゃいけない、こんなことができないなんて――。そんな悪循環に陥りがちですけど、焦らなくていいんです。いつか光みたいなものが見えると思います。そのチャンスをつかまえてください」

「私は、自分がいいな、好きだなって、わくわくすることばかり選んできて、それが良かったと思っています。周りからは『リスクテイカーだ』『鉄砲玉みたいだ』なんて言われたこともありましたが、それはそれで私にとっては居心地のいい選択だったわけで。私にとってフラメンコがそうであるように、若いときに熱中した感覚みたいなものは、大人になっても自分の根っこに残っていて、そこに何か前向きになるヒントや乗り越えるカギがあるんじゃないでしょうか」

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写真:中田健司
ヘアメイク:内田香織
スタイリスト:山本隆司(style³)

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