あの人に聞く

ウェルビーイングの捉え方の違いから日本社会が見えてくる

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目次
  1. お年寄りに席を譲る その解釈も様々
  2. 「日本はウェルビーイングが低い国」は本当か
  3. 「心を動かす」ものに触れる大切さ

さまざまな分野の有識者や著名人に、「あなたにとってのウェルビーイングとは?」を尋ねるリレー企画。2回目は、人の幸福が文化的背景に影響されるという「文化的幸福観」研究の第一人者である内田由紀子・京都大学教授。「幸せ」の捉え方の違いから見えてくる日本社会の特徴から、私たちがウェルビーイングとどう向き合っていくべきなのか、考えます。

お年寄りに席を譲る その解釈も様々

――まずはウェルビーイングについて、内田さんはどのようなものと捉えていらっしゃいますか。

ウェルビーイングとは、「心の豊かさ」と考えることが出来ると思います。さらにいうと、マクロな視点で「人々が生きている社会の状態」から、ミクロな視点での「その場の空気感」までも含めて、よい場の状態が「持続すること」ではないかと思います。

働いていたり子育てをしていたりすると、その瞬間、瞬間ではまあしんどいこともあったり、いつもいいことばかりじゃなくてたいへんなこともありますよね。

でも「未来を信じる気持ち」や「支えてくれる仕組み」があるからこそ、私たちはしんどいことも乗り越えられる。ある種のレジリエンス(回復力・復元力)のようなものが、近い概念なんじゃないかと。

しんどいこと、たいへんなことを個人の力で乗り越えようとすると、セルフトレーニングの世界に入っていく。自分で心の持ちようを変える、リスキリングして頑張るなど、確かにいろいろな方法はあるでしょう。

でも社会で生きていると、個人がどれだけ頑張ってもままならないことって、やっぱりあるなと思うわけです。会社の仕組みが変わらなければ、いくら提案しても実現しない、あるいは子どもたちがいろいろなことを考えても、学校でホームルームなどの場所がしっかりしていなければ、それを言うこともできない。

だからまず、そういうみんなの気持ちを受け止め、いろいろな人が意見を言い合って多様性を認められるような「受け皿」があるかどうか。それが、私はとても大事だと思っています。まずそれがあって、そのうえで一人ひとりが「じゃあ今、私がやるべきことっていったい何だろう」と考える。

社会の様々な場所で「受け皿」がしっかりしていてはじめて、「何のために働いているのだろう」とか「何のために勉強しているのだろう」という問いにも答えられるようになるはずです。目標があるからそれを乗り越えられるという「目標志向性」が持てるわけです。

そういった環境が実現している状況こそがウェルビーイングであると、そういう言い方も出来るのではないでしょうか。

――幸福やウェルビーイングについて、内田さんは「文化」という視点から論じることが多いと思います。なぜ「文化」に注目したのですか。

私がそもそも「文化」に関心をもったのは、「人の心」と社会の関係を知りたいと考えたのがきっかけでした。人の心は、例えば会社の空気感とか、そういう「文化的な環境」に強く影響されるわけですが、それはなぜなのだろうとずっと疑問に思っていました。

個人でどれだけ頑張っていても、例えば異動や転校などで環境が変わった瞬間に、急にしょんぼりしてしまうことって、ありますよね。それって何だろう? 場の持っている力ってすごく強いなあと。それがある種の「文化」と呼べるものかもしれないし、空気感かもしれない。そういったことを文化というカテゴリーの中で、ライフワークとしてずっと考えています。

同じように、人の「幸福」もそういう周りの環境に大きく影響されるのではないかとなったときに、ではどうやって良い文化環境をつくればいいのかということがテーマになってくるわけです。

最近、私はそれを「場のウェルビーイング」と表現しているのですが、人間というのは本質的に、制度とか仕組みとか規範とか、そういう文化環境から簡単に切り離すことができない存在なんだ、というところが出発点になっていると思います。

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――内田さんがよくおっしゃっている「文化的自己観」「文化的幸福観」にもつながっていくということですね。これらの概念について、もう少し詳しく教えてください。

私たちが「人とはなんだろう」「自己とはなんだろう」「人の心とはなんだろう」といったことを考えたとき、その捉え方は様々で、人によって異なっています。

例えば、電車の中でお年寄りに席を譲った人がいるとします。それを見ていた第三者に「あの人はなぜ、そういうことをしたと思いますか」と質問してみると、まさに人によって様々な答えが返ってくることが予想できます。

「その人がいい人だから」という考え方もあれば「社会的規範だから当たり前」という人もいるかもしれない。あるいは「プレッシャーをかけられたからではないか」という捉え方をすることもできるわけですね。

