【エキスパートから学ぶ】禅僧・精神科医 川野泰周さん【前編】自分の人生 「主人公」として生きる
ウェルビーイングを考える際に、キーワードの一つとしてよく挙げられるのが「マインドフルネス」です。ただ、その詳しい中身についてはよくわかっていないという人も多いのではないでしょうか。
様々な分野のエキスパートにヒントやコツを教えてもらうインタビュー連載。今回登場していただくのは、精神科医で横浜市にある林香寺の住職でもある川野泰周さん。
マインドフルネスとは何かといったことから、そこに近づくための実践方法、そして人類はどうあるべきかといった話まで、医学と仏教の観点を中心に詳しく聞きました。
川野泰周(かわの・たいしゅう)さん
臨済宗建長寺派林香寺住職
RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長(精神保健指定医・精神科専門医・産業医)

1980年生。2005年慶応義塾大医学部医学科卒業後、同大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。
2011年より建長寺専門道場にて禅修行。2014年に住職を拝命し、以降、寺務の傍ら都内及び横浜市内のクリニックで診療を続け、マインドフルネス実践による心理療法に取り組む。国内大手企業にもマインドフルネスを導入。メディア出演を通してのマインドフルネス普及活動にも取り組む。
主な著書に『脳がクリアになるマインドフルネス仕事術』(2017年・クロスメディアパブリッシング)、『精神科医がすすめる 疲れにくい生き方』(2021年・クロスメディアパブリッシング)など。
「足るを知る」がウェルビーイングにつながる
――川野さんはウェルビーイングを、どのようなものとして捉えていますか。
ウェルビーイングは、心理学的にいうと「主観的な幸せ」ということですよね。本人が幸せや幸福を感じていること、主観的に充実していること、いきいきとしていること。「豊かな人生」というふうにも言い換えることができるのではないでしょうか。
では、具体的にそれは何なのか。まずは、仏教的な観点で考えていきます。
仏教では「四苦八苦」という、お釈迦様が説いた八つの苦しみがあると考えます。生きているかぎり、病に侵され、年をとってやがて亡くなってしまう「生・老・病・死」という四苦に加え、大好きな人と別れなければいけない「愛別離苦」、心身ともに心地よくいられない「五蘊盛苦」、ほしいものが手に入らない「求不得苦」、嫌な人と出会わなければならない「怨憎会苦」を合わせて八苦があるとされています。
その「八苦」を乗り越えているというか、手放すことこそがウェルビーイングにあたると考えます。仏教的には、必ずしも「幸福を追い求める」といったスタンスではないように私は思います。
西洋の心理学分野では近年「ポジティブ心理学」が注目されていますが、それと東洋的、仏教的なウェルビーイングの捉え方は若干異なるということです。ただ西洋にも、「ネガティブ・ケイパビリティー」という言葉があり、ネガティブな状況とか、自分の先行きがわからない不安の中にあっても、平静を保ってその場でたたずんでいられる能力のことを指します。これに近い感じでしょうか。
仏教的にいうと、八苦をなくすということでは必ずしもなくて、八苦がありながらもそこにたたずんでいる。「苦楽を共にする」という言葉があるように、苦も楽もあるがままに受け入れる。そういうスタンスが仏教的なウェルビーイングなのではないでしょうか。
禅の世界に「平常心是道」という言葉があります。ここでいう「平常心(びょうじょうしん)」というのは、一般的にいわれる「平常心(へいじょうしん)」つまり冷静を保つという意味ではありません。
「そもそも普段の心のあり方が、そのまま仏様のあり方なのだ」というふうに禅では考えます。喜怒哀楽があるこのまんまの人間の存在そのもの、つまり自分で自分のことをそのまま「まるっと受容」できるかどうか。そのことが大切だというのです。
心理学的には「セルフ・アクセプタンス」とか「自己受容」という言い方をします。それができている人が、やっぱりウェルビーイングが高いんですよね。
