人口3200人、東日本大震災で孤立した宮城県気仙沼市の離島、大島。あのころ、本土と結ぶ唯一の手段だった小型連絡船「ひまわり」が廃業を決めた。震災遺構として島民らが保存への取り組みを進めるが、その活動に熱心に関わる地元の男性がいる。津波で流された孫をひまわりが見つけてくれたからだ。

 「ひまわりに足向けて寝らんねえんだ」

 昨年12月、「臨時船『ひまわり』を保存する会」の初会合で、大島に住む大崎喜久夫さん(74)はこう切り出した。

 震災5カ月後の2011年8月、ひまわりは大島から本土へ向かっていた。レーダーに何かが映っては消えた。角張って見える流木とは違う。通り過ぎる一瞬、菅原進船長(75)は海中に何かが漂っているのを目に留めた。

大崎喜久夫さんの孫、緑ちゃん(大崎さん提供)

 「あれっ、人じゃなかったか」。すぐに反転させた。仰向けの遺体が海面に浮かび上がっていた。小さい。子どもか。赤い靴が目に焼きついた。