もちろんそれは状況によっても違うし、説明の仕方には個人差もあるんですが、だいたいにおいて、人の行動の源、つまり主体というのは「自分の内側にある」と考えるのが「独立的な自己観」と呼ばれる理論です。

この理論に基づくと、「人間は自分の内的な動機付けや性格などよって動く」と考えます。「私がやりたいから、やりました」ということですね。先ほどの例でいうと「いい人だから席を譲った」という考えになるでしょう。

確かにわかりやすい考え方ですが、では私たちはそれだけで動いているかというと、そうではないと思います。

例えば社会との関係性です。社会的なプレッシャーが強いと、人の行動が変わるということも、私たちは日々の生活の中で感じていると思います。

自分主体で動くというより、「社会規範とされているもの」や「その場の空気感」といったもののなかで意思決定しているという考え方で、これは「相互協調的な自己観」と呼ばれています。

先ほどの例でいうと「席を譲ってあげたいと強く思ったからというよりは、それは社会規範として当然のことだからやりました」というような言い方になると思います。

同じ物事を見ていても、その捉え方がまったく違う。メガネの掛け方が違うみたいな感じですね。これはどちらか一方だけということではなくて、誰もが両面を持っています。

ただ、その人が属している社会によってどちらがより強く出るかという傾向が異なるということがわかっていて、それは日本と欧米の幸福観の違いといったことにもつながっているわけです。

このように、文化によって自己観が左右されるのではないかという考え方を、文化心理学の中で私の師匠にあたる人たちが理論化したのが「文化的自己観」。それをもとに、じゃあ幸福観も違うんじゃないかということで広げていったのが、私の研究テーマでもある「文化的幸福観」になるわけです。

「日本はウェルビーイングが低い国」は本当か

――ウェルビーイングや文化環境の視点から、今の日本社会をどのように分析していますか。

各種の調査結果などをみると、日本はウェルビーイングが低い国とされていることも少なくありません。一方で、外国からやってきた人には「日本って本当にいい環境ですね」というふうに言われることも多く、私自身、そのギャップの大きさをずっと感じています。

実は私も、文化比較の研究を始めた時には「なんとなく日本って居心地が悪いなぁ」と思っていたのです。同調圧力とかそういうものを強く感じていて、自由な意思決定はすごく難しいという側面が日本にはあるのではないかと思っていました。

それで米国に住んでみたのですが、外の視点から日本を見直してみると、やはりいいところもたくさんあるなあと、あらためて思ったわけですね。

日本社会の特徴とされる「空気を読む」「忖度(そんたく)する」というのは悪く言われることもあるけれども、逆に考えると一生懸命アピールしなくてもちゃんとみんながわかり合えて、お互いに思い合って気遣ってくれる、実は温かさを感じる社会でもあるんですね。

それは、やりすぎるとプレッシャーになってしまうのだけれど、いいあんばいで調整できれば本当に居心地のいい社会になるわけです。ではその「ちょうどいいポイント」にするためにはどうしたらいいのかということを、きちんと時間を掛けて考えなければいけない。

でも、実はこれって日本だけの問題ではなく、世界共通の普遍的なウェルビーイングの課題そのものじゃないか、とも思うわけです。

日本のいいところと、変えていかないといけないところ。今はまさに、その両方が何かということを模索している過渡期なんじゃないかと思います。だから私は、今の日本のウェルビーイングの状態がすごくいいとも思わないし、悪いとも思いません。

いろいろな価値観が大きく変わっていて、その価値転換を良い方向に持っていかなければならない。まさにそういうタイミングなんだということをみんなが意識することによって、日本だけでなく世界規模で新しい未来社会が作れるのではないか。期待を込めて、そんなふうに考えています。

足の引っ張り合いではなく、どうしたらみんなが良くなるのかということを考える。それが最初に言ったような社会の仕組み作りや未来への希望につながり、一段高いレベルの「幸せ」にもつながっていくと信じています。

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――日本の課題を考えることは、世界のウェルビーイングを考えることにもつながるということですね。

私も委員として参加している中央教育審議会がとりまとめた「次期教育振興基本計画」の答申にもウェルビーイングという概念が入るようになりました。「調和と協調のウェルビーイング」を日本型ウェルビーイングとして、世界に向けて発信していこうという動きも明確になってきています。

ウェルビーイングを考えるうえで、この「調和と協調(バランス・アンド・ハーモニー)」という考え方は、世界的にみてもこれから重要視されてくると私は思っています。

もちろん、ほかの国でもバランスは考慮しているとは思いますが、世界レベルでみると「経済的な豊かさを追い求めることが幸福だ」という風潮が強かったので、調和や協調はどうしても後回しになってきた面は否定できません。それをもういちど見直すことによって、ウェルビーイングとは何かを考えていこうということです。

