■(前編)ダリアの花咲く頃、はじめて故郷を知りぬ   

 秋、ダリア咲き、秋を告げる。

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 兵庫県の宝塚市といえば、宝塚歌劇団の本拠地がある。宝塚大劇場での舞台は、人の心を酔わす。

 宝塚市の北部に、上佐曽利(かみさそり)という農村地区がある。

 1930年(昭和5年)、この地でダリアの栽培が始まった。図らずもこの年、宝塚歌劇の「パリゼット」という演目の中で、「すみれの花咲く頃」が披露された。のちにタカラヅカを象徴する歌となる。

 戦争中、軍隊はダリア栽培を奨励した。ダリアの球根は栄養価が高くて兵隊の士気を高めるのでは、とされたため。そして若者が、たとえば特攻で空に散った。

 そんな重い歴史をへて、ダリアの栽培はつづく。赤、白、ピンク……。色とりどりで数え切れないほどの種類があるダリアは、この地で70年には300万球も生産され、おおいに輸出された。

■「わたし、タカラジェンヌになるから」

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 タカラヅカがはじまって70年になる84年、この地で公務員として働き、のちにダリア農家の2代目となる夫婦に、娘がうまれた。

 その子の名は、中村梓。のちに梓晴輝(あずさ・はるき)の名でタカラヅカの男役となり、故郷に尽くす会社をつくる。

 地域のお年寄りたちに、「あーちゃん」と呼ばれ、かわいがられた。

 近所の子どもたちは近くの幼稚園に通った。梓の両親は公務員として働いていたので、娘をちょっと遠くの保育園に預けた。

 梓、小学生になる。クラスのみんなは同じ幼稚園上がり。梓は転校生のような存在。いじめの対象になった。