中国が核実験に成功した1960年代、米国が日本に対し、中国の核攻撃を米国製兵器で防ぐ「費用対効果」を文書で示していた。当時は冷戦まっただ中で、日米ともに中国と国交正常化していない。米国は甚大な被害想定で日本に対応を促していた。(編集委員・藤田直央

 文書は「日本のミサイル防衛と防空」と題され、68年1月の日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)で米国防総省幹部が説明。外務省は無期限の極秘扱いとし、朝日新聞記者の情報公開請求に当初開示を拒んだ。しかし、「約50年が経過し国際情勢が大きく変化」したという総務省の第三者機関の判断をふまえ、今年1月に部分開示した。

SSCは今もある枠組みで、67年の発足当初は米側は駐日大使や国務省と国防総省の幹部、在日米軍司令官、日本側は外務省と防衛庁の両事務次官や自衛隊制服組トップの統合幕僚会議議長が出席した。

 中国は64年に原爆、67年に水爆の実験を成功させ、核弾頭を運ぶミサイル開発も推進。米国は67年、中国向けミサイル防衛システムとして核兵器である弾道弾迎撃ミサイル(ABM)導入を表明し、日本にも配備するかが焦点だった。

 こうした中、米側の想定文書では、76年にかけての中国の核戦力増強を予測し、弾道ミサイル100機と爆撃機150機による爆発規模計15万5千キロトン(広島型の約1万倍)での日本の主要都市への核攻撃を想定。防空態勢がそのままなら1800万人が即死するとした。