第58回日本SF大会(Sci-con)が7月27~28日、さいたま市の大宮ソニックシティで開かれ、作家・飛浩隆さんの小説『零號琴』が第50回星雲賞の日本長編部門を受賞しました。初日の27日には、飛さんが『零號琴』を語り尽くすトークイベントも開催。聞き手にライトノベル『筺底のエルピス』の著者オキシタケヒコさんを迎え、自ら事前に「『零號琴』について公開の場で語る最後の機会」「飛の小説についてなにか文章を書くとしたら、この企画で話された内容を踏まえないわけにはいかないような、そんな話をします」と予告して臨んだイベントについて、報告します。

 ※『零號琴』の読了を前提に、作品のネタバレを含みます。ご注意ください。

 「鎌倉ユリコは、なきべそが降り立った砂漠とそこから見える銀河について、夢のように美しい文章を書いた。/そしてどんなときも最終回の先をあきらめなかった、なきべそのいさましい姿を書いた。/多くの子どもはその文を読んではじめて気づいた。/轍世界には、この銀河には、まだ『外』があることを。/この世界は外から見ることができるのだということを。」(『零號琴』596~597ページから引用)

 オキシさん「『零號琴』のSFマガジンでの連載は2010年2月号から11年10月号までの全19回でした。ちょっと休載をはさんだとはいえ、20カ月ほど書きつづけたという、まったくもって飛さんとは思えないような執筆状況だったわけです(笑)。が、それからの進捗(しんちょく)にかんしては、とにかく何も聞こえてこなかったんです。ようやく出版にこぎ着けたのが、2018年。およそ7年間の空白があります。なぜ改稿にそれだけ時間がかかったのでしょうか?」

 飛さん「それを説明するには、連載版のどこが不満だったかというところから話し始めることになると思うんですけれども。最大の問題点は、クライマックスの〈假劇〉が不完全燃焼だったということですね。連載版では假劇を上演することで美縟という星に隠されていた秘密が暴露されるというところにたどり着く。そこで精いっぱいだったんです。とにかく連載が想定をはるかに超えて延々と続いていたので、どこかで区切りを付けないといけないという焦りもあったし、結果その秘密の暴露については、この惑星の過去を語ってくれる声の集合体というものが招来されて、それに全部しゃべらせてしまうという、荒技というか、むちゃくちゃな反則技で乗り切ったので(笑)」

 「いったん假面を着けたら精神が丸ごと没入してしまうのが假劇なので、假劇の空間のなかで起こっていることを客観的な視点で、いったい誰が語りうるのか。理屈で考えると、わからないものになってしまう。それなら前もって伏線を張っておけばよかったんですけど、連載の悲しさでどうしようもない。これは自分の未熟だった部分ですね」

 「さらに大問題だったのは、クライマックスの秘密の暴露に、主要な登場人物がほとんど絡んでいない。解説だけが独立してしまって、それで終わってしまったことで、ワンダとパウルの行く末も何も書いてなかったし、トロムボノクにいたっては、真空管のなかで鐘をたたいていただけで(笑)。それではだめで、やっぱり主人公たちはクライマックスにかかわって、結果として変化を受けないといけない。世界が一変するようなことをやっているので、その返り血を浴びて、登場人物たちもなにがしか変わってもらわないといけない。その一番の勘所を逸してしまった」

 「というわけで、二つの課題を解決する必要がある。一つ目の、語り手をどうするかというロジカルな問題については、鎌倉ユリコというまったく新しいキャラクターを生み出すことで解決した。あとでまた話をするんですが、彼女に与えたいくつかの性質で、秘密の開示は語りの問題を解決して、『無番』という枠の中に収めることができた。それから二つ目、主要登場人物はワンダもパウルもフースも峨鵬丸も、主役2人も鎌倉ユリコも、それぞれ假劇と美玉鐘との関係で、のっぴきならない理由や動機をもって、物語を変えたり、お互いに影響を及ぼし合ったりしながら、右往左往しつつ、最終的には秘密の暴露にたどり着き、さらにその先へ行ってもらわないといけない。全員に見せ場があって、そのうえで退場してもらうということを一人ひとりやっていかなければならなかった。癖のあるキャラクターがあれだけの数いて、それぞれが別々の覚悟と欲望をもって假劇とかかわって、それぞれの動機に見合った結末を迎えて退場してもらわないといけない。そのうえでストーリー自体も、作者として思っている方向へ行ってもらわないといけない。少なくとも自分にとっては、容易ならざることというか。第五部では、せりふと役名のあるキャラクターが13人いるので、それを動かすのがどれくらい大変かというのは、ちょっと考えていただければ……」