もちろん、日本でもウェルビーイングにおける調和と協調を再定義して、再評価していかなければいけません。また、あまりそこを強調しすぎると、同調圧力を強めることになってしまうので、「多様性のある、風通しの良い協調性」を常に考えながら進めていければ、日本のウェルビーイングはとてもよいものになると思います。

――「調和と協調のウェルビーイング」というのは、具体的にいうとどういうものなのでしょうか。

対比する概念を考えるとわかりやすいと思います。

欧米社会でのウェルビーイングは「獲得志向的ウェルビーイング」がベースになっています。「スキルを磨く」「学歴を身に付ける」「お金を得る」こういったことが幸せにつながっていくという考え方ですね。

SNSに代表されるソーシャルネットワークが米国ではなぜ大事かというと、いい人とコネクションを持っていることは、自分のキャリアアップやステップアップに非常に重要だからという面がやはり大きい。

米国のように流動性が高い社会では、ウェルビーイングを考えるといった場合であっても、競争のなかで自分が何を獲得していくのかということがとても大事です。さらにキリスト教、特にプロテスタントの考え方も影響していると思います。自分が神に選ばれることを証明しないといけない。そのためには自分が成功しないといけないし、成功するためには努力も当然しないといけない。そういうふうにつながっている。

獲得するということそのものがウェルビーイングの証しでもあり、さらに獲得したから結果的にウェルビーイングにもつながっていると、そういう考え方なんですね。

でも、日本でこの話をすると、あまりピンとこない人が多いです。普段からバリバリ頑張っているキャリア志向が強い人は別です。でもそれ以外の方、例えば地域で高齢者の方に「どんな時に幸せですか?」と聞いても、そんな獲得的な話は出てこないわけです。「孫の顔を見る」とか「毎日が穏やかに過ぎていく」とか、そういうことをすごく大事にされている。

「家族の温かさ」「ほっとする瞬間」「落ち着いた気持ち」「毎日が穏やかであること」などなど。こういったことが重視されるのが日本社会だということがよくわかります。

キーワードとなるのが「人並み感」。絶対値があるわけじゃなくて、なんとなく人並みだったら、まあそれでよしとしようじゃないかというような感覚は、良くも悪くもすごく日本的で、日本社会をよく表した言葉だと思います。

ここ最近の日本の教育では、欧米的な「獲得志向的ウェルビーイング」が重視される傾向にありました。スキルを身に付ける、自分探しをする、個性を大事にするといったことが強調されてもう十年ぐらい経つと思うんですけど、じゃあみんなが個性的になったのかというと、あまりそうはなっていないですよね。調和を好む日本社会と、やはり乖離(かいり)があったということだと思います。

ただ、個性を大事にしよう、自分の意見を大事にしようというのは、とても大事な考え方だと思うんです。だから、それらの対比する考え方をうまく組み合わせる。まさに「調和と協調」によって、よりよい社会が作れるのではないかと私は考えています。

「心を動かす」ものに触れる大切さ

――ウェルビーイングな社会の実現に向けて、私たちはどういうふうに歩みを進めていけばいいのでしょうか。

日本人の特徴として、自己批判が得意というのがあると思います。自分のダメなところを見つけるのがとても上手だと思いますし、あとは政治や社会、地域、組織の批判や文句も的確に指摘できます。

一方で、いいところを見つけるのはちょっと苦手、という点もあると思うんですね。集まって話し始めたら、だいたい文句や愚痴だらけの会みたいになって終わってしまったという経験は、多くの人が持っているのではないでしょうか。

でも、少なくともウェルビーイングに関しては、世界に向けて発信するべき新たな視点が日本社会の中にはあります。

ここ数年のコロナ禍では、多くのことが変わってしまいました。お店やレジャー施設などがたくさん閉じてしまい、日常的に会っていた人に会う機会が激減し、京都でいえばたくさん来ていた海外からのお客さんがいなくなったということもありました。

そんな数年間を経て、リオープンや再稼働をしている今の状況は、様々なことを考え直すにはとてもいい機会です。今まで私たちがやってきたことはいったい何だったんだろうと考えてみるとか、自分自身の人間関係をいちど精査してみるとか、そういうことをするのにものすごくいいタイミングだと思います。一時停止みたいな時間があったことを、ネガティブに捉えるだけはなくて、逆に好機と捉えることも、少しぐらいはできるかもしれないわけです。

まず立ち止まって、もういちど日本社会がどうありたいのかを考える。そこまで大きな範囲でなくても、例えば会社とか地域とか学校といった単位でもいいと思うんです。自分たち文化的なものとは、どんなものだった? これからどんなふうにしたい? そんなことをちょっと考えてみる。今がまさにそのチャンスなのです。

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――ウェルビーイングがこれからの世の中で果たす役割については、どう考えていますか。

今、会社経営において「パーパス」という概念が注目されていますが、ウェルビーイングの役割もそれに近いのではないかと考えています。

例えばある会社では、こういうものを作っていて、それを売って利益を得ることが目標ですと。会社組織である以上それは正しいのだけれど、実はそのいちばん上に「パーパス」があって、それが何なのかっていうことを考える、というのが今の潮流になっています。

何のためにこの製品を作っているのだろうとか、何のためにそれを売っているのだろうとか、そういうことですね。そういったことを普段からきちんと考えておけば、経営者や社員の心構えも違ってきます。

学校でもそうです。「知識を授けるところです」とだけ定義してしまったら、ではそれさえやっていればいいんじゃないか、となってしまうわけです。

それに対して、「ウェルビーイングというものを考える場所なんです」というふうにすると、じゃあ生徒だけではなくて教師もウェルビーイングを実感できるような職場でなくてはいけないよね、というような発想になってくる。

会社でも地域でも学校でも家庭でも、それは同じです。意義付けがあいまいなまま当たり前にやっていることを、そもそも何のためにやっているんだっけ、というふうに立ち返ってもう一度考えてみる。ウェルビーイングは、そういう変化を起こすいい起爆剤になると思います。

視野を狭くしないことも、ウェルビーイングを考えるときに重要な点です。例えば保護者が「とにかく子どもの幸せだけを考えるってことですか」と、自己犠牲的な発想になってしまうと、もったいない。

子どもが幸せになるためには、やっぱり地域が良い状態じゃないといけない。じゃあ、その地域のために自分は何ができるのかな、というふうに少し視野を広げて考えることができれば、ウェルビーイングがぐるぐる回り、循環しやすくなる。いろんな人のウェルビーイングに対する思いが重なると、居心地のいい場所がどんどんできていくのではと思います。

最近、心理学で注目されている研究成果がありまして、それは「人は畏怖(いふ)畏敬(いけい)の念を感じるような感動経験をしたときには、他者を助けるようになる」というものなんです。

感動した原因は、芸術に触れたとか大自然の景色を見たなどの経験です。心が動かされる体験を通して「ああ、なんて自分はちっぽけな存在なんだろう」ということが良い意味で感じられて、だからこそみんなと協力しなければいけないという感覚を持てるようになる。そういう研究成果が出てきているのです。

人の心を動かすという意味では、芸術作品も地域の行事やお祭りも同じ。長い年月を経て受け継がれてきた伝統芸術には、人の心をつなぎ、みんなにとって心地よい場所を提供する力があるということがわかってきました。

ウェルビーイングを考えることは、そういった文化芸術に触れることの大切さを見直すきっかけにもなっていくと思います。

――これからのウェルビーイングのあり方について、考えを聞かせてください。

私たちは、知らず知らずのうちに「考え方のデフォルト」みたいなものを身に付けていると思います。同じ文化の中でずっと住んでいると「こう考えるのが当たり前」だとか「そうするのが常識」という価値観の中で人や物事を判断しがちで、その枠を超えないようにしようとすることがあると思います。

その文化の中で暮らしているときには、デフォルト的に判断しておけば余計な摩擦を避けることが出来るなど、それはそれでいいこともあると思います。けれども、当たり前だと思っていることは、ちょっと国が違ったら当たり前じゃないかもしれないとか、隣にいる人だって自分と同じようには考えていないかもしれないということも、やはり意識しなければなりません。

グローバル化が進み、様々な文化的背景を持つ人たちとの交流がますます進む中で、自分の考えをどう人に説明するのかということが問われる時代になっていくと思います。自分勝手に「私はこうしたいからこうするんだ」というだけでは対話にはならないわけですね。

自分は何ができるのかということを、きちんと認識して相手に伝える。そこで初めてお互いに共感したり、相手の意見に耳を傾けたりできるようになるはずです。日常生活の中にウェルビーイングの考え方が浸透して、普段からその意味を意識しておくこと。それが文化的背景を超えた交流のきっかけになればいいなと、そんなふうに考えています。

内田由紀子(うちだ・ゆきこ)さん

京都大学「人と社会の未来研究院」院長・教授

内田由紀子

1998年京都大学教育学部教育心理学科卒。ミシガン大学客員研究員、スタンフォード大学客員研究員などを経て、2008年京都大学「こころの未来研究センター」助教に就任。2019年から同センター教授。2023年から現職。

日本学術振興会特別研究員、内閣府「幸福度に関する研究会」委員、文部科学省「中央教育審議会」委員、スタンフォード大学フェローなど歴任。

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