「地位財」「非地位財」という言葉がありますけれども、「地位財」というのは目に見える地位や財産など、他と比較することのできる財のことです。つまり自分の地位が高いとか収入が多いといったことを理由にウェルビーイングが高いと感じていたとしても、それは脆弱(ぜいじゃく)な幸福感であって、何かのきっかけですぐ崩れてしまうということです。
逆に、人との絆、自然への感謝、生かされていることの喜びといった、目に見えない「非地位財」に価値を感じられる人は、自分の身に何が起こっても幸せを感じる力、つまりウェルビーイングが高いということが分かっています。
仏教では「小欲知足」という禅語に代表されるように、「足るを知る」という精神が重んじられています。「足るを知る」というのは「少ないもので我慢しろ」ということではなくて、今あるものの価値に気付くと人間はおのずと満足するという心のあり方なんですね。
――ウェルビーイングが注目されるようになった背景については、どうお考えですか。
もちろん時代背景もあると思います。ただ私は医者として、ウェルビーイングに関する議論が起こってきたきっかけの一つとして、医療的な分野における視点も大きいと感じています。
医療の世界ではかつて、治療効果がなによりも優先された時代がありました。「治癒率」「薬剤の効果量」「どれぐらい腫瘍(しゅよう)が縮小したか」「炎症反応がどれだけ低減したか」といったことが重要視されたのです。
それが、私が医者になった約20年前には、今度は「QOL(生活の質)」に議論が推移していきました。例えば、「腫瘍を縮小させる効果がどんなに大きくても、その副作用があまりにも苦しい薬剤は、QOLの観点から良い薬剤とは言えない」といった考え方がこれにあたります。
このQOLという概念は、障害や病気の症状、生活上の不自由がない状態だと高くなるというのが基本的な考え方になっています。財産がある、身体的不自由がない、運動能力が高い、病気の症状が楽である、そういった場合には「QOLが高い」ということになるわけです。この概念の登場によって、本当の意味で患者さんにとってその治療がどれほど有益なのかが評価されるようになったことは、医療の世界の大きな進展と言えるでしょう。
そして近年、このQOLからさらに一歩進んだ概念として注目されるようになったのがウェルビーイングです。ウェルビーイングとは、その瞬間の幸せではなく、人生を通して得られるサステイナブルな(持続可能性を伴った)幸せの実感です。そこには、一人の人間という個体内の状態だけでなく、社会との関わりがどのような状態であるかといった観点も含まれています。
この概念を医療分野でも治療法を評価するために活用しようという動きが、とりわけ精神神経領域でさかんになってきたことは注目に値すると思います。
例えば、双極性障害(躁(そう)うつ病)の患者さんに対して、うつ病の治療薬である抗うつ薬を用いれば、一時的に抑うつ症状が軽減することもあります。ところが、そうした治療を漫然と続けることによって「躁転」といって、急激に躁状態に転じてしまうリスクが伴います。そして、躁状態になったからと薬を中断すれば、今度はがくんとうつ状態に陥ってしまうという経過が想定されます。
一時期には気分が高揚し、楽しい気持ちになるので、うつ状態だけをチェックする精神医学の評価尺度を用いれば、その瞬間は見かけ上、うつが治っていることになるんです。でも、その患者さんの人生を通して考えてみると、アップダウンを繰り返していく中で苦しみが増大することになるわけです。
「人生そのものが、豊かで安寧に満たされているか」というウェルビーイングの概念が、少しずつ評価尺度として導入されていったことは、臨床医としてはごく自然なことと感じています。
「判断」はせずに「注意」を向ける
――確かに重要、かつ合理的な考え方です。では、私たちが実際にウェルビーイングな日常にたどりつくためには、どうすればいいのでしょうか。
ご紹介したような「セルフ・アクセプタンス」や「自己受容」といった考え方をどうやって培っていくのかは、いろいろな戦略があると思います。瞑想(めいそう)なのか、日々何かにていねいに取り組むことなのか、ほかの人と温かな交流を持つことなのか。
いろいろな方法がある中で、中でも比較的便利で手軽に、かつ即座に使えるスキルとして挙げられるのが「マインドフルネス瞑想」だと思います。優れている点は多いのですが、あくまで手段の一つであり、マインドフルネス瞑想だけが唯一の解決法というわけではないと私は思っています。
「マインドフルネス」とは、ひとことで言うと「今、目の前にあるものをあるがままに捉える」という、そのスタンスを指します。混同しがちなのですが、瞑想すること自体をマインドフルネスと言うわけではありません。
マインドフルネスという心の状態を育むためには様々なアプローチがあり、瞑想はあくまでもその一つに過ぎないということです。マインドフルネスに近づくための瞑想を「マインドフルネス瞑想」と呼んで区別すると、理解しやすくなるのではないでしょうか。
マインドフルネス瞑想に取り組む際はまず、とにかく「目の前のことに注意を向ける」というのが大事です。注意を向けると何が起こるかというと、いろんな感覚が生じてくるわけです。
例えば、目の前にお茶があるとします。そこに注意を向けたら、色はちょっと薄めの茶色で、よく見ると茶葉が沈殿しているなとか、そういう認識が出来てくるわけです。
ところが、そこで「薄いから、なんだかまずそうだな」と考えたり、そこから連想して「このお茶を選んでしまったのは失敗だった」と自分の選択を否定してしまったりするのは、マインドフルな立場からは離れていることになります。そこで得られた体験について、良しあしの「判断」をしているからです。
そこであえて、「薄い色をしているという事実そのまま受け入れる」ようにしてみるのです。判断を手放す、良しあしの判断をしないことが大切です。
- 注意を向ける(アテンション)
- 判断をしない(ノン・ジャッジメンタル)
この二つの要素で、マインドフルネスは成り立っているのです。
そして、そういう姿勢で物事に触れ合っていくと、結果的に心の中に二つの能力が育まれていきます。それが
- 細かく気付く力、感性(アウェアネス)
- 受容する力、受容性(アクセプタンス)
です。この二つの心理機能が同時に育まれていくのです。
――川野さんがマインドフルネス瞑想を重視している理由は何でしょうか。
私たちは、考え方やものの捉え方で、どうしても「癖」が備わっていて、「認知のゆがみ」「認知パターン」と呼ばれています。それによって、物事がゆがんで見えてしまいます。
それを修正することに着目した心理療法が、「認知行動療法」です。この治療ではカウンセラーや看護師、医師が患者さんの伴走者となって、認知のゆがみを正すお手伝いをします。私も若い頃に大学でこの治療法を学び、積極的に考え方を調整してゆくこの治療法の魅力に触れることができました。
しかしその一方で、日本では実際にその治療を受けられる機会がまだ十分ではないというのが現状だと思います。治療にかかる時間的負担や、専門家の不足、また医師ではなく心理士が担当する場合には保険が適用できず、患者さんの費用負担が大きいことも課題です。
そのような現状を見たときに、私は患者さん自身で取り組める「セルフヘルプの手法」が必要だと感じたのです。
「主人公」という言葉がありますよね。物語や映画などの主役という意味です。実はこれ、もともとは禅の言葉なんです。中国の山奥で、自分に対して「おい、主人公! 主人公!」と呼びかけ、「ハイ!」と自ら返答していた瑞巌和尚の故事がもとになっています。
その和尚は山の中で一人暮らしをしながら、自分に対して「おい主人。お前は本当にお前自身の人生を『主人』として生きているのか」ということを毎朝自問自答して、修行していたそうです。
つまり、自分が主体的に「この人生」「今日一日の生き方」を選択して、自らの意思で歩んでいるのかということ。それを、禅の世界ではとても大事にするわけです。
治療法においても、「医師に助けられた」とか「医師が処方してくれた薬で救われた」という体験は素晴らしいものですが、それだけではなく、患者さんが自分の力で乗り越えたという自己肯定感、医学の世界では「自己効力感」というのですが、そうした感覚を育むことが再発の防止にきわめて効果的であることが知られています。
ただ、自分で練習して元気になる、それをサポートするというのは、実は結構たいへんなことなんです。そうしたセルフケアを続けること自体が簡単ではないからです。
マインドフルネス瞑想はまさに「セルフヘルプ」の治療法の代表格ですが、継続することの難しさにおいては例外ではありません。そして、そこにこそ私の役割があるのだと感じています。患者さんの定期診察や、院内のマインドフルネス教室のたびに「瞑想はこんなふうに効果を発揮するんですよ」「最近はどんな瞑想をしていますか?」「続けるのって、難しいですよね」という具合に投げかけていくわけです。
ただし、私はあくまで声を掛けるだけで、実際に瞑想を実践するのは本人です。主人公はあくまで自分自身ということです。禅の精神にも通じるこの手法は、やはり私にはしっくりくるように感じています。
そうして患者さん自身が一生涯、自らの意思で瞑想実践や禅的生活を続けていけば、それはそのまま生き方のスタンスがマインドフルになることを意味します。これこそが、まさにセルフヘルプなのだと思っています。
――「ワタシノコト」では「モードコントロール」をテーマの一つとして取り上げています。川野さんの考える「モードコントロール」のイメージを教えてください。
マインドフルネスの分野で「モード」といえば、脳の機能に着目するのがわかりやすいと思います。脳には様々なネットワークがあることがわかってきましたが、なかでもよく知られているものが三つあります。
雑念で考えがあちこちに散っているようなときに働くのが「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」です。私たちは生きている限り、常に雑念を抱えているものです。ほかにも未来に対する不安を感じたり、過去のことを後悔したり、また「自己へのとらわれ」といって自分がどう人から見られているかとか、自分に価値があるのだろうかといったいわゆる「自意識」にもとづく思考もしばしば抱きます。
DMNは、こういったものすべてをつかさどっていると考えられます。脳のうち、中心軸に沿った前と後ろの真ん中の部分が使われるのですが、実はこれらの部位は脳の中でもエネルギー消費が非常に大きいことが分かっています。だからこういうことばかり考えていると、脳は疲れてしまうわけです。
でも時として、私たち人間はこのDMNをあまり使用しないことも分かってきました。例えばすごくおいしいものを食べた瞬間とか、スポーツ選手がプレーに集中出来ている時は、脳は真ん中の部分ではなくて、外側の部分を活性化させていたのです。これが「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)」です。
CENが働いている時は、DMNはお休みしていることが分かっています。CENの主要部位の一つは「背外側前頭前野」という、ちょうどこめかみの少し内側のおでこのあたりに相当する脳部位です。一点集中で頑張っている時や、「フロー」「ゾーン」と呼ばれるスポーツ選手が最大のパフォーマンス発揮する時に、中心となって作動している可能性が指摘されています。
では、この「切り替え」はどうやって行っているのだろうということになりますよね。
研究者の方々が検証を進める中で、どうやらDMNからCENに切り替えるときに作動している別の部位が見つかったんです。それが「セイリエンス・ネットワーク(SN)」といって、側頭部の奥の方にある「島皮質」という部位を中心としたネットワークだったのです。ここでDMNとCENという二つの脳内ネットワークを切り替えていることが想定されました。
野球の打者に例えれば、注意が散漫でなかなか打てない選手から、ここ一番で力を発揮する「代打の切り札」へと交代の指示を出す、いわば「監督」のような役割を果たしていたわけです。
雑念だらけのなかで1時間作業をするというのは、もう本当に苦痛だと思うんです。でも、何かの作業に集中できているときというのは、1時間なんてあっという間に過ぎていきますよね。
逆に、時間を引き伸ばすという感覚もあるといわれています。プロ野球の往年の名選手だった川上哲治さんが「ボールが止まって見えた」という言葉を残しています。集中力が非常に高まった状態で、疲れも感じずにひたすら打撃練習を楽しんでいたそうです。
これはまさに「フロー状態」であると考えられています。フロー状態のときは時間の感覚が伸びたり縮んだりしてゆがめられるのが特徴とされていて、人間が持つ能力が最大限に引き出されると考えられます。そうした集中状態とCENが関連している可能性があるということです。
マインドフルネス瞑想というのは結局、この「島皮質」を活性化させることによって、ネットワークを切り替える練習をしている、ともいえると思います。それはモードコントロールにもつながっているのではないでしょうか。