 「そのうえ、秘密の暴露を『無番』に収めてしまったからには、連載版での構想はそこで尽きてしまっているわけで、その先はまだ誰も考えてないんです。作者以外に考えてくれるひとはいないので……。連載版では〈なきべそ〉が物語のくさびとなって、一種の自己犠牲で世界を救済して終わると。連載終了当時、この結末がアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)に似ているというご指摘がありましたが、その時点では見ていなかったんです。ただ、そのことを措(お)いても不満はあったわけです。自己犠牲で終わらせていいのかみたいなことは、自分への問いかけとしてあった」

 「そこで、いったん終わった作品を、別の結末に向けて再び動かすことをやろうと。不本意な連載版に、別の結末を与えたいと。これを決めた時点で、『アヴァンタイトル』があのようなものになることは確定したということなんです。そこから新規まき直しで、最初に戻って一文一文、新しいコンセプト、最終回の先へ行くということを意識しながら、つじつまの合わない部分や、くどくなっている部分をつぶしながら頭から書き直していったわけです。そんなこんなで時間がかかったと言いたいのですけれども、しかしこれぐらいなら、もうちょっと早く完成できてもいいはずで」

 「真の理由というのは、そもそも『零號琴』の主題というか、私のもくろみが何だったかということなんですね。以前、『自生の夢』という作品を書いたときに裏テーマがあって、あれは伊藤計劃が亡くなった直後で、円城塔が『屍者の帝国』を書き継いでいると聞いたものだから、どうか無事に円城塔が『屍者の帝国』を完成させられますように、という願をかけたと。同じように、この作品も主題とは別にベースラインが鳴っているというものを想定しながら書いたということです。そのベースのところは作者としてはモチベーションの一つなので、それを保ちつつ、新しい展開とがお互いに分離しないように気をつけたと。そういうところが大変だったということです」

 オキシさん「クライマックスをどうするかとか、キャラクターにそれぞれ片を付けさせるというのは、あくまで表向きの話であって、それとは別に、裏に真の主題があるわけですね。このあたりは皆さん興味津々かと思います。後ほどがっつりと語っていただくわけですが、のどがもたないということで(笑)。ちょっと私にしばし時間をいただければ。本題に進んでいただく前に、飛浩隆という作家について再確認していきたいと思います」

■オキシタケヒコが語る飛浩隆“愛”

 オキシさん「飛さんを表現するのに、うたい文句に迷うんですけど、あえてシンプルに『文章に力がある作家』という表現をしてみますね。五感を総動員させられる文章を書かれますし、一見さりげない文章で読者を打ちのめすパワーが半端ないんです。なまめかしかったり、不安定にさせられたり、痛かったり。読み手の表面ではなくて、内側に切り込んでくる書き方で、SFではよくアイデアが重視されるんですけど、そこを抜いたとしても、文章だけでノックアウトさせられる。読んでいる側としては大変な作家です。結構な方が同意していただけるんじゃないでしょうか。どなたの言葉だったか思い出せないんですけど、『文章でひとが殺せる系作家』(笑)。まさに正鵠(せいこく)を射た言葉で、深くうなずいたことがあります」

 「ここでは『零號琴』のなかから私がノックアウトされた一文を選んでみました。『零號琴』の主役はトロムボノクとシェリュバンですね。この2人が出会う、轍世界のどこかにあるだろう〈クルーガ〉という場所です。お話には直接関係ないんですけど、キャラクターの背景的には、めちゃくちゃ重要な場所なわけです。そこを描写するのに、さりげなく、とんでもない文章をぶち込んできます」

