(魂の中小企業)宝塚音楽学校への道 ダリア農家の「あーちゃん」
2021年9月28日16時00分
■(前編)ダリアの花咲く頃、はじめて故郷を知りぬ
秋、ダリア咲き、秋を告げる。
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兵庫県の宝塚市といえば、宝塚歌劇団の本拠地がある。宝塚大劇場での舞台は、人の心を酔わす。
宝塚市の北部に、上佐曽利(かみさそり)という農村地区がある。
1930年(昭和5年)、この地でダリアの栽培が始まった。図らずもこの年、宝塚歌劇の「パリゼット」という演目の中で、「すみれの花咲く頃」が披露された。のちにタカラヅカを象徴する歌となる。
戦争中、軍隊はダリア栽培を奨励した。ダリアの球根は栄養価が高くて兵隊の士気を高めるのでは、とされたため。そして若者が、たとえば特攻で空に散った。
そんな重い歴史をへて、ダリアの栽培はつづく。赤、白、ピンク……。色とりどりで数え切れないほどの種類があるダリアは、この地で70年には300万球も生産され、おおいに輸出された。
■「わたし、タカラジェンヌになるから」
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タカラヅカがはじまって70年になる84年、この地で公務員として働き、のちにダリア農家の2代目となる夫婦に、娘がうまれた。
その子の名は、中村梓。のちに梓晴輝(あずさ・はるき)の名でタカラヅカの男役となり、故郷に尽くす会社をつくる。
地域のお年寄りたちに、「あーちゃん」と呼ばれ、かわいがられた。
近所の子どもたちは近くの幼稚園に通った。梓の両親は公務員として働いていたので、娘をちょっと遠くの保育園に預けた。
梓、小学生になる。クラスのみんなは同じ幼稚園上がり。梓は転校生のような存在。いじめの対象になった。
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