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東京の台所
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〈65〉ネパール、タイ、そしていま東京で

〈65〉ネパール、タイ、そしていま東京で

〈住人プロフィール〉
会社員(女性)・43歳
分譲マンション・3LDK・東横線 都立大学駅(目黒区)
入居1年・築年数1年
夫(会社員・47歳)、長男(4歳)、次男(4歳)との4人暮らし

    ◇

 出張先のブータンから、このコラムの文末にある「取材協力者募集」のバナーを見て、メールで応募したという。

 「途上国の開発援助の仕事をしています。独身時代はネパールに、結婚後3年はタイに住んでいました。双子を妊娠して、医師から日本で出産した方が良いと言われたため、急にこちらで産み育てることになったんです」

 4歳の男児ふたりを抱える今は、会社員だが主に自宅で仕事をして、年に3回ほど海外出張をこなす。1回の出張は3週間と長い。そのため、実家から5分の場所にマンションを買い、両親に助けられながら子育てと仕事を両立させている。

 「日本の台所はわずかな隙間もみのがさず、すみずみまで工夫が施され、年々進化し続けています。タイのバンコクで暮らしていたときは、暑くて、バナナをスタンドにつるしておくと1時間でぽとりと落ちてしまう。水道水は料理に使えないし、牛乳も賞味期限はあってないようなもので信用できません。日本は商品管理が徹底されていて、生活するのがラクだなあと思います」

 でも……、と彼女は言葉をくぎった。

 「転職して会社員になった夫が帰宅するのは子どもが寝てから。日本のサラリーマンは本当に忙しいですね。パパに育児の機会をと言いますが、この労働環境では無理だと思う。うちにかぎらず、どの家庭でもそうでしょう? タイにいたときは、よく育児を手伝ってくれていたので、彼も寂しそうです」

 出産直後、認可保育園に入れず、高額の保育料がかかる無認可保育園に通わせながら、区立の空きが出るのを待った。電車でも、店でも、子連れだと少しだけピリピリした空気を周囲から感じる。タイでは「子どもは社会の宝」という意識が強く、誰もが好意的だった。

 「日本では、誰もが子どもが好きなわけじゃないんだなと気づきました」

 安心・安全な食べ物が得られ、台所は至れり尽くせりで素敵かもしれないが、育児をとりまくこの国の心が硬くなるような冷たさを、肌で感じている。どちらの国がいいかという論議は無意味だが、イクメンやイクパパという言葉がもてはやされなくなるほど男性の育児は当たり前にはなっていないし、世間は優しくもない。

 マンションを買って1年。ようやく2人とも区立保育園に受け入れてもらうことができ、海外出張を組み込んだ生活のリズムが軌道に乗りつつある。

 仕事を片づけて、友だちをランチに呼ぶ余裕もできてきた。この日も、フレッシュバジル入り生春巻き、ラタトゥイユ、白身魚のフライのヌクマムソース添え、もち米団子、バゲットが出てきた。飲み物はきんきんに冷やしたハートランドビール。夜の宴会は負担が多いが、これなら気楽だ。

 「料理は気分転換であり、気晴らしであり、趣味でもあります」

 また、台所道具や雑貨を見たり買ったりするのも好きだ。

 「独身時代は7~8カ月は海外で、実家には寝に帰るような生活。滞在先でこの器欲しいな、あの鍋いいなと思っても、それを使う時間もないし、しょせん実家なのであきらめていました」

 結婚して初めて、自分の台所を持てた。タイ、ネパール、インド、ベトナム、スリランカ。どこへ行ってもまず、スーパーマーケットと台所用品を売る雑貨店に入るのだという。

 手仕事の風合いが伝わる木製や焼き物が好きで、ブランドや流行は気にしない。大通りのおきまりの店ではなく、いかにもいいものが売っていなさそうな路地裏の店で掘り出し物を見つける。日本なら、学生時代から通っている下北沢。おもちゃ箱をひっくり返したような、混沌(こんとん)の中から自分が気に入るオンリーワンを見つける楽しさがあるからだ。

 小さな子を抱え、まだまだ戸惑うことの多い彼女の毎日に思いを馳せ、それでも働く母のちょっと先輩としてエールを送りたくなった。どうか、この育児の一瞬一瞬を楽しんでほしいと。

 「どうして応募しようと思ったのか、じつは自分でもよくわからないんです」と彼女は言う。でも、私には少しだけわかるような気がする。人生にひと区切りついて、ほっとしたかったのではないだろうか。この取材が、次の新しい一歩を踏み出すための、小さな句読点になるとしたらうれしい。

 広いテラスには、バジルやハーブのプランターがあった。紅葉の鉢植えもある。ここが緑と野菜でいっぱいになる頃、彼女はどのくらい母国を好きになっているだろう。

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