 「〈クルーガ〉の売春宿に寄りつく男女は、人生のあちこちで拾ってきた小唄を、両替し損ねた硬貨のように落としていく。」(『零號琴』192ページより)

 オキシさん「かっこええ……。〈クルーガ〉っていう場所のようすを伝える文章は、全文中でこの部分だけなんですよ。表向きの主語は男女ですけど、彼らは描写の対象ではないんです。彼らを通して、間接的に場所のトーンだけを伝えている。そこがどんな場所なのか、どういうところで主人公2人が出会ったのか、という情報を圧縮して体感させるっていう離れ業をやっている。もう、超かっこいい」

 「飛さんはここ何年か、ゲンロンSF創作講座で『名誉校長』とか言われたりしながら、文章について色々教えているわけですが、そのなかで描写のことも語られておられます。小説は、ある景色をそのまま書くだけでは描写にならないんですよね。小説が完成するのは読者の頭の中です。シェリュバンの過去の生活を読み手に体験させるのに、どういう世界の、どういう街の、どんな建物の、どんな部屋に住んでいたか、みたいな細かい情報は必要ないんです。大切なのは想像力の触媒であって、その触媒さえ用意できれば、読み手が勝手に頭の中にその地の空気を感じて、どうやって彼がそこで過ごしていたのか、その地の成り立ちや歴史すらも、なぜか感じることができる」

 「単語を一つ一つ見ていきましょうか。売春宿、上品に言えば娼館(しょうかん)なわけですが、あえて売春宿ですね。訪れる、ではなく寄りつく。ただの唄、ではなく小唄。覚えてきた、ではなく拾ってきた。どれも、まっとうな言葉から一段か二段落ちる、より安っぽい表現が選んであるのがわかります。そして最後の、落としていく、につながる、両替し損ねた硬貨のように、という比喩ですね。両替は旅をイメージさせる言葉です。轍世界をあっちこっち渡り歩いたり、流れ着いたりしている人たちだということがわかりますね」

 「それらすべてがかかる主語も、旅人とか客ではなく男女。旅人とか客と書けば、そこに目的が生まれるんですよね。あえて無目的さが際立つように、無個性で、装飾のない単語にした。ただし、これが者とか奴(やつ)とかでは無機質になりすぎる。売春宿と書いてあるわけですし、そこにつながるように性の感触だけを残すように男女にしたんじゃないかなと、私は思っているんです」

 「とにかく言葉の一つ一つが選び抜かれて、〈クルーガ〉がどんな場所なのか、この文だけでありありとわかる。結果として見えてくるのは、くたびれた場末の空気であるとか、風で吹き流されていきそうな軽々しさであるとか、有象無象の人々が、これといった目的もなく、あるいは様々な目的の途中で、立ち寄っては離れていくだけの場所。だからこそ、旅人自身からもすぐに忘れられるような場所なんですよ。そういうところで、シェリュバンは20年を過ごして、トロムボノクに出会いましたと。逐一書かずに、この一文だけでさらっと流す。どんな景色なのかは、この文には1文字も書いてないんです。まさに『書いてないのに書いている』という技なわけですけど、それが作中に登場する、音がしないのに鳴っている楽器とも通じると思って、今回こうやって取り上げてみた次第です」

 「こうやって褒め殺しを延々続けることもできるんですが(笑)、お客さんが聴きたいのは飛さんの話でしょうから、解説はこの辺で」

■いよいよ『零號琴』の核心へ

 オキシさん「『零號琴』は鵺(ぬえ)のようなキメラのような、読んでいる箇所ごとに姿が変わる化け物みたいで、一読して全体像がつかみきれません。先ほど飛さんがほのめかされたように、表向きの話とは別に大きな主題がある。ということで、いよいよ飛さんにそのあたり、本題となる『零號琴』の真の姿を語っていただくことにしましょう。と、言いたいのですが、その前に。『零號琴』の造語のネタ元をスライドで流します」