墨と少しの顔料、大胆かつ簡潔な筆遣いで独自の表現世界を切り開き、107歳で亡くなった美術家の篠田桃紅さん。創作は最晩年まで続き、接した人すべてに「凜(りん)」とした孤高の印象を残した。

 父方のルーツが岐阜市と関市にあり、岐阜市の県美術館では「篠田桃紅と抽象の世界」展を今月28日まで開催している。同館はこれまでも国内の公立美術館としては初の個展や「百(もも)の譜」と題した100歳記念展を開いており、正村美里副館長は「最晩年まで進化と深化を続けた稀有(けう)な作家」と言う。

 篠田作品950点を所蔵する関市の岐阜現代美術館の学芸員宮崎香里さんは、15年ほど前から東京・南青山のアトリエ兼住まいに通い続け、素顔を知る。

 「いつも粋な和服姿で、何事にもぶれず、的確な言葉を発する人。でもプライベートではおちゃめ。フィギュアスケートの羽生結弦選手やテニスの大坂なおみさんなどの中継に見入り、若いエネルギーを貪欲(どんよく)に吸収していた」

 篠田さんは父親から書の手ほどきを受け、40代で渡った米・ニューヨークで抽象表現を深め、帰国後、「和」の要素を簡潔に取り入れた独自の世界を確立した。ホテルなどの公共空間ではヘルメットとパンツ姿で大作に取り組んだ。

 昨年11月に脳出血で倒れ、1日に老衰のため、都内の病院で息を引き取った。アシスタントを長年務めためいの篠田爽(そう)子さんは「富士山が大好きで、『中は熱い溶岩があっても涼し気に独り立っているところが最高』と。自分と重なるところがあったのでは」と話す。アトリエには描きかけの作品が残っているという。(ライター・森